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聖典引用 板
250
:
朝露夜露(代筆・志恩)
:2012/03/17(土) 14:50:15 ID:.QY5jUA6
一言では説明できませんが、いろいろな政治的思惑も絡んで、護法善神といって、仏教を擁護する神という
思想が生まれ、寺院を守護する鎮守神として、
法隆寺には龍田社が、東大寺には、宇佐八幡宮が勧請されたり、
逆に、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)といわれる「神は仏の化現」という思想がうまれ、
天照大神は、大日如来が、衆生を救うためにその姿で現れたというようなことが、いわれたりします。
神社で神様のために読経がおこなわれるということが、今でもあります。
いつの時代にも、外来のものは、目新しく進んだ文化ととらえられる事は、少なくないでしょう。
仏教が、インドで生まれたのは、日本に到来する1000年も前のことですから、それまでには、様々な
ありがたいお経が、たくさんの僧侶によって書かれ、中国大陸と朝鮮半島を通って、日本に伝わってきた頃には、
非常に洗練された思想体系になっていたと思われますから,当時の日本人にしてみれば、馬で旅行をしている時代に
飛行機が、輸入されたような感覚もあったのではないかという人もいます。
とにかく、今でいえば、進んだ外国の文化とも受け取られたのではないでしょうか。
〜つづく〜
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