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聖典引用 板

1398復興G:2012/10/06(土) 22:18:11 ID:vWpLkCzM

<第7回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第1巻
  《實相篇(上)光明の真理 第7章》 より(1)
       (頭注版 p.194〜196)
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   第七章 「生長の家」の超生理学

   肉体の疲労や病苦は仮想的存在

 皆さんは「あまり歩いたのでわたしは疲れた」こうおっしゃることがありましょう。この「わたし」とは一体なんでありましょうか。この疲れた「わたし」とは筋肉でありましょうか、心でありましょうか、これが問題であります。物質なるところの筋肉は心でないから疲れたと感ずることができません。牛肉の一片が疲れたと感じますか。切り出された脳味噌の一片が痛いと感じますか。そんな事はありますまい。あなたは「疲れた」とおっしゃいますが、そのあなたなるものは一体なんでありますか。それは一片の筋肉の代りに代弁をつとめるものでありますか。じっさい、知性のない物質なるところの筋肉は疲労を感じていない。感じていないものを感じているように思わせる、無いものをあるように思わせる――これは「迷いの心」がそう思わせるのであります。

 皆さんは机が疲労を感じているのをご覧になったことはありますまい。荷車はすれちびても疲れたとも、苦しいとも、痛いとも感じますまい。われわれの肉体は机や荷車と同じように知性のない物質たることにおいてなんの変わりもないのであります。もしわれわれの迷いの「心」が「肉体が疲れる」とか「肉体が痛む」などという不合理なことを空想して、われとわが心の自己暗示で疲れを感じたり、痛みを感じたりしなかったらば、われわれの肉体はいくら働いても疲れるということも、いくら無理しても痛むなどということもないのであります。

 じっさい肉体は物質であるから疲れない――疲れようがない、痛みようがない、苦しみようがない。だから疲れたと思わせ、痛いと思わせ、苦しいと思わせる迷いの心を捨てさせ、「本物の自分」――神に造られたままの自分をほんのしばらく振り返って自覚するようにすると、数時間もポカンとして休息するよりも身体がやすまって来るのであります。

 先日もある誌友の方から「仕事の合い間、あいまに『生長の家』の数行を読むと疲労が回復してきて、また生き生きした精力で仕事が続けられる」と感謝してこられたのであります。これはわれわれが大生命からいただいた生命そのものは決して疲労することができないものであって、疲労なるものは「迷いの心」が造った空想でありますから、『生長の家』のような真理の書物によって「迷いの心」を追い出せば、その「迷いの心」の産物なる疲労も、おのずから消えてしまう証拠であります。

 痛みでも同じことであって、肉体という物質そのものは、たとい如何に壊れていようが痛みを感じないものでありますから、われわれが「肉体が痛い」と感ずるのは「迷いの心」がそんな空想を描いて自己暗示でかってに、無い痛みをあると思って苦しんでいるのでありますから、「迷いの心」を他に転じてしまえばその痛みは消えるのであります。
 たとえば、胃が痛いといって苦しんでいる患者があれば、この全集の読了者が軽く患部に手をあてて真理を黙念して「痛みは本来無い、生命は神であるから完全である」と念じていると、痛みは消えて病人はスヤスヤ眠ってしまうのであります。
 この原理を体得しますと、無痛安産でも無痛施術でもできる。身体に百本も、かなり長いヘヤーピンを突き刺して決して痛くないというような実験をした人もあるくらいであります。

 元来、自然な生理的現象であるお産などに痛みを感ずるはずはないのであります。エディ夫人の本を読んで無通分娩をした実例は本書の第三章にあり、第三巻には早期破水逆産の無痛分娩の実例をあげておきましたが、本書を読んで健康の真理が解ればおのずから無通分娩ができるのであります。もしそれができないならば読んでも書いてあることの意味が体得できなかったからでそんな人は、本部道場または各地の教化部および誌友相愛会での直接指導で好結果をあげています。


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