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聖典引用 板
284
:
「訊け」管理人
:2012/03/22(木) 21:47:18 ID:???
――服部仁郎曰く、
實相は無形であるけれど、種子を土の中におろすと、水分を吸収し、日光を浴びて、立派に朝顔の花は開花する働きをもっているのであります。それで、ここで注意すべきことは、實相は現象に顕われようとする働きをもっているということであります。
この實相が現象にあらわれたことをわたし達は、仏教の語を藉りて「諸法實相」と云い、この現れようとする働き、つまり實相が現象的象徴を求める働きを、天地を貫く心の法則と見ているのであります。諸法とは諸ゝのものと云うほどの意味であります。これはたゞ単に朝顔の花だけでなく、宇宙の生きとし生ける、あらゆる生命に通じている法則でありまして、まことに宇宙の万物はすべて實相の顕現でありまして、これを「諸法實相」と言っているのであります。
『神経症は治る』10項
――榎本恵吾曰く、
「實相は現象に顕われようとする働きをもっているということであります。」
ここのところは「實相」は人間の心のレンズを磨くという人間業を通さずに、「實相」は自ら顕われる力がそなわっていることを語っているのである。ここに心のレンズを磨かなければ出て来ることの出来ない、動きのとれない實相ではなく、本当の意味での全托に値するところの「實相」というものが伝えられているのである。
この〝實相は現象に顕われようとする働きをもっている〟ことが解らなければ、どうして尊師が「實相」「實相」と大書されるのかの意味が解らなくなるのである。繰り返すが、實相は人間の修行という心のレンズを研くことによって、わずかに心からすべてを放つということ、安心するということではないのである。實相はみずから顕れるという全托の中にこの大安心を得て、現象から心がはなれたときに病は消えると服部氏は多くの実例をあげているのである。ここに生長の家のみ教えを通しての世界観、人生観が書かれていると思われる。そしてそれがそのまま、服部氏の尊師谷口雅春先生の弟子として道を伝え、奇跡的な治癒を行っていた力の根本の自覚の説明となっているのである。
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