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聖典引用 板
1396
:
復興G
:2012/10/06(土) 22:16:41 ID:vWpLkCzM
<第7回 WEB誌友会用テキスト>
『生命の實相』 第1巻
《實相篇(上)光明の真理 第6章》 より(10)
(頭注版 p.189〜191)
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われわれの経験によると病気はかなりな大病でも治りやすいのでありますが、性格は病気よりもいく分治りにくいのであります。この理由を考えますに、人間は病気というものに対してはこれは自分の本性ではない、本来自分は健康であったのだという「自覚」がたいていはある。その上、この病気をぜひ治したいという「熱望」がある。この「自覚」と「熱望」とが病気の治る上に非常な助けとなるのであります。
ところが性格の欠点にいたっては、よほどの反省のある人でない限りは欠点があるか無いかもわからない。低い程度の性格のままで神の子だと思い上がって「神の子」たる自分の真我(ほんとのわれ)に対して安い値段をつけて甘んじている。だから、自分の性格の欠点を治したいとも思わず、よいかげんのところで自分をごまかして、自分はこれで向上の余地がないというような思い違いに陥りやすいのであります。これを高慢とか慢心とかいいまして、性格の向上の上に非常な障(さわ)りになるのであります。
むかしから聖人君子といわれるような徳の高い人ほど自分の罪深さをひとしお感ずるというのは、「真我(ほんとのわれ)」に一文も負けない正札(しょうふだ)値段をつけているから、今の程度の自分ではまだまだ偽我(にせのわれ)であって正札値段に達しないということを感ずるからであります。
ところが、自己批判のたりない人は、よいかげんの現在の自分のままの低い人格であって、すでに高い「真我」の正札値段に達していると慢心しているのであります。
こんな人には「自分は神の子だ」という本当の自分がわからない。こんな人たちに「自分を尊べ」といいますと、不徳のままで大天狗になって不完全な「偽我」を尊ぶだけで「真我」に低い値段をつけていばっているのでありますから、かえって「真我」を安く見くびっていることになり決して本当の自覚に達しないのであります。
「真我」に高い値段をつける――すなわち「自己の本性」を本当に尊ぶ人とは、常に自己を反省して今の状態ではまだ本物の自分に達していない、これからどれだけでも向上の余地があるということを自覚して毎日精進を続ける人でなければならないのであります。
慢心を去れば治る病気
本当の自尊ははなはだけっこうでありますが、この「偽我慢心」と、病気やいろいろの物質的不幸を恐れる恐怖心と――この慢心と恐怖心とは人間が本当の自由を得る――すなわち真性開発上の二つの重大な妨害となるのであります。
慢心があれば性格上の欠陥を生ずるばかりでなく、肉体上の病気を生ずることもあります。そしてこれは、単に病気に対する恐怖心から起こる病気よりも複雑であって、恐怖心を取り除くだけでも薬物療法だけでも治らないので、慢心を取り除いたら初めて治るのであります。この慢心を取り去るには自己を反省し、自己を凝視し凝視して、自己批判を厳重にしなければなりません。
近ごろの新しい精神科学、精神分析療法では、患者の精神を分析して隠れている慢心――そのままの不完全の自分でいながら家人にうち勝ちたい心、医者にうち勝ちたい心、社会にうち勝ちたい心等の不満足を――ありありと分析して患者の目の前にさらし出せば、ただそれだけで治る種類の病気がたくさん発見されているのであります。
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