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聖典引用 板

1406復興G:2012/10/06(土) 22:23:38 ID:vWpLkCzM

<第7回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第1巻
  《實相篇(上)光明の真理 第7章》 より(9)
       (頭注版 p.213〜215)
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 この点では人間は「知恵の樹の果」を食べて人知というもので、病理学だの、衛生学だの、栄養学だのという「迷いの学問」を作りあげ、あくまでもその学問の力で食物を選択しようとしていますから、学問を超越した生命自身の選択力――正しい「本能」――を非常に鈍らしているのであります。この点では動物の方が偉い、ひよこでさえ卵の殻を破(わ)って出るとすぐ、何が自分にとって適当な食品であるかを本能的に知っているのであります。

 蚕(かいこ)でも、毛虫でも、どの植物の葉が自分の食品として適当であるかを知っていて誤らない。また食物を子供に当てがってやる毛虫の親にしても必ず自分の子供に適当な食物を与えるのであって、人間のように、親の与えた食物の選択が誤っていたために子供が腸をこわしたなどということはないのであります。
 毛虫の親は蝶でありますが、蝶は必ず自分の子供が孵化して幼虫となった時に食物となるべき植物に自分の卵を生んでおくのであります。こうなると人間最高の知恵の結晶たる大学教授の栄養学よりも、毛虫の「本能」の方がすぐれているといわねばなりません。
 われわれはまた、野生の毛虫が食い過ぎて胃腸を悪くしたという実例を見たことはありません。またわれわれは犬や馬が過淫で神経衰弱になった例に接したこともありません。「正しい本能」に導かれるものは、決して過食することも、過淫することもなくなる。これは正しい「本能」というものが生命自身の選択力、調節力の発現であるからであります。

     本能を正しくする道

 では、「本能」を正しくするにはどうしたらよいか、われわれはエデンの園で人類が一度蛇にだまされて食べたという「知恵の樹の果」をことごとく吐き出してしまって、神の英知(ちえ)を心の中に吸い込んでその導きにおまかせしなければならないのであります。

 では「知恵の樹の果」を吐き出すにはどうしたらよいでしょうか。「生命」を「生命」とせず人間を物質的機械と観ずる在来の「迷の学問」をば、「生命」を「生命」として取り扱う真学問の光りで照破するのが何よりもよいのであります。
 仏典にも、聖書にも、日本の古典にも、「生命を生命として取り扱う真学問」が書いてあるのであります。これらの聖典が尊いのはそれが釈迦の言葉だから尊いの、イエスの言葉だから尊いのというわけではなく、この「真学問」が書いてあるから尊いのであります。
 しかし、仏典、皇典の難解はいうまでもなく、聖書にしましても、表面はかなりやさしいけれども、それは霊感によって書かれたのでありますから、表面の字句だけを読んで、霊感でこれを読むことができなければ、本当の真理がわからず、真理がわからねばせっかく読んでもなんにもならないのであります。だから仏典でも、聖書でも、古典でも、それを読んで病気が治ったという人はめったにない。それは読んでも本当に解らなかった証拠であります。


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