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聖典引用 板
206
:
うのはな
:2012/02/20(月) 14:40:58 ID:El6gIMAw
『間』に生命が顕れる
本当の美は、個々にあるのではない。メーテルリンクの戯曲の科白は、言葉と言葉との間(ポーズ)で
魂を語らせたが、何によらず本当の美は『個』(ひとつ)それ自体にあるよりも一層多く個と個とを結び合わす
『間』にあるのである。一個の音韻はそれほど美しいとは云えないが、それが他の音韻と結び合うとき、
一個の音韻それ自身が有たない美が音韻と音韻との『間』に出来上るのである。
色彩でもその通りである。二つ以上の『間』にあり、美術も『間』にあり、人間の生活も『間』にある。
『人間』とは誰が云い始めたのか知らないが、人間の生活は一個人にあるのではない。
個と個とが結び合った『間』に人間の生活があるのである。
眼が見え、感覚に映ずる肉体の人は皆離ればなれの存在であるが、これは朽ち行く虚假不實の存在であり、
本当の人間ではない。實在である人間は此の感覚に見える現象存在の『間』にのみ顕れるのである。
感覚的存在を通じて實相が見えるのではなく、感覚的存在との『合間』に實相人間があらわれるのである。
此の『合間』を描くのが芸術であり、此の合間を生きるのが『愛』である。
『百事如意』 谷口雅春 先生著 P33
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