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聖典引用 板
251
:
朝露夜露(代筆・志恩)
:2012/03/17(土) 15:35:01 ID:.QY5jUA6
一方、神道は、仏教が伝来するまでは、神祀りと言われ、「神道」という言葉もなかったのですが、
仏教の定着に伴って、神祀りを担っていた人々が、日本古来の神祀りについて改めて考えさせられ、
「神の道」であるから「神道」と呼ばれるようになったと言います。
日本人にとって、神祀りは、当たり前のことで、これと何らかの形で対立するもの、それが、仏教だったわけですが、
それが入って来て初めて、その存在を意識したということでしょう。
たとえば、寺と神社ですが、神道では、最初、神社はなく、神は、岩や木に依ると、考えられていました。
神は、同じ場所にとどまる存在ではなく、自然の中に存在し、自由に動き回っていたのでしょう。
何しろ高天原で、人間と同じように生活をしていると考えられていたのですから。
その神様が、地上に降りて来て生まれた子孫が、日本人ですからね。
高天原に住む天の神々(天神)の他に、天から追放されたスサノオ(出雲大社の祭神)や、天孫のニニギノミコトが、
地上に降りてきた時に、地で迎える猿田彦の神に、代表される地上の神々(地祗ちぎ)もたくさんいましたが、日本人は、
いずれの神様も、祭りの時にお呼びして来てもらい、これを迎えたのです。
神を迎えるお祭りは、今も日本各地で行われていますが、神を迎える為に、依り代(よりしろ)を設けて、祈っていました。
神社は、なかったのです。
仏教では、大寺院や伽藍が造られていましたから、ある意味、これに対抗して、神社が造られるようになったのです。
この時には、仏教寺院と差別化を図るために、伊勢神宮の神明造(しんめいつくり)に代表される簡素な、仏教寺院に比べると,
ごく小さな社が造られるようになったのです。
しらきづくりで、木の肌そのものを使った社です。
屋根には、当時の民家のような萱が吹かれました。それが風でとばないようにと屋根にのせたのが、俵のような形をした鰹木(かつおぎ)です。
仏教寺院は、壮麗な瓦を使い、仏像にも金箔を塗ったりしていましたが、神道で、神像が造られるようになったのは、ずっと後のことで、
仏像に影響されてのことです。
神道は、とにかくシンプルで、神は、人間が喜ぶもとと同じものを喜び給うと考えられ、その年とれたての一番美味しいお米や野菜、お酒や肴など、
その土地の特産物が、お供えされたのです。
〜つづく〜
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