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聖典引用 板

165志恩:2012/02/06(月) 04:23:36 ID:.QY5jUA6
ももんがさま

勝手に解釈してとは?

私は、雅春先生は、安谷老師に、叱られていない等と、言っていませんよ。
よくお読みになってください。
批判されている、叱られている、という意味のことを、ちゃんと書いています。

だけれど、この老師のお方の、他の文章を拝見しますと、雅春先生だけでなく、
他の方達の事も叱っておられる。

ですから、叱られたのは、雅春先生だけなのかと、思っていましたよ。と書いたのです。

以前、ももんが様が、書かれた雅春先生批判の文章を読みますと、まるで、雅春先生だけにスポットライトを
あてて、安谷老師が、叱っている様に、受け取れたからです。

①「白雲会の安谷白雲老師は、著書の「無門関」の中で、谷口雅春先生の「無門関解釈」の誤りを、手厳しく、
 指摘されてます。雅春先生といえども、過ちは、あるのです。」

②トキ様宛に
 「安谷老師の「無門関」見つかりましたから、雅春先生を批判されている箇所、今度、掲載いたしますので、
  楽しみに、お待ち下さい」

この①②の、あなたの文章を読み、私は、あなたの善意というものが、全く感じられませんでした。
雅春先生が、叱られてる.前にも言いましたよね、。禅関係の人が、雅春先生の本を、糞の役にも立たない本だ、
と言ってたよ、って。
言い方が、いやみっぽくて、雅春先生に対する侮辱としか、とれませんでした。。

でも、この安谷白雲老師の著書を読ませていただいて、わかったことですが、仏教の人は、だいたいが、ものすごく口は悪いけれど、
根は、親切心で、叱っている事が、多いということが理解できたのは、よかったと思っているところです。

貴方の、その口の悪さは、ここの影響では、ないかしら。

話を戻しますが、
安谷老師は、禅仏教の宗教団体「三宝教団」の教祖でおられます。
仏教界の大御所からみたら、仏教本来の解き方があり、それは、ちがうぜ、と思うことも多々あって当然です。

しかし、雅春先生は、著書「無門関解釈」の凡例に、

1、本書は禅宗第一の書「無門関」に、日本的新解釈を与え、、、、、

1、本書は、萬教帰一の日本学的立場から、仏教の各公案を解釈し、更に処々に聖書のイエスの語を引用して、
 東西の真理は、畢竟一に帰する所以(ゆえん)を明らかにして、神仏耶の三教が、派を立てて争うことなく、

 一億一心一真理に帰一して、そのとき、その場、その人、各々持ち場に就いて、国家に尽くしうる原理を
 提供せんとするものである。


というように、私は、日本的新解釈で、書きますからね、と前置きしてから書かれておられるのです。

ですから、安谷白雲老師が、批判してると言われても、それは、そうでしょね。
解釈の仕方が、違うのですからというしか、私には、このことは難しすぎてわかりません。


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