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聖典引用 板

1606うのはな:2012/11/13(火) 19:29:04 ID:M7ON3MOw
1605 続き

  このように「心はない」ということは仏教で説いていることであり、一応以上の説明でわかったようでありますが、よくよく考えて見ると、心というものが有るか
無いか、まだまだわからないことになるのであります。
「“悩んでいる心”を無いと知ってそれを放してしまえば悩みも苦しみも何もなくなる」こう教えられて、“悩んでいる心”を掴まなくなり、心が平和になり、悩みも無くなり、
病気も消えてしまう人も随分あります。

 しかし「“悩んでいる心”を無いと知って、それを放つ」ところの主体は一体何でしょうか。
「知る」とか「悩みを放つ」とかいうのは「心」の作用であります。心が知るのであり、心が放つのであります。それでは「心が無い」のではないのであって、心があって、その心を知ることになるのであります。

 そこで「悩んでいる心」があらわれているが、その「悩んでいる心」を無いと知って「放つ心」がある。
その「放つ心」も無いと知って廓然としてして明々白々になるかというと、やっぱり「知って」とか「覚って」とか言われると、「知」とか「覚」とかいうのは「心」の問題でありますから、「その知るという心も無いと知って」
などと言って、幾度繰り返して見ても、いつまでたっても循環して堂々めぐりをするしか仕方がないでしょう。

   縦の真理だけでよいか

 そこでこの話は中断して、あなたの体験であるところの「人間は神の子だ。病気はないぞ。肉体も無いぞ。心も無いぞ。心なんてないんだから何を思おうと心配いらぬ。恐れることはない」と
一喝して多くの病者が癒やされたという実例について考えて見ましょう。こういう実例がでるのだから、
あなたは「人間・神の子、病気は無い」の縦の真理だけで、病気などは無いのだから、病気は消し飛んでしまう、心の法則を説く必要もないし、「心が変わらねば病気は治らぬ」などと
言って、心を改めさせるために横の真理などを諄諄と説く必要はない.........と言われますが、成る程、或る人々に対しては、「人間・神の子、完全円満」の縦の真理を説くだけで充分であります。

 生長の家本部の飛田給練成道場では、概ね「人間・神の子、完全円満」の縦の真理だけを説くだけで、ヒロポンの中毒が治ったり、無数の悪癖が治ったりしています。
「その悪い心を直せ」などと言って「心」を直すことを説きはじめると、“その悪い心”を心で掴むことになり、掴むがゆえに“悪い心”は固定化して消えないことになり、或いは「心を改めよ」と説教してくれる人に反抗心を起こして、
更にその“悪い心”を増強してしまうことになります。それですから、「心は無い」「人間・神の子、完全円満」と説かれると、原因である「悪い心」は雲散霧消してしまいますから、「人間・神の子、完全円満」の縦の真理だけで、ヒロポンの
中毒患者や、色々の悪癖や、無数の病気が解消するのは当然であります。


 『人間そのものの発見とその自覚』 谷口雅春 先生著


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