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聖典引用 板
1395
:
復興G
:2012/10/06(土) 22:16:01 ID:vWpLkCzM
<第7回 WEB誌友会用テキスト>
『生命の實相』 第1巻
《實相篇(上)光明の真理 第6章》 より(9)
(頭注版 p.187〜189)
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この思念が徹底し、魂の底の奥の心までこの真理が自覚されれば、それで病気が治るのであります。性格でも同じことでありまして、たとえばここに小さなことにでも腹が立ってしかたがない性格の人がある。こんな人に「おまえは神の子だ、完全な性格である」と教えるとしますと、「なるほどわたしは神の子であって、この小さなことにも腹を立てやすいということが、そのまま完全に偉いんだな」と思ってしまったとしますと、この小さなことにも腹を立てるという性格は決して治らないのであります。なぜならばそれでは反省がなく、懺悔がなく、自分の悪いところを捨てるということがないからであります。
腹を立てる性格を治すには、第一に自分を反省して「偽我(にせのわれ)」と「真我(ほんとのわれ)」とを見わけ、この腹を立てるというような小さな狭い性格は偽我であって、本当の自分ではないとしていったんそれを捨て去り、その捨てたあとにハッキリと「自分の本性は神の子であるから小事には決して腹を立てない完全な自分である」という自覚を植えつけることが必要なのであります。
万事こうして偽我を捨て、真我を自覚することによって性格も善くなり病気もなおるのであります。「生長の家は自分を悪く言わない」というのは「真我を悪く言わない」ということでありまして、偽我はどこまでも排斥して消滅さしてしまうのであります。つまらない現在の性格や病気の状態を「神の子」であるところの「真我」の状態であると思い違いしていては、「真我」を悪く言わないどころか、「真我」に汚名を着せているのであって、「生長の家」の主張とはぜんぜん反対になるのであります。
実生活を癒す宗教
真我――これは「神の子」であり、「仏性」であり、真理でありただこれのみが唯一の「実在」なのであります。「偽我」、「病気の我」、「悪性格の我」などはいかに実在するようにみえても、それは「迷い」であり、念(こころ)がかってに胸に描いて、その描いた念(おもい)を蜃気楼(しんきろう)のように空中に映し出しているのであって、その実、決して存在しないのであります。
われわれが本当の「神の子」としての完全な生活、仏子としての完全な生活、病気も欠点もない「理想の我」としての生活を実現するにはぜひ、この偽ものの旧我(ふるいわれ)を毎日毎日捨て去らねばならないのであります。これを仏教では「懺悔」といい、キリスト教では「悔改め」といい、日本神道では「みそぎ」または「祓(はら)い」といって、いずれの宗教でも同じことであります。
玉ねぎの皮をむくように毎日または毎時間一枚一枚と偽ものの皮をむいて祓いのけてゆくのであります。すると、あとには何も残らなくなって、空無自在な我の「真性」だけが残る。この境地には誰でもなかなか一度には達せられないけれども、半分でもこの真性に近いところまで「迷いの皮」がむけ、サトリが開けて来ますと、その心境が肉体にも境遇にも反映して非常にわれわれの実生活がラクになって来るのであります。
宗教とは魂だけを救う教えであって、実生活を救うものではないと思っている方があるかもしれませんが、実生活は心で支配されているのですから実生活を治しえないようなことでは生きた宗教とはいわれないのであります。「形」は心の影でありますから、心を本当に治しうる宗教ならば病気でも境遇でも治しえなければならないのであります。
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