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聖典引用 板
239
:
うのはな
:2012/03/16(金) 20:36:27 ID:El6gIMAw
.....メキシコのグワダルッペ寺院の創立に関する霊的体験の解釈を書いておきたい。
ファンレイゴ青年が、神様から『赭土の丘である不毛の土地からバラの花を病人の数だけ
摘んできて寺院に供えよ』と命ぜられて、一度は『神様、テペヤの丘にはバラの花など咲いていません』
というが、やがて素直に、赭土の丘に行ってみたら、バラの花が、本当に爤漫と咲いていたので、それを
病人の数だけ摘んで寺院の本尊に供花すると、神様のいわれた通りに村の子供の病気が治っていたという件がある。
ファンレイゴ青年は、その時、現象では赭土の丘に見える処に、実相世界の美しき花爤漫の世界を見たのであった。
即ち法華経の如来寿量品にある『衆生、劫尽きて大火に焼かるると見るときにも、わが此土は安穏にして天人常に充満せり...
天人曼陀羅華を雨ふらして仏及び衆生に撤ず』が其処に実現したのであった。
ファンレイゴ青年は、その花咲く丘のことを村の人に告げると、村の人たちは、まだ“実相花爛漫の世界”を見る心の眼が開いていないので、
ファンレイゴ青年を“嘘つき”だと罵る。それで青年は村人に花咲く丘を見せてやろうと村人をつれて行くが、そこには、バラの花は一つもなく
赭土の丘に過ぎなかった。
これは“常識の眼”が実相の“花咲く丘”を見得ない其の多数者の妄心に、再び青年の“実相を見る眼”がくらまされたことを示している。
青年は悩む。そして神にその悩みを訴える。すると神は、『衆生の眼で見れば、唯の赭土の丘であっても、実相を見よ、ここに花爛漫のテペヤの丘がある。
再び往いて花を摘んで来い』と命ぜられる。
その時、青年の実相を見る眼が開くのだ。そしてテペヤの丘に往ってみると、群集の眼には唯赭土の丘に過ぎなかった不毛の地にバラの花が爛漫と咲いているのだ。
『わが浄土は壊せざるに、衆は憂怖諸々の苦悩充満せりと見る』である......
『生長の家』誌昭和47年8月号“明窓浄机”より
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