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聖典引用 板

1391復興G:2012/10/06(土) 22:13:08 ID:vWpLkCzM

<第7回 WEB誌友会用テキスト>
 『生命の實相』 第1巻
  《實相篇(上)光明の真理 第6章》 より(5)
       (頭注版 p.177〜180)
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 じっさい、人間の心ほど不思議な畑はないのであります。心の畑へ植えこまれた種子が「真理」(生命の実相)であればその人は健康になりますし、心の畑へ植えこまれた種子が「迷い」(病的観念)であればただちに病気が芽を出し生長するのであります。この点において医者というものは患者から信用せられているだけに、患者に対していう言葉には、なかなか注意を払わなければならないのであります。

 新薬というものが出現しますと、しばらくの間は非常によく効くのでありますけれども、それが広告(言葉の力)を利用しなくなると、たいていはいつのまにか効かなくなって世人から忘れられてしまうのであります。はじめには効いたけれどもだんだん効かなくなるというのは、なぜでしょうか。

 昭和二十七年五月三十日号の『日本経済新聞』に結核予防会第一健康相談所副所長の渡辺博博士が「科学療法と気胸療法」と題して、新薬の効果がだんだん減ることについて次のように書いておられます。

 「病気は薬で治すという考え方は一応もっともであるが、薬だけで治る病気はそう多くはない。薬にはたくさんの種類がある。しかし病原体に直接はたらいて、病気の原因を除くほど力のあるものは少ない。たいていの薬は病気の原因に効くのではなく、病気の症侯をやわらげるのに役だつくらいのもので、痛みを止め、熱を下げて、苦しみを軽くしているうちに、身体に備わった治癒力で自然に治るのを待つのが常道である。

 「土壌菌からえられたペニシリンが抗菌作用を持つことはたしかである。このはたらきが、菌を殺すのか、あるいは菌の発育を阻止するだけなのか、まだ問題は残っている。抗菌作用の本態はまだ全容がつかめない。
「結核菌は肺炎菌と違って、化学薬品に対する抵抗力がはるかに強い。ペニシリンができて、肺炎はむかしほど恐ろしい病気ではなくなったが、ストレプトマイシンではそうはいかない。

 「むかしから結核の特効薬なるものはずいぶんたくさん現われ、すべて、いつとはなしに忘れ去られた。極端な場合は副作用さえさければ、実効があろうとなかろうと薬として用いられた。しかし今はむかしと違う。われわれはある薬剤が結核にはたして効くかどうかをたしかめる有力な試験方法を持っている。

 「最近のイソニコチン酸ヒドラジッドはこの試験に一応パスした。しかしマイシンが発見され、これで結核は治ると思ったのもつかの間、むしろこの薬で肺外科の領域が拡がったように、こんどの新薬も宣伝されるほどの威力はないとみてよい。結核を化学療法だけで治すことのできる日はまだ遠いものと考えられる。……」

 これが結核に対する化学療法、薬剤療法の最新知識というところであります。

 梅毒に対するサルバルサンが発見されたときには、これさえあれば梅毒は完全治癒すると思われましたが、それがだんだん効かなくなっています。新聞や医学雑誌に大きく喧伝(けんでん)された当初だけ新薬がきくというのは、その化学的成分に絶対威力があるからではなく、流行神(はやりがみ)さんと同じことで、新薬だというからよく効くにちがいないと医者も患者も信じている。そこへ新聞雑誌がその効果を言葉の力で宣伝する。ますますその信念が喚起されます。そしてその累加した信念がかさなって効いてくるのであります。ところが発見した当時は、世間が言葉でハヤシたてるが、やがて、それにつにて何も書かず、宣伝されぬようになると、言葉の力がうすれ、きくという信念がうすれて効かなくなるのであります。

 薬にも流行があるように健康法にも流行があります。健康法でも、はじめて発表されて新聞や雑誌の記事や広告に鳴り物いりで大々的に宣伝せられますと、その宣伝の力――つまり言葉の力でその健康法がきいてくるのでありまして、一時はやった何々式健康法というようなものも間もなく世間から忘れられます。


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