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聖典引用 板
376
:
金木犀
:2012/04/12(木) 21:40:32 ID:y/Po8pPE
ももんが様
ももんが様の仰る意味もあるかも知れません。
鹽釜神社というのは本来住吉大神を祀る神社であり、その神社の祭神である住吉大神を脇に押しやって、
香取鹿島の神を首座に据えたのですから、あるいは仰るようなパワーバランスというものがあって、
それが崩れたのかも知れません。
雅春先生は、此処ではこの神示の解説を人間の心の影と言うことにポイントを
置いて説明されております。すなわち、
神は愛の神であるから、神罰を当てるということはないが、
この世界は、心の影であるから、国民あるいは指導者の心が軍神を前に出し、
平和の神である住吉の神をわきにやる祀り方をするのも、
その精神の反映であり、それはそのまま、軍の方針を表している。
即ち、軍閥が戦争中に、キリスト教を圧迫して諸方のキリスト教会を閉鎖せしめたこと、
生長の家の神様が、”言葉の力”を強調して、必勝の道を授けられたのに、
それを使わずに、「必死、決死、水漬く屍、草生す屍」など不詳な言葉を濫用して、
自然に自ら発する言葉の力に呪縛されて、戦死は増え、水漬く屍や草生す屍が殖えて、
敗戦に至った事を歎いてい給うのでありますと
云うように雅春先生はおっしゃっています。
軍指導者の精神が神の祀り方にも現れているという、
心の影から見た説明ですが、パワーバランスの観点でみると
ももんが様の説明になるのかも知れません。
有難うございます。
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