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聖典引用 板

370金木犀:2012/04/12(木) 15:41:44 ID:y/Po8pPE
『秘められたる神示』より「終戦後の神示」

われは7つの燈臺に火を点ずる者である。われは白髪の老翁である。白髪とは久遠永劫より続く無量寿の象徴である。われは彦火火出見尊が魚(な)釣らす鈎(つりばり)を失い給ひて憂ひ泣きたまふ海邊(うみべ)に来りて、尊を龍宮海に導きたる鹽椎神(しおつちのかみ)である。鹽椎神とは水火土之神の謂(いい)である。霊は水火土と顕れ、一切のものは水火土から生れたのである。われは霊の海、創造の神である。水即ち『おしめり』と火即ち『ぬくもり』と『土』の働きとがあって萬物は生ずるのである。黙示録には『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鑰(かぎ)を持てり』と録(しる)されてゐるのがそれである。われを単に海の神だと思ふな。龍宮海の神の如くあらはれてゐるのはウミ(生み)の象徴であり、龍宮無限供給の神のシンボルである。われは一切の創造(うみ)の神であるから無にして無尽蔵である。

日本の国が貧しくなったとて歎くことはない。日本の国は不幸にして我れを容れなかったのである。キリストの教会を閉鎖せしめ、そのほか色々の圧迫を加へた。『生命の實相』も不当に用紙を配給せぬやうにして其の出版を閉鎖したのである。われは愛の神であるから神罰を当てたのではない。真理に目を閉ぢ、『我』を突き貫してつひに自壊するときが来たのである。

日本の国民よ、歎くな。迷ひの自壊の後には必ず住よしの世界が来るのである。われを戦ひの神と思ふな。われは平和進駐の神である。住吉とは平和の理想境と云ふことである。わが行くところに平和は来り、わが行くところに龍宮無限の供給は来るのである。キリストはわれの別名であるから、キリストを押し込めたのが可かぬのである。陸前の鹽釜神社でも香取鹿島の神を正面にして、鹽釜の神を傍(かたわら)に押し込めてある。軍国主義の神を正座に置いて、平和の神を別座に一段下におとしてあるのが今までの日本の姿であったのである。このような状態では日本が負けたのも仕方がない。折角今此処にある無限の供給を閉じ込めて置いて、増産を高唱してもそれは空念仏である。

まだ日本の真の姿はあらはれてゐない。今は伊邪那岐神の禊祓のときである。伊邪那岐神は日本の神、日本の象徴である。これから八十禍津日神、大禍津日神など色々の禍が出て来るが、それは、日本が『穢き』心になってゐたときの汚れが落ちる働きであるから憂ふることはない。この禊祓によって日本国の業が消え、真に浄まった日本国になるのである。心を明るく持ち、すべてを神直日、大直日に見直して、禍を転じて福となさねばならぬ。かくて斎女(いづのめ)の神はあらはれ、本当にこの世が斎き清められて、その後に住吉の神があらはれるのである。住吉の神はまだ本当にあらはれてゐぬ。併しもうあらはれるに間もないのである。住吉の神があらはれたら、伊邪那岐神の左の眼が真に清められて、日本の實相荘厳の姿があらはれるのである。古事記の預言を廃れりと思うふな。預言は成就しつつあるのである。ただその預言を間違って解釈する人が多いのである。
(昭和二十年十一月二十七日未明神示)




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