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聖典引用 板

1397復興G:2012/10/06(土) 22:17:19 ID:vWpLkCzM

<第7回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第1巻
  《實相篇(上)光明の真理 第6章》 より(11)
       (頭注版 p.191〜193)
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 昭和五年十一月十九日にありました生長の家例会で、平野町新聞社の松浦長寿(ながとし)君が話された実話によりますと、当時、大阪天王寺区南日東町(みなみにっとうちょう)方面委員をしている松本外次というもう六十数歳になる老人があった。何教の信者というわけではないが、非常に隠れたるところに徳を積むということが好きな老人で、常に無宿の人を助けたり無縁の死者を葬ったり、貧しき人に施したりすることを楽しみにしていながら、右の手にした善行を左の手にも知らせないというような人であった。松浦長寿氏が一度平野町新聞にその徳行をのせたいと思ってその老人を訪われると、自分は知られるために徳行をしているのではない、人に知れたら自分の善行はそれで消えてしまうのだといってしいて辞退されたそうであります。
 その老人は近所に病人があるということを聞くと見舞っては「道」の話をしてあげることにしていられた。そして病人に対してあなたのこの心得が悪いとかこういう行いをしなければならぬとかいうことを指摘して、本人の心を道にかなうように導かれる。すると、おのずからその病人の病気が治ったのであります。
 この方法で治された人は、実に挙げて数うべからずだそうでありまして、葉書の礼状ばかりでも四、五寸の高さがあるほど集まっているとは、それを見て来た松浦氏の話であります。ところが治った病人が礼をもって来る、礼をもらっては、天の倉へ貯えた徳が消えるというわけで、またわざわざその人の家へ返しに行かれたものでありますが、それではあまり繁雑に耐えられないというので、やがて病気を治すことをやめて、晩年は礼を決して持って来るおそれのない無縁の浮浪者に施したり、無縁仏のために碑を建てたりして余生を送られたそうであります。
 それはとにかく、病人に道話(どうわ)をしてあげて、病人が自分の心の持ち方の非を悟ったとき、自然に、その人の病気が治るということは非常に面白い事実ではありませんか。この老人の「道話治療法」や最近の精神分析学(サイコアナリシス)は、いかに病気が「罪」や「心の障(さわ)り」から起こり、「罪」を除き、「心の障り」を除けば自然に治るかを明かにしていて、まことにわれわれの参考になるのであります。


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