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聖典引用 板

1586復興G:2012/11/07(水) 19:28:22 ID:vWpLkCzM

<第8回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第2巻「實相篇下」より (18)
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 じっさい「無いもの」を夢に見てその心の状態を肉体に映し出しているのが病気ですから、小酒井博士のように一喝をくらわしたのが動機になってその夢がさめると、忽焉(こつえん)として、喀血の夢も、外傷性肋膜炎の夢も消えてしまう。ここが大切なサトリでありまして、われわれの肉体は、心の影でありますから
 「なるほど自分の生命というものは無限に完全なる神の子だ、その生きる力は無限だ。今まで自分の力は有限なものだと思っていたので、外の力――薬や注射や光線療法などに頼っていたけれども、そんな外からの力は、自分の内に宿っている無限の生きる力に比べれば実に太陽の前の星ほどの力もない」
 ということがハッキリ判り、他の療法や薬にいっさい頼らなくなって、「内から出て来る生命の無限の生きる力」に打ちまかせて生きるようになると、「解剖的に実際在るではないか」と反対論者の示されるような外傷的肋膜炎でも、喀血でも消滅してしまうのであります。
 これも空論ではなんにもならない。実際だから力強い。
 こうなると解剖学的に実際存在するという病気も、ちょっとした心のサトリで消えてしまうのだから、実在だかどうだか、すこぶるたよりないものだといわねばなりますまい。

    直接体験に立脚した自分の生きる力に任せきれ(p.44)

 それだのに病人に限って病気を崇拝している。
 そういう人は目に見えない神を信仰する人を指して迷信扱いしがちでありますが、じっさいちょっとしたサトリで消えてしまうようなはかない存在力しかない病気をあたかも無限の力をもっている神のように崇拝し、その前にひざまずき、薬代だの、注射料だの診察費だのと、やたらに多額のお賽銭を捧げている人こそ迷信家ではありませんか。
 「生長の家」はこういう病気迷信を撲滅し、真の正しい信仰――自分が生きているという否定しえざる直接体験に立脚し、この自分を生かしている無限の生命力を礼し、敬し、この無限の生命力にまかせきって生きる道を指導するので、それは実に生命の直接体験に立脚しているのであって、頼りない感覚や、その感覚の眼鏡を通して見たらこう見えたというような不確かなものを根拠としているのではありませんから、決して迷信的分子はないのであります。

 さっきの湯本医院の楽屋ばなしにありますように、薬剤で病気が治ると思うのが迷信なのであります。
 病気を治すのは自分に宿る生命力(神)のみであります。
 皆さんのうちには『生長の家』も読み、薬も服(の)み、そのほか、いろいろの治療法も手当たりしだいにやってみてそのどれかが効くであろうと、八方美人式に数多くの治療法に秋波(いろめ)を使っている人があるかもしれませんが、この八方美人主義は他のことにはよい場合があるかもしれませんが、「生命」のことに関してだけは断然いけないのであります。
 「生命力」そのものを信じ、礼(らい)し、まかせきるのと、「生命力」以外の力を信じ、礼し、その力にも半分を委ねようとするのとは、決して両立しないのであります。
 自分に宿る「生命力」以外のものを信ずる、あるいは、ちょっとでもこの「生命力」以外のものから助けを得ようとするのは、自分の「生命力」に全信頼を捧げないことを意味する。これでは「真理」を知ったということができない。「生命の実相」を悟ったということができない。
 宇宙を支配する摂理の手は十方にあまねく自在であり、生命は無限の生きる力をもつのに、何か自分のわたくしのはからいで思い煩い補助しなければならぬであろうと思って、これを行ないに現わすところに「迷い」がある。
 この「迷い」は必然肉体に反映して虚弱な身体となるのであります。
<つづく>


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