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聖典引用 板
233
:
うのはな
:2012/03/13(火) 18:03:59 ID:El6gIMAw
戦争中の私の体験
戦争中のことでありました。私の宅の庭が全部“かぼちゃ畠”になった事がありました。
あの杜鵑花(つつじ)の枝の上まで一面に“かぼちゃ”の蔓を這わせて食糧増産につとめたものでした。
私は朝五時には必ず薄暗いうちに畠へ出て、一所懸命耕したり、苗を植えたりして夕方、真暗になる頃、星を
頂いて帰ると云う位にやって居たものです。
そうすると、ずいぶん沢山収穫が得られました。私の宅では戦争中も、終戦直後の配給のない時代も一度も闇米を
買った事がなかった。それは、私のつくった“かぼちゃ”ばっかりを私も家族も食べておったからです。
もう“かぼちゃ”はあんまり出来過ぎて、翌年の正月になっても、まだ南瓜を喰べておった。
三割位のお米に、南瓜が七割入っていると云うような御飯を食べておりましたが、その位たくさん南瓜が出来たものです。
無花果なんかも、何処からか枝を貰って来て挿木をしたら、無数に素晴らしい美味しい果実がみのって食べきれない程でした。
愛と智慧とをはたらかして大いに土を作り、施肥をしたからです。
ところが、この頃は、食糧が豊富になりまして、買えばあると云うようになって来ました。
そうするともう私も庭を畠にする必要はなくなってしまいまして、庭は普通の植木の植わっている庭になりましたけれども。
果樹だけはそのままに置いてありました。
無花果などもそのまま植わったままに置いてありました。ところが私が雑誌の原稿などに忙しくなって来ましたので、無花果の樹を
毎日世話してやることができず、それに愛念を注がなくなってしまいました。
そうすると、その無花果が、殆んど枯れたようになって、その上、虫がついて、もう殆ど実がみのらなくなったのです。
たまたま実ったかと思っても、小さい貧弱な果実しかみのらない。
たべてみても殆ど味が無いのであります。
これは私が無花果に愛と智慧と、そして生命とを注がなかったからです。
「与えない」でいて収穫と云うものは出て来ないものなのです。
『日常生活の中の真理』無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著
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