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聖典引用 板

1404復興G:2012/10/06(土) 22:22:22 ID:vWpLkCzM

<第7回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第1巻
  《實相篇(上)光明の真理 第7章》 より(7)
       (頭注版 p.208〜211)
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 わたしが、こういうふうになぜなれたかと申しますと、以前には胃袋というものは一種の物質の袋であって、ある目方以上のものを入れると、ゴムのように伸びてしまって収縮力を失ってしまうと教えられて、それを信じていましたから、信じたとおりにわたしの胃袋は収縮力を失っていたのであります。
 ところが、わたしは「念(こころ)」と「肉体」との関係を研究しているうちに肉体の状態は念(こころ)の状態を形にあらわしたものであるということがわかってきたのであります。
 「念(こころ)」を抜きにした胃袋そのものは収縮する力も消化液を出す力もない。胃袋を収縮したり消化液を出したりする力は念(こころ)にあるのだ。医者はわたしの胃袋を弛緩症だというが、本当は、食物や飲料を恐怖する念が、自分自身の恐怖心のために胃袋を収縮することを怠っているのである。病気は念にあって胃袋にない。今までわたしは胃病だと思っていたが胃病ではなかった――こういう真理がだんだん明瞭にわたしの念に刻まれてくると共に、わたしはわたしの胃の弛緩症を実在しないものだと信ずるようになり信じたとおりに私の胃病は実在しなくなったのであります。

 このわたしの経験と同じようなことがエディ夫人の著書のなかにもあります。それは消化不良症の一児童にグラハム式摂食法を応用した実例であります。

 この児童は消化不良症を癒すために、パンと野菜のみを食し、飲料はただ少量の水のみに限られていたのであります。しかるにその消化不良症は少しも良くならないでますます悪くなって来ました。で、彼はいっそう厳重に食養生を守ろうと決心して一日一回ただ薄い一片のパンだけを水も何もなしに食べることにしました。医者はまた食後三時間たたなければ、その渇いた咽喉(のど)をうるおしてはならないというのでした。
 こうしてこの児童は数年間ほとんど飢餓のなかで生活しましたけれども少しも彼の胃は丈夫になりません。
 医者はあらゆる手段をつくしたがその胃病を治す術(すべ)を見いだすことができないので、「この病気は死ななければ治りますまい」といったりしました。病人の方でもこんなに苦しい希望のない生活を続けるくらいだったら死んだ方がましだと思いました。

 この時、彼はエディ夫人と相識(し)るようになったのです。
 彼は病苦の数年を経過してもう青年になっていました。エディ夫人は彼に真理をといて聞かせました――病気と苦しみとは人間がわれとわが信念でかってに作った幻である。愛の神、全能の神は決して病気を作りはしないのである。だから病気は「実在の世界」にはないのである。神は決して断食や減食をしなければ健康が維持できないようには人間を不完全には造り給わなかったのである。だから、断食健康法などというものは神の造り給いし「実相の世界」の健康法ではない。そんな健康法は夢の中でお化けに追いかけられてやはり夢の中で走って逃げているのと同じである。夢の中のお化けが恐ろしければ夢の中で走って逃げてもなんにもならない。ただ覚めればよいのである。
 真理に目覚めればすべてのお化けが消滅する。つまり「生命の実相(ほんとのすがた)」がどんなに完全なものであるかを自覚したら、本物でないニセ物の病気はおのずから消滅して人間は健康になるのである。――こう彼はエディ夫人から教えられました。

 この真理が彼の病気を消滅させました。もう彼の胃袋は何を食べても痛みませんでした。また欲するものは何を食べても栄養になったのであります。

 そこで皆さんにはこういうことがわかるでありましょう。食物が肉体に害になったり栄養になったりすることができるのは「迷いの心」――一種の信念――がかくのごとき力を食物に与えるのであって、食物本来の力ではないのであります。


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