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聖典引用 板

353金木犀:2012/04/11(水) 05:03:01 ID:oWXOwFKk
矛盾の解決(3)
     谷口清超先生、  『生長の家』誌、昭和58年

悪はナイ
つまり不幸や悪や盗難を恐れるより、積極的な善いことや健康や幸福や繁栄を心に強く描かなければならないということである。この簡単な法則を正しく理解しないために、多くの人々は折角の人生を台無しにしている。闇を消すには光をもって来なければならない。光とは善であり、そして又健康である。人はとかく一旦不幸になると、光を描き見る事を忘れ、いたずらに悪や病気や失敗を恐怖する。がしかしそれでは何一つよいものは現れて来ないのである。

例えばもし今ひどい病気に罹った人がいるとしよう。すると彼は「健康」を心に描かなければならないのに、とかく「死」や「衰弱」を恐怖する。すると恐怖すればするほど、「死」や「衰弱」は近づいて来る。心に強く描くものがあらわれ来るという法則があるからだ。その逆をやらなければならないのに、それをする力が出て来ないのである。一体何故だろう?それは人々が「悪はナイ、善のみアル」ということを知らないからである。つまり「神」があることを知らず、「神」が善のみを創り給うたことを信じていないからである。

そもそも神を信ずるということは、この世の現象を見て、それに引っかかって祈ることではない。確かにこの世には病人もいるし、泥棒も詐欺師もいるだろう。戦争も起こるし、死人も出る。しかしこれらは全て“現象”であり、“影”であって、「実在」ではないのである。「実在」は完全なのだ。これが分かるか分からないかが、人生の別れ道だと言う事が出来る。真に繁栄し、幸福となり、生死を超越するか、それとも物欲や名誉欲に囚われ他一生を送るか否かの岐路が、ここにあることを知らなければならない。

長崎県の佐世保市南風崎町に宮田一郎さんという人が住んでおられ、永年生長の家の幹部として活躍しておられるが、昭和五十六年八月の出来事だった。その年は九月に私の講習会が佐世保で行われることになっていて、宮田さんは相愛会の連合会長として大変忙しく大会の準備などしておられた。さて宮田さんには息子さんが一人いて、三重県の電電公社鈴鹿学園に勤務して、その奥さんは雅子さんといい、お里が福岡で、当時二十八歳になっていた。

ところが雅子さんはどうも頭の調子が悪いというので、その年の八月福岡に帰って来て、九州大学の付属病院に行って検査を受けた。すると詳しい検査の結果頭の中に大人の拳大の脳腫瘍が出来ていて、このままでは今年一杯いのちがもたないと診断されたのである。宮田さんにとっては一大ショックだ。まだ若い息子の嫁が、難病にとりつかれた。おまけに一ヶ月後に講習会がある。平素「悪はない、善のみある」と教えられ、又人にもそう伝えているのに、現実には難問題が出てきて解決を迫っている。だがここで現象に引っかかって、その悪を「ある」と見たり、「絶体絶命」などと考えてはいけない。陰極は必ず陽転するのだ。自分自身にい言いきかせた。宮田さんは日夜講習会の準備に教区内を東奔西走する、その重大な時期に、多くの時間を嫁さんのためにさくわけにはいかない。がしかし病人の見舞いもしないといけない。本人も実家の人も、「死にはしないか」と思って非常に心配しているのは明らかだ。
「何とかしなければならない……」
と切実に思った。


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