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聖典引用 板
1423
:
うのはな
:2012/10/15(月) 15:38:25 ID:r.C5sfeA
生長の家は単なる唯心論ではない
唯物論を抛棄すると言いますと、その対蹠的な唯心論ということを考える人が
多いのですが、生長の家では「唯神実相論」と言っていまして、「人間の心」が何でも
創造すると云うのではないのであります。
唯神のみ、実相のみ、実在であって、人間の妄心などみとめないと云うのが、生長の家の
説いている唯神実相論の哲学であります。現象世界というのは、これは神様の造ったものじゃないの
であって、神様の創った“実在の世界”のその表面を、雲の漂うように“心の迷い”をもって蔽いかくして、
もやもやと現している“虚の世界”にしか過ぎないと云うことを、説いているのであります。
実在は満月のように円満完全であるのに、心の曇りがもやんもやとしているから、ハッキリと明るい円満な月が
あらわれないで、薄暗い、斑点のある汚い月が現象として見えている。
その、もやもやっと縺れ紛糾しているこぐらかった心を、さっぱりと、ほどいてしまったら、それが即ち“解脱”であります。
解脱とは一切の束縛から、ほどかれ、脱することで、そうすると、自由自在の本来の実相、実際の状態が現れて来るのです。
これが仏の状態であります。
『涅槃経』には「解脱をもって仏となす」と書かれていますが、私たちは本来の自由自在を奪還して一切の苦厄から解き脱した状態に
なって終うのです。そして人間の「いのちの実相」の円満完全な姿がそこに現れて来るのです。それがエデンの楽園の奪還であります。
楽園を地上に奪い還して、もう一ぺんこの世界を、地上天国的な状態にしようとする運動が、
この生長の家の人類光明化運動であります。
『日常生活の中の真理』 無門関・聖書篇 谷口雅春 先生P167-168
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