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聖典引用 板

198うのはな:2012/02/13(月) 20:19:37 ID:El6gIMAw
  「生長の家」誌をよむ

 もう一つの癌の例をあげると、福岡県三潴町玉満に住んでおられる光延普治さん(五十七歳)は
縫製業を営んでいて、昭和五十九年に入信した。それ以前腸閉塞でひどく苦しんだからであった。
昭和五十八年十一月九日に一回目の手術を町内の病院で受け、二回目の手術は同年十二月十九日に
久留米大学病院でうけたのである。
 しかしここではもう直腸癌と診断されていた。本人は二回も腹の手術をするのはいやだったので、
何とか切らずに治してほしいと訴えたが、「奇蹟が起らない限り無理です」と言われて手術した。

 翌年七月になった時、光延さんは病名も腸閉塞から直腸癌に格上げされていたことを知った。
それは大学病院が保険会社に出すための診断書を本人が見たからである。
奥さんが抽斗の奥深くにかくしてあった書類を見て、「癌」と知った時、彼は目の前が真暗になり、早速
「酒を持ってこい、俺はどうせ死ぬとやけん!」とわめきちらした。
以来すっかり絶望的になったので、一時食事がのどを通らなくなり便にも血が混るようになった。
あまりにも家族に当り散らすので、光延さんの枕元には誰も寄りつかず、家全体が真暗闇になった。
あとで分ったことだが、手術した医師は、すでに手遅れであるが、本人には気付かれないようにと注意していた
末期症状で、その後自宅療養をしていたのである。

 しかし光延さんにはまだ良識があった。そこでこんな状態ではいけない、何とかしようと思い立ち、ある日妻子を
枕元に呼びよせてこう言った。
「俺がバカだった。もうクヨクヨせんけん、気を取り直して、元気になって見せる。心配すんな」
しかし内心は果していつまで生きられるか、と大変不安であった。一体元気になるには、どうすればよいのか・・・と
考えた時、フト大川市に住んでいる従兄弟の岡敏巳さんが信仰によって元気になった実例を思い出した。
そこで早速岡さんの話を聞くことにしたのである。すると岡さんはこう言うのである。

 つづく


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