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聖典引用 板

1573復興G:2012/11/07(水) 19:20:20 ID:vWpLkCzM

<第8回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第2巻「實相篇下」より (5)
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    恐怖の生理的影響(p.12)

 憤怒(いかり)は「害悪の精神力」でありますから、積極的に害悪をおよぼす有毒性の生理的物質を発生せしめますが、恐怖心や不安は消極的に小さくちぢかんで相手の目をのがれて身を完うしようという精神力でありますから、われわれに恐怖心や不安があるとすべての生理的器官は小さくちぢかんで完全に働かないのであります。それで必要な消化液やホルモンの分泌量は減じ、完全に生理的機能を発揮することができなくなり、同時に全身の細胞を統帥してその活動力を鼓舞しているところの本人の精神力が恐怖に襲われて萎縮しているのでありますから、弱将の下に強卒のあるわけはなく、全身の細胞ことごとくが活力を失って病気に対する抵抗力を弱らしてしまうのであります。これひっきょう恐怖という虚弱な精神状態が客観化して虚弱な肉体となったのでありまして、精神状態によって肉体は強くも弱くも変化する、すなわち「念力(ことば)が肉体となる」のであって、「肉体は念(こころ)の影」だという真理がこれによって解るのであります。

 こういうふうに、憤怒は積極的に有毒物質をわれわれの肉体のうちに作り、恐怖や不安は消極的にわれわれの生理機能を萎靡沈衰せしめるのであるから、健康になろうと思う者や、病気を治そうと思うものは、せひともこの憤怒と恐怖の二大強敵を心のうちより絶滅し、常に心を平和にたもつようにしなければならないのであります。

 わたしは雑誌『生長の家』第二集の第二号に「心の平和の生かす力」と題して、「心の平和」がいかに治病上効果があるかにつき説明し、恐怖せざるナポレオンの「心の平和」の前には、さすがに猖獗(しょうけつ)した伝染病も終熄した実例をあげたのでありますが、現代の医学者もその薔奥に達した人たちはさすがに、しだいに「心の治療」ということを称えるようになっているのであります。

 元侍医頭医学博士入沢達吉氏は、かつて雑誌『實業の日本』において「余が医者としての座右銘」と題して「真に病気を治療しようとするには対症療法の必要なることはもちろんであるけれども、まずもって対人療法を試みることが緊切である」と告白して「医者たるものは病気を治療するだけではいかぬ。病人たる人間をも治療せねばならぬ」という西洋の格言を引用していられるのであります。

    心を治せば病気が治る(p.13)

 ありふれた庸医(やぶい)たちは病気を治そう治そうとばかり心がけて、人間全体、すなわちその「心」までも治そうとはしないために失敗するのであります。彼らは人間というものをまるで部分品を寄せあつめて造った機械であるかのように心得ていて「有機体としての人間」全体を治そうとはしないで、悪いところがあればその悪いところを切って捨てる式の治療をするのであります。だから病気が治って人間が死んだり、一つの病気が影をひそめて他の病気が入れ代りに発生したりするのであります。

 「生長の家」では個々の病気を一つ一つ別々には治そうとは決してしないのであって、人間そのもの――「人間の念(こころ)」を根本的に治そうとするのであります。人間の念(こころ)が治って病気が治らないということは決してありえないのでありまして、最近にもある読者から次のような感謝状に接したのであります。
<つづく>


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