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聖典引用 板

334ハマナス:2012/04/04(水) 21:30:43 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。
昨日は全国的に強風でたいへんでしたが、今日は穏やかな一日となりました。

    困難にいどむ  (『新版 生活の智慧365章』P.119)

 「人間の自由は、彼が環境や境遇の奴隷でなくなったときにのみ得られるのである。
環境がどうだから出来ないとか、こんな境遇では迚(とて)も思うようにならないとか
云うのでは、環境や境遇の奴隷であって、自由の主体である“神の子”の自覚を得た
ものということができないのである。もっと神想観をして絶対者との一体感を深めなさい。
全ての環境・境遇は、その人が或る能力を発現さすための運動用具のようなものである。
木馬や鉄棒(かなぼう)や平均台や吊環などはいずれも運動の選手がその網力を発現
さすために是非無くてはならない環境又は境遇であるのである。運動の選手はみずから
そのような環境・境遇の条件をもとめて、それを克服し、自由に肉体の運動美を発揮
するための用具とするのである。そのとき運動選手は主人公であり、自由の主体である。

 ところが学校の体操の時間に学生みずからはそんな運動をやりたくないのに課せられて、
嫌々ながら、木馬の練習や鉄棒の練習をやらせられたとしたならば、学生は強制された
のであり、自由を奪われた訳である。同じ木馬や鉄棒で運動しながら前者は主人公であり、
後者は自由を奪われた奴隷である。その相違はどうして生ずるか。人生の勝者となるものは
受動を飜(ひるがえ)して、能動をすることにあるのである。常に受動である者は奴隷で
あり敗者であるが、能動的にみずから進んで困難にいどむ者は常に勝者であり、主人公で
あるのである。」

感謝合掌


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