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聖典引用 板

1464うのはな:2012/10/19(金) 20:22:42 ID:a.OcI.Rc

 こうして心の思いを文章という形に現して、書き終ったら、それを佛様或は神の祭壇
に供えて、“神様この私のいやらしい心を浄めて下さい。どうぞ佛様、貴方のお力によってこの汚れている
心を浄めて下さい”と言ってお願いをして、浄化の神力佛力を呼びだすために、それに対して聖経『甘露の法雨』を誦んで、
直ぐそれをおろして焼いてしまうか、何処かへ流してしまうというようにすればね、いままで心の中に固まっていた腹立ちの感情が、
文字という形に現れて、それが焼かれたり流されたりして捨てられて無くなることになるから、その心の痛みが内攻して神経痛に罹っているのが
治ってしまうんですよ」と言って教えてあげたのであります。

 それから一ヵ月程したとき、又、その青木さんがやって来られました。そして言われました。
「先生に教えられた通り、それを詳しく書いて、鎌倉の友達に送ってあげたのです。
そしたらその日のうちに、もう一年間も続いておったその全身の神経痛が治ってしまったのです。それで
今は小学校へ通って、健康でね、幸福な生活を送っておりますという禮状が来ましたので、お禮を申し上げます」と
言われたのであります。

 この話を私は講習会の時に時々するんですが、それを宇治の講習会で私が話した時に、その頃吉田武利講師が宇治に勤めていて、
その話を聴いて、“いい話聴いたなあ”と思ってこれを宇治の道場へ練成に来る人たちに応用してみたら良かろうと考えられた。
生長の家の道場へ練成に来る人たちは随分色々と悩みやらを持っている人が“救われたい”と思って来るのだから、だから集まる人々は
皆心の中に何かの悩みやら不平やら色々持っている。

 そこで練成に来た人にその心の中の悩みや不平や怨みや鬱憤を紙に詳しく書かすことにして、その書いた紙を祭壇に供えて祈り、それを
集めて燃やしながら聖経『甘露の法雨』を誦んで、「聖経読誦の功徳によってこの汚れたる心の迷いの罪も業も悉く消えてしまって、自分の心は
清浄、完全なものになります」という、そういう思いを起こしながら聖経を集団で合誦する。
これによって心が浄まり、その結果として病気が治るにちがいないというので、それを浄心行と称して實行することにした訳であります。

『人間無病の原理』 P111−112 谷口雅春 先生著


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