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聖典引用 板

140ハマナス:2012/01/23(月) 00:20:17 ID:u5mC.eb2

つづき

宇宙の真理と云うものは、それを長廣舌を揮って詳密鄭寧に書けば一生涯続けても、
書き終わるを得へく簡単なものではないが、それを百歳の長寿を保って最後の時が来るまで書き続けても書き終わり得るべきものでもない。もう九十三歳の歳を迎えているので
何時、私の霊魂も現世から他界へ移住するよう神から命ぜられるかもわからない。
『碧巌録』の最後の章まで毎月一章づつ書いているのでは、それをとても書き了える
日時まで現世の寿命を保ちえるという保証も自信も私にはないのである。好き機会に終講のチャンスを捉えて諸君とのお別れの挨拶を書いて置くのも老人の智慧であると
思いついてので、読者諸賢に、今まで御愛読下されたそのご愛念に感謝の辞を述べて
置くのが老人の智慧であり、礼儀でもあると思いついたのである。

それで、そのような意味のご挨拶を述べさせて置いて貰った方が、一言の挨拶を
述べないで頓死してしまったような無ざまな死に方をするよりも、行き届いて
生前の御礼を言って置いて、何時他界しても皆さまに挨拶もしないで別れて
行くよりも、此の世に思い残すことがなくなり、もう何も此の世でして置くことは
残っていないと心の肩の荷を卸して、他界へ移転して行く方が思い残すことが
何もない、気楽な気持ちで他界へ移住することが出来ると考えついて、私は今、
この様なあいさつ文を書いているのである。

それでは、「左様なら!!とニッコリ笑って、皆様とお別れ致しましょう。
しかし今別れても次の境涯で皆様と再会する時期が屹度来ると信じます。
私は今年(編註:昭和六〇年)四月の何日でしたか、好天に恵まれまして
「西海橋」と、その別れにふさわしい再会を約したような名称の。長崎に
住んでいる人なら誰にでも再会のできる西海橋公園に参りました。
その日は見渡す限り桜花爛漫と咲き揃っている公園で、昨年此処で出会った
人々とまた今年も斯うして再会できる喜びを祝ったことでありました。
まことに西海橋公園は、彼岸(彼方の岸)に渡す橋の下に見渡す限り桜花が
爛漫と咲き揃っているのでした。橋を通って彼岸に渡ってしまわないで、
その下へ墜落しても、此処が再会極楽浄土になっているという実相常楽世界を
象徴的に再現したような世界(公園)なのです。この世界そのものが公園
なのです。私は此処へその日、好天気に恵まれまして観光に参りました。
私がいつでも出かけようと思う日は、いつも好天に恵まれるのです。
いえ、それは、その日が好天だから出掛けようと思ったと云うような順序で
起こる現象ではないのです。私が自由意思で、”今日は出掛けよう”と思うと、
今まで雨が降り様に一天掻き曇っているような時にも、急に雲が動き出して
間もなくj晴れ渡って蒼空になってしますのです。まるで、天の司(つかさ)“が
私の外出を霊感によって察知し、空の雲を蹴散らしてしまうようにです。

もう十数年前の事になりますが、私たち夫婦がドイツに参りました時には,恰も
多分十月頃だったと記憶しますが、その頃にはドイツは朝雨が屡々降る季節なのです。
その頃私をドイツ旅行で案内して下さったのは、日独交換教授で其の頃ドイツに
滞在中の山田先生と云われる方でした。ある日私たちは一行が出かけようとすると、
山田先生は、今にも一雨降りそうな暗黒なお空の様子を見て、「今日は外出を
止めときましょう。雨降りですから」と言われました。「いいえ、私たちが出かける
時には雨は降らないことになっているのです」と私は言って、観光に出掛けましたが
お空はいつの間にか晴れ渡って一滴の雨もその日は降りませんでした。
何でも私たちが外出して行動をおこそうとすると、天候までも私たちの行動を祝福
するが如く、振りかけている雨もやんでしまうのです。こう云う現象を私は
「潤滑現象」と名づけました。その後、日本の若い学者の心霊現象研究のグループ
の機関誌を拝見していますと、それには、そのように何事もスラスラと潤滑に滞り
なく日常生活が行われる現象を、やはり「潤滑現象」と名づけておられるのを
拝見しました。


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