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聖典引用 板
1400
:
復興G
:2012/10/06(土) 22:19:28 ID:vWpLkCzM
<第7回 WEB誌友会用テキスト>
『生命の實相』 第1巻
《實相篇(上)光明の真理 第7章》 より(3)
(頭注版 p.199〜201)
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病気を超越する法
病気とは心が病み、心が痛むのであって、心の病、心の痛みを「肉体が痛みを感ずる」という不合理な迷信によって、肉体の上に投影し、最後にその心の力によって、肉体の化学的成分、肉体の生理的作用にまでも病的変化を起こすことになるのであります。
ここの道理がわかって来ますと、われわれはけっして自分の欲しない肉体の状態を、自分の心に想像しないようにしなければならないのであります。肉体を強くしたいと思うものは、かりそめにも、自分の肉体を弱いと思ってはなりません。また「弱い」といつてもなりません。
世間にはおうおう「わたしの生まれつきは体質が弱いもので」などと口癖のように弱音を吐く人がありますが、言葉は必ずその言葉の意味相応な想念感情をよび起こし、その心の働きに従って肉体もまた弱くなって来るのであります。
一つの病気が肉体に発生する――それは水仙の球根から芽が出て蕾(つぼみ)ができ、花が咲くようなものであります。水仙に水仙の花が咲いてほかの花が咲かないのは、水仙の心の中に水仙の花の形が貯えられているからであります。
中耳炎になるとか鼻茸(はなたけ)ができるとかしますと、外科医やふつうの人たちは、ただそれは肉体にだけ病気の部分ができたのであるから、その病気のところを切ってほかしてしまったら、もう病気は無くなるように思っています。けれどもいくたび施術して病気のところを切ってほかしてしまいましても、その施術と同時に心の病気を消滅さすことができなかったものは、いくたびでもその病気が再発するのであります。
施術しまして病気のところを切ってほかすということはなるほど、一時的には手っ取り早い治療法には相違ない――それは水仙の花の嫌いな人がその「花」だけをことごとくキレイに切ってほかすようなものであります。しかし、その水仙が生きているかぎりは、そのうちに「花」や「蕾」の元になる「念(こころ)」があるから、また「蕾」をこしらえ同じ形の花を咲かせるようになるのであります。
病気もまたそのとおりで、施術は手っ取り早いが一時的の効果しかない、心から「病気」の素(もと)を取り去るのは、たとえば水仙を根から引っこ抜いてほかしてしまうようなもので、根から引っこ抜いても、水仙の花はしばらくはいきいきとしているかもしれないが、今度こそは根本的にその花が出なくなり枯れてしまうのであります。
水仙には水仙の花が咲き、梅には梅の花が咲くように、人間にも、おのおのの人に時々咲き出でる病気には一定の型があるのであります。
耳の悪い人は一時治っていたかと思っても、またしても耳鼻咽喉系統の病気にかかる。
ずいぶん消化器などは達者なのに、風邪ばかり引いているという性質(たち)の人もある。
しじゅう胃腸が悪いのに決して耳鼻の病気にならないという人もある。
このように人間の病気にも一種の「傾向」とか「個性」とでもいいうるような一定の型があるのは、水仙の心から水仙の花ばかりが咲いて他の花が咲かず、梅の心から梅の花が造られて他の花が造られないと同じであって、これは、病気の本源が心にあって心に設計されたプランのとおりに、肉体にその病気が具体化して来てその他にはなりえないという証拠になるのであります。
で、あらゆる病気にかからぬようになるには、心のうちにあらゆる病気の設計図を描かぬようにしなければならないのであります。つまり決して病気というものを心に思わず、病気の説明の本を読まず、治療法や売薬の広告を読まないようにしなければならないのであります。
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