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聖典引用 板

344a hope:2012/04/10(火) 08:11:25 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

時間を大切にせよ


他(ひと)に深切にする心掛は、たいへん結構なことです。
しかし、自分に深切にすることは、また大変善いことだということを
多くの人は忘れています。
だから、腹を立てて自分の身体(からだ)に毒を飲ませたり、
なまけて、自分に与えられたせっかくの時間を、
何にも使わないで捨ててしまったり、自分に損をかけて平気でいたりするのです。

人間に何が一番大切だと言っても、自分に深切をつくすことほど大切なことはありません。
自分に深切をつくすというのは、自分の生命を無駄に捨てないことです。
お金を道ばたへ無駄に捨てる人はめったにありませんが、
自分の生命を無駄に捨てる人はたくさんあります。

自分の命を捨てる人はたくさんあると申し上げても、世の中には
そんなに自殺をしている人はないと思いになるかもしれません。
しかしあなたが百歳になるまで生きるとしましても、一時間無駄にすごしたら、
あなたの命はもう一時間だけ無駄に捨てたのです。

たいていの人は夜になったら何もせずに寝てしまいます。
一生の半分は人間は寝てしまうのです。
そうすると百歳になるまで生きましても、半分は何もしないのですから、
五十年しか生きないのと同じことです。

ところが、その五十年のうちで私達は朝昼夜の御飯時(どき)に、
早い人で三十分ずつ、遅い人で一時間ずつぐらいはかかります。
それで一日ニ時間や三時間は無駄になるのです。
用を達(た)したり、お風呂へ入ったりしていると、
一日のうちの五時間は、そのために無くなります。
そうしたら、私達は一日二十四時間のうち、七、八時間しか
勉強とか仕事とかはできないのです。
言いかえると、一日のうちの四分の一しか自分の生命を働かせ、
自分の値打ちを出すことができないのです。
すると一日のうちの四分の三の時間は、無駄に捨てたと同じなのです。

皆さん、無駄に捨てた時間は決して還って来ません。
一日のうちの四分の三の時間を無駄に捨てていたら、
百歳まで長生きしても七十五年間は無駄に捨てたので、
ただニ十五年間しか生きたことになりません。
それは百歳まで長生きしても、二十五歳で若死にしたのと同じことです。

私達の生命は「時間」でできているのですから、ぼんやりしている間に、
生命は減って行きつつあるのです。こんなつまらないことはありません。

一分間でもぼんやりしないで、何かこの世のためになることをいたしましょう。
会社のためになることをいたしましょう。
父さま母さまに喜ばれることをいたしましょう。

何か自分の力のつく勉強をしましょう。

(つづく)


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