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聖典引用 板

326ももんが:2012/04/03(火) 02:07:22 ID:XXCuaQns
 白髪の翁・三蔵法師篇
  〜大唐西域記〜

十日目にナーランダー寺の人々が、四人の大徳を使わして、三蔵法師を迎えに来たので、いっしょに行くことになった。七ヨージャナばかり進むと、ナーランダー寺の荘園に着いた。ここは目連尊者が生まれた村である。法師はここで食事をした。暫くすると、さらに二百余人の僧侶が千余人の信者と旗や日傘や花や香をもって出迎えに来、みなで三蔵法師を誉めたたえ、まわりを取り囲みながら、ナーランダー寺に入った。ナーランダー寺の衆僧はすでに集まつていて、ともに三蔵法師と会見した。上座の上の方に別に牀机をおき、三蔵法師はそこに座らせられ、衆僧もおのおの座についた。座り終わると維那が板木を打って衆僧に、

『いまより、法師はこの寺はに住むことになった。寺の中のすべて僧が用いる法物・道具は、ことごとく共用である。』と唱えさせた。
それから経律をよく解し、威儀正しい老人でもなくあまり若くもない僧二十人を選び、三蔵法師をつれて正法蔵に会見させた。
正法蔵とは即ち戒賢法師(シーラバドラ尊者)のことで、人々は彼を尊重して名を呼ばず、正法蔵と呼んでいるのである。
こうして法師は人々とともに正法蔵に拝謁し師事することになった。そこでつとめてうやうやしく敬礼し、インドの作法に従って膝と肘で進み、足を鳴らし額を床につけ礼拝し、丁重に挨拶と尊敬の言葉を述べた。すると正法蔵は広く牀机をおかせ、法師や諸僧を座らせ、

正法蔵:『そなたは何処から来られたか』と尋ねた。
三蔵法師:『私はチーナ国から参りました。師のみもとで「瑜伽論」を学びたい一心でやって参りました。』
と答えると、正法蔵は聞き終わって涙を流し、弟子のブッダバドラ尊者を呼んだ。彼は、正法蔵の甥で、年は七十余歳、広く経論に通じ談話に巧みな人であった。正法蔵が、
『そなたが人々とのために、私の三年前までの病気の因縁について話してあげてください。』
と言うと、ブッダバトラは泣いて涙をぬぐいながら、つぎように、説明した。

正法蔵はもとリューマチスを患われ、発作のたびに手足が痛んで火に焼かれたり刀で刺されるようでありました。
急に発病したかと思うと治り、そんな状態が二十余年も続いたのです。もっともひどかったのが三年前のことで、苦痛ははなはだしく、御自身の体を厭われて断食して自殺しようとされました。ところがある夜、夢に三人の天人が現れました。その一人は黄金色、二人目は瑠璃色、三人目は白銀色で、風采うるわしく、その服は軽やかで輝いていました。三人は正法蔵に近づいてくると、
『そなたはみずから身を捨てようとしているのか。経典には身に苦があることを説いているが、身を捨てることは説いていない。そなたは過去にかつて国王となり、多くの国民を悩ませたので、いまその報いを受けているのである、いまこそよろしく過去の罪業を反省して、至誠をつくし懺悔すべきときである。苦しいときは安んじて忍び、つとめて経論をひろめ、みずから罪業を消すべきである。いまだだ身を厭うて死んでも、苦は永劫に尽きないであろう』
といった。正法蔵は聞き終わって心を込めて礼拝すると、その金色の人は碧色の人をさして、
『そなたは知っているか、この人こそ観自在菩薩である』といい、また銀色の人をさして、
『この方は慈氏菩薩である』と言われた。
正法蔵は慈氏菩薩に礼拝して、『私はいつも御身もとに生まれ変わることを願っております。この願いは達せられましょうか』というと、
『そなたが正法を広く伝えたならば、後世にはその願い達せられよう』と答えらた。そのとき、金色の人は、 『私は文殊菩薩である。私たちはそなたが空しく身を捨てようとしており、それが利益とならないのをみて、いまここに来てそなたに翻心をすすめているのである。そなたはいまこそ私の言葉に従い、正法『瑜伽論』などをあまねくまだ知られていない地方に及ぼしなさい。そうすればそなたの身はしだいに安らかになるであろう。使者を遣わしえぬことを憂うる必要はない。チーナ国に一人の僧がおり、大法を流通せんことを願いそなについて学びたいと心から欲している。そなたは待っていて、その者に教えなさい。』といった。
正法蔵は聞き終わって礼拝し『謹んで御教えに従います』
と申しあげると、三人の姿はもう見えなかった。しかしそれ以来、正法蔵の病苦は忘れたように消えてしまったのです。

〜つづく


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