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聖典引用 板

355ハマナス:2012/04/11(水) 09:34:18 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
 おはようございます。

神の宝はあなたに譲渡済みである。 (『新版 生活の智慧365章』P.125より)

「吾々の幸福は決して、自己以外の外界の存在によって規制せられたり、支配せられ
たりするものではないのである。自己の許さない不幸も悪も吾らに入り来ることは
できないのである。神は常にあなたと偕にあり、神の持ち給えるあらゆる善きもの、
美しきもの裕(ゆた)かなるもの、好ましきものは、悉くあなたに譲られているのである。
神の登記所に於ては、既に神の有ち給えるあらゆる“善きもの”の、あなたへの譲渡
手続きが完了しているのである。譲渡手続きが完了していても、それを譲り受ける者が、
譲り渡されたことを自覚しなかったら、それは現実にならないのである。

 多くの人は、自分が神の子であり、神の有(も)ちたまえる凡(あら)ゆる
“善きもの”が譲り渡されて、既に“自己のもの”となっていることを知らないから、
それを利用することができないのである。その譲渡が既に完了していることを悟らせる
聖業をするのが生長の家の信徒の使命であり仕事である。併し譲渡が完了していることを
知らされても、実際に譲渡されたものを生活に応用しない限り、名儀だけのことであって、
何の役にも立たないのである。」


この大事な時に、私たち信徒一人一人が、「自分が神の子であり、神の有ちたまえる凡ゆる
“善きもの”が譲り渡され済み」であることを再認識し、実際に生かすことが問われていると
思います。

争い合うのではなく、お互いに神の子として、拝むことが生長の家の信徒の使命であり仕事
であると、雅春先生は仰っておられます。
“神の子”の教えを説くのが生長の家の意義ではないのでしょうか。

感謝合掌



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