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聖典引用 板

139ハマナス:2012/01/23(月) 00:18:32 ID:u5mC.eb2
皆さま、ありがとうございます。

19日の129番から「『碧巌録』終講の辞」を投稿いたしましたが、
最初の部分が未投稿でした。すみません、あらためて全部載せさせて
頂きます。

『碧巌録解釈』後篇――『碧巌録』終講の辞より P.854〜

私が毎日『碧巌録』を本誌(編註。「生長の家」誌)に於いて第九十一則まで講義を
続けて来たが、本稿に於いてその講義を締めくくることにする。それは何故かと
云うと、『碧巌録』第九十二則「世尊陞座(しんぞ)」の項に、「文殊白槌(びゃくつい)
して云く、諦観法王法(たいかんほうおうほう)、法王法如是(ほうおうほうにょぜ)。
世尊便ち(すなわち)下座」とあるからである。
即ち私も『碧巌録』第九十二則の世尊に倣(なら)って口座から下座すべき時が来たと
悟ったからである。
 印度以来の仏法の口座の法式で、禅家に於いては、法座のレギュラーの講師に
較べてもをさをさ劣らぬ最高の学者的人物が 白槌師(びゃくついし)と云う役割を
演ずる。現代で謂わば司会者となるのである。そしてその司会者が、三度槌を打ち
鳴らし、「法筵龍象衆、常観第一義」と言い、新たにカチンと一つ槌を打ち鳴らし、
それが合図に説法が始まる。そしてその説法が済んだという時に、その司会者の
白槌師が再び進み出て、「諦観法王法、法王法如是」即ち「これで法王の説法は
終わりました。如是――是の(この)通り終わりました」という意味を告げることに
なっている。「法筵龍象衆」と云うのは、仏法の講座(法筵)に参聴するために集まった
ところの、動物で謂えば神通自在の「龍」や、哺乳類のうちでは最も巨大な象にも
比すべき大人格者たちを尊敬して呼びかける語(ことば)である。
即ち「此の講座に参聴せられた龍象にの比すべき大人格者たちよ」と呼びかける
挨拶語である。茲(ここ)では、「今迄、私の書いて来た『碧巌録』の講座を毎号
御愛読下さった偉大なる読者諸賢様よ」と呼びかける言葉である。弁舌を揮う講座
ではないところの、文章に於いては、司会者たる白槌師が無いから、筆者の私自信が
白槌師の役をつとめる譯(わけ)である。


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