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聖典引用 板

232a hope:2012/03/13(火) 09:05:29 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

時々はまた別の新しい言葉で

必ずしもこのとおりの言葉でなくともよろしい。
時々はまた別の新しい言葉で、自分の内に宿る「神様の無限の力」に呼びかけてもよろしいのです。

ともかくも、自分の内に宿る神に呼びかけることが必要です。

「求めよ、さらば与えられん」です。
神は決して遠いお空のかなたにいるのではない、神は自分の内にいまして応えられます。
「魚を求むる者に蛇を与うるものあらんや。パンを求むる者に石を与うる者あらんや。
いわんや天にまします我等の父は我らになくてはならなぬ物を知り給う」という言葉を、
私は会社へ行っていた頃、出勤の電車の中で繰返していた時代がありました。
すると不思議に、自分の求むることは必ずできるのだという自信が湧いてまいりました。
そしていつの間にか、私の運は好転してきました。

神は吾々が求めなくとも与えてい給うのです。
神は吾々が想い出さなくとも、吾々の中に「すべて」を与えていられるのです。

しかし吾々の中にあるその「すべて」の中から、
要るだけのものを呼び出してくるのは「言葉の力」によるのです。
そして言葉で喚(よ)び起された自信の力によるのです。
ちょうどそれは、吾々の懐(ふところ)の中に、
知らぬ間に神様から入れられていた蟇口(がまぐち)のようなものです。
その蟇口の中には、なんでも欲しい物が買える無限のお金が入っているのですが、
そのことを思い出さないと、欲しいものを買おうにも買う力が出てこないでしょう。

「自分の中に無限の力がある!」こんな簡単な言葉でよろしい。
ともかく、常に自分の内にある無限の力を呼び覚ます意味の言葉を使って、
自分の魂に呼びかけ、自分のたましいの奥にやどっている無限の力
―――何でも買うことのできる「蟇口の中の財(たから)」を思い出すことにしようではありませんか。

(つづく)


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