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聖典引用 板

1408復興G:2012/10/06(土) 22:25:29 ID:vWpLkCzM

<第7回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第1巻
  《實相篇(上)光明の真理 第7章》 より(11)
       (頭注版 p.217〜219)
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     食物の小言は禁物

 よく滋養物だの栄養料理だのといって、「知恵の樹の果」の一種なる栄養学にとらわれている方がありますが、そういう方に限って、その日その日の食膳にのぼる食物をなんらの権威のない栄養学の立場から批評して、コレは悪いとか、アレは悪いとかしじゅう小言ばかり云う傾向があるのであります。小言は心の平和が乱れた証拠であります。
 よほど修養のできた人でも、栄養学にとらわれている限りは小言を口でいわないだけで、心の中には「こんな物は滋養にならぬ」とか、「こんな物は胃腸に悪い」とか不平や恐怖をとなえながら食べているものであります。すると食物そのものは決してわれわれの健康を害することがないにもかかわらず、心が平和を欠くために、心でその食物が身体に悪いだろうと予想し恐怖するために、その心の乱れを整理作用に映し出して、その人の健康はしだいに調子を乱してくるのでありまして、食物そのものにわれわれの生命を害する積極的力はないのであります。

 このようにわれわれの肉体の栄養分の調節は、外からは摂理と本能がやってくれ、内からは自然の生命力が調子をとってくれるのでありますから、われわれは何も自分で何を食らい何を飲まんと思い煩う必要はないのであります。
 もし外からの調節ができなくなり、外界からある栄養素をぜんぜん引き抜かれましても、心さえ平和であればわれわれは一燈園の西田天香氏のように病気にならずにいられるのであります。
 だいいち、神の子たるわれわれ人間、創造(つく)られた物のうちでも神のもっとも完全な万徳を賦(あた)えられてすべての多のものを支配する権力を与えられたわれわれ人間が、消化不良といって、食べた物質にアベコベに支配されるというわけはないはずであります。
 だからもし諸君が消化不良であるならば、もし糖尿病であるならば、もし腎臓病であるならば、そのほかおよそ食物に原因するという病気にもしかかっているならば、今後決して、食膳にのぼる食物の成分を考えたり、固さを考えたり、これを食べてはよいか悪いかなどと考えたりしないで、自然の摂理によって食膳に運ばれて来るものを、神から与ええられたる自分にとっての最善の食物として感謝して素直に食べるがよいのであります。
 これが唯一のこの種の病気の心的治療法であります。

 生命や活力やその他なんらかの積極的力が物質そのものにあるという信念――こんな迷いの信念を捨てて、「われこの食物を神より与えられたれば、最善の食物なり」との信念で、いかなる食物をも平和な、素直な恐怖のない心でとるとき、この正しい信念が自分で自分を養うて、その人はいかなる食物からでも人一倍豊富な栄養を吸収することができるのであります。

<完>


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