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聖典引用 板

1577復興G:2012/11/07(水) 19:22:51 ID:vWpLkCzM

<第8回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第2巻「實相篇下」より (9)
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    感覚にともなう連想暗示(p.21)

 これらの実例はいったいなにをわれわれに語るのでしょうか。それは人間は感覚というものをもっている。この感覚に付随して起こる連想作用によって人間の信念はいちじるしく動揺せしめられ、その信念によって人間は死にもすれば生きもするということであります。
 たとえば若い帰人が除虫菊を毒薬とまちがえてのみくだした時の咽喉の感覚、胆石症患者が施術前にアルコールで皮膚を冷え冷えと拭いた時の皮膚面の刺激、死刑囚の頸部にポタポタとあたかも血潮のようにしたたったなまぬるい水の触覚――その流れ落ちる血潮かと思われる滴々の音、門衛が濡手拭で頸をひっ叩かれた時のゾッとする冷たさ、これらの感覚が伝えたのはみんな危険でもなんでもないつまらない出来事だったのですけれども、その感覚を起こす前に、言葉なり行為なりでいずれもはなはだ大げさな準備的暗示がしてあるのであります。

 すべてひとつの感覚は、その感覚の意義を大げさに吹聴して、お前の咽喉にこんな感覚が起こったときにはお前はこんな病気になるとか、こんな感覚が皮膚に起こったときにはお前は斬られてもう死んでいるのだとか、あらかじめいいふらしておいて、その感覚を一定部位に起こすようにしますと、きっと予告しておいたとおりに病気になったり、死んだりするのであります。
 一定部位に与える感覚というものは、われわれの精神を多少ともその刹那、一箇所または一つの事柄に集中せしめるのであります。つまり一定場所に限られた感覚に誘導されて精神が一時的に統一してくるのであります。
 その精神統一の刹那に、あらかじめ予備的に与えられていたところの「この感じが皮膚に起こったらお前はこうなるぞ!」というような暗示が効果をあらわして、そのとおりの死または症状が肉体に顕われてくるのであります。

    一定の形のない病気に形を与える医者(p.23)

 ふつうの医者は患者を診察し、脈搏を検し、聴診器で患者の内臓の状態をさぐろうといたします。その病気が深く進行していないかぎり、その病気は一定の形を備えていないのでありまして、何病だか医者自身にもわからないような漠然とした兆候があるのであります。
 これに医者が診断して一定の名称をつけますと、たいてい間もなく容体がハッキリした形をとって、そのつけられた名称の病気に断然なって来るのであります。これはいわば言葉の力であります。
 天地が渾沌としてまだ形がないときに、神が「光あれ」といい給うたら光ができたというのと同じで、兆候が漠然としてまだ一定の形がない時、医者が「何病」だと宣言すると、その言葉が種子となって、二、三日もすると、いままで漠然としてハッキリしなかった病状がその指名されたとおりの形にかたまって来るのであります。
 だから病名を軽率にいう医者というものは多くの場合、病気の名付け親であると同時に、病気の生みの親であります。病気の生みの親の好きな人は、常に医者と仲好しにしていればよいわけであります。
<つづく>


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