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聖典引用 板

282トキ:2012/03/22(木) 19:33:05 ID:iFhznFvc
 徹頭徹尾自力の否定であり、感謝以外にはないのであります。祈りも感謝、愛行も感謝、神想観も
聖経読詭も悉く感謝であります。
                                          
 自己中心の祈りや行は、生長の家ではありません。目的や都合から出発した行は、どんなに完壁に
 出来ても、不安を取りのぞく力とはなりません。やりながら不安を伴うのであります。それは心の底
 では自分を頼み、結果を期待していることになり、肝腎の神様がぬきになっているからです。神様が
 抜きになっていて救われるはずがありません。神に全托したものには、あるのは唯感謝のみでありま
 す。感謝以外の努力は救いにつながる努力とはなりません。
 「七つの燈台の点燈者の神一空の中にも、一にも感謝、二にも感謝、感謝、感謝、ただ感謝だけとあ
 ります。あまり感謝ということばが多いので数えてみましたら、何とあの短い御文章の申に、十四回
 も感謝というおことばがあり、最後の方に、
 「その感謝の念の中にこそ、汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」とお示し頂いています。
 これをみても、生長の家がどんな教えであり、どんな方法で救われるかが明らかであります。この
 「七つの燈台の点燈者の神一空は何十とある神示の中の、根本の神示であり、み教えを代表する神示
 であります。そのご神示で「感謝」がすべてであり、それのみが救いの根本であるとお示し頂いてお
 りますから、私たちはその教えに素直に従い、信じて行ずる以外に方法はありません。それ以外のこ
 とを考えたのでは、生長の家でなくなります。

 このように救いの根本は信であり、感謝であることがわかるのでありますが、私どもの所に相談に
 こられる人の中には、「何を信じたらよろしいのですか?」とか「感謝しなければいけないことはよ
 くわかるのですが、きて感謝しなければ…と思ってみると、感謝するようなことが見つからないの
 ですが・…‥」といわれる方があります。このような方は決まって、現象を対象にしておられる方々で
 あります。信ずる対象はあくまで神様であり、現象ではなく実相であります。また感謝でも、現象や
 条件を対象にするのではなく、実相に感謝するのであります。生長の家は現象なしに徹する教えであ
 りますから、ない現象を相手にしているようなことでは、本ものの信仰ではありません。実相直視、
 実相独在の教えであります。

「すべてを癒す道 藤原敏之著 P92」


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