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聖典引用 板

1572復興G:2012/11/07(水) 19:17:14 ID:vWpLkCzM

<第8回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第2巻「實相篇下」より (4)
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    肉食生活者の短気な理由(p.9)

 ところでわれわれが動物を食します場合には、むろん動物の唾液などを食べませんから、唾液中の毒素を食べる恐れはありません、しかしわれわれが肉食をする場合には筋肉組織中に含まれている血管も一緒に食べてしまうのであります。牛肉などは血液は大部分は搾り出してしまってあるのですが、その血管内にはやはりいく分の血液が残っており、その血液の中には「憤怒の毒素」と中和してはじめて無毒となるところの有力な毒分(抗毒素)が含まれているのであります。肉食家は肉を食するごとにこの毒分を食べているのであります。

 医家の説によりましても、また実際の人間について見ましても、また肉食動物と菜食動物とを比較してみましても、肉食する物は非常に気が短くて腹を立てやすいのであります。これはなぜかと申しますと、常に肉食している結果「憤怒の毒素」と合して中和しなければ治まらない毒性をもった抗毒素を吸収しているので、この抗毒素を中和するために「憤怒の毒素」を必要とする結果、生理的に怒ることを要求して来るのであります。だから肉食家はどうしても腹を立てやすい、羊や馬はめったに腹を立てないが、虎や獅子はすぐ腹を立てる。人間でも肉食をしているとどうしても興奮しやすいので、あまり神経過敏で夜中眠りにくいような人は肉食を避け、菜食にする方がよいとは専門家の説であります。

 メタフィジカル・ヒーリングの立場から申せば「何を食(くら)い何を飲まんと思い煩うことなかれ」でありますから、肉食菜食は問題にはならない。ただ「摂理」がわれわれに与えてくれたところのものを感謝して平和な心で食べていればよいのでありますが、ここに肉食菜食の話をしましたのは、心の作用(はたらき)がどういうふうにして客観化して生理的物質となるかの経路をご説明申し上げるためであります。

 元来物質には毒性も抗毒性もないのでありまして、これに毒性を賦(あた)えたり、抗毒性を与えたりするのは「念(こころ)」の力であります。ハブ蛇毒はハブ蛇の「害悪の精神力」が物質化したのであって、精神力がまず起こってそれが物質化して毒物となるのであって、物質が先ではないのであります。

 物質そのものに毒性というものが固有しているならば、物質の毒性が精神の力によって解消してしまうことはできないはずであります。ところが前述しましたように、岩野医学博士がモルモットに試みた実験によれば、物質的存在と思われたハブ蛇毒の毒性が、精神療法家の念力によって中和して、毒性を発揮しなくなったのであります。
 これは物質の毒作用というものは本来物質の固有的性質ではなく「念(こころ)の力」によって生じたものであるから、反対の「念の力」を作用させればおのずから消滅するという「生長の家」の主張に裏書きを与えたわけであります。

    口よリ出ずる言葉なんじを穢(けが)す(p.11)

 「念(こころ)の力」で、毒物も毒にならぬということが解ればわれわれは実際もう、キリストのいったように「何を食らい何を飲もうかと思い煩う」必要はないのであります。キリストはまた「口より入るものはなんじを穢(けが)さず、かえって口より出ずる言葉なんじを穢す」といっています。
 物質そのものに本来の毒性がなければわれわれは何を口より入れて食べようともわれわれを傷つけることはできないのであります。かえって、これは「毒になる」とか、「これは消化が悪い」とかいって批評する口より出ずる言葉の力が心に恐怖心や不安を起こせば、その心の力で毒素が自分の生理的組織内にでき、必要な消化液やホルモンの分泌量を減じ、本来毒性のない物質までも毒性を有するかのごとくわれわれを害するにいたるのであります。
<つづく>


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