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聖典引用 板
1589
:
復興G
:2012/11/07(水) 19:36:46 ID:vWpLkCzM
たいへん申し訳ございません。(2) (2回目)が抜けておりましたので、あとになりましたが、ここにアップさせて頂きます。
よろしくお願い申し上げます。合掌
<第8回 WEB誌友会用テキスト>
『生命の實相』 第2巻「實相篇下」より (2)
-----------------------
さすがに岩野博士は医者だけに、病人自身の主観的要素の這入(はい)らないように、いわば学用患者を人間にしないで動物にし、ひたすら術者の心力(しんりょく)が、どの程度まで動物の健康状態を左右するものであるかを実験しようとせられたので、実にその結果は科学的価値あるもので坊間(ぼうかん)の心霊術者の報告と同一視できないのであります。
ところがその結果をみますにハブ蛇毒の致死量を注射されたモルモット三匹のうち二匹は、術者の精神力によって死ななかったというのは実に興味あるものといわなければなりません。
また結核菌を注射された五頭のモルモットは、たとい後に消化器病で死んだにしましても、術者の念力が加えられた三頭は体重が増加し、他は皆やせていたのであります。
病を予想する念力と、治癒を予想する念力との戦い(p.5)
ともかく、これで人間の念力が病気を治し、または毒薬を無毒にしてしまう力があることを証明されたといわなければなりません。それならば、なぜどのモルモットもみんな術者の念力(こころのちから)で助からなかったかといいますと、モルモット一頭ごとにおのおの固有の精神的要素がある上、これには術者以外の他の念力が加わっていることを認めねばならないのであります。
精神療法家の念力を認める以上はモルモットは毒素や結核菌を注射した医者の念力をも認めなければなりません。医者はモルモットに毒素を注射しながら「今自分はハブ蛇毒の致死量を注射するから、このモルモットは必ず死ぬ」と信じて、かく心に、無意識にもせよ、念じたに違いありません。あるいはまた結核菌を注射しながら「今わたしはなんじに結核菌を注射するから、なんじは必ず結核に感染して死ぬに相違ない」と医者は信じて、かく心に、無意識にもせよ念じたに相違ないのであります。
ところが精神療法家は、「われこの術を行なう上はいかなる病も癒えずにはいないのだ」と信じてそう念じたでありましょう。
こうなるといっけんこの実験は物質(ハブ蛇毒または結核菌)と精神療法家の念力との戦いであるようでありますが、実は医者の「彼は死ぬ」という念力と精神療法家の「治る」という「念力」との戦いであって、精神療法家の「治る」という念力が勝った場合には、被験動物は死なないで生き、医者の「彼は死ぬ」という念力の勝った場合に被験動物は死んでしまったのであります。
念力一つで同一物が毒にも薬にもなる(p.6)
いったい一つの物質(ハブ蛇毒)に医者の「彼は死ぬ」という念力が加われば猛毒となり、同じ物質に精神療法家の治るという念力が加われば無毒となるのはどういう訳でありましょうか、ここにわれらに与えられたる「真理への鍵」があるのであります。
同じ物質が念力一つで猛毒ともなれば無毒ともなるのでありますから、物質そのものは本来、毒でも無毒でもないのであって、人間の念がこれを毒にもすれば無毒にもするのであります。
<つづく>
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