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聖典引用 板
133
:
ハマナス
:2012/01/19(木) 22:06:25 ID:u5mC.eb2
つづき
これで『碧巌録』第九十三則の”本則”が終わっているのである。
大光禅師とは、もと京兆の人で、法を石霜禅師に嗣(つ)ぎ、その後
潭州大光山の禅院に住持しておられた居誨(こかい)和尚の事だと云う。
ある日、一人の僧來って問う。
「祗(た)だ達磨の如きは是れ”祖”たりや否や」と。
仏法は達磨が教祖となって創始した宗教ではないから、大光禅師は、
「是れ祖ならず」と答えた。すると、問僧は、
「既に祖に非ずんば、又來って何を為す」と問う。
「ただ儞等の薦(すす)まざるが為すなり」(お前達が本当に祖を薦挙しないからだ)
と応えている。すると僧は、「我等が誰かほかの人を推挙した後は、如何?」
と反問している。
すると、大光は、
「方(まさ)に彼を祖とするに足らず」とハッキリ答えている。
ほかの人を推挙しようが、推挙しまいが方(まさ)に宇宙の法則
として、彼は教えの祖として推挙するに足りないのである。
私が『碧巌録』の講義をここに連載しようが、連載しまいが方に(まさに)
私は『碧巌録』講義の祖ではないのである。私の今まで書き綴ってきた講義は、
単に先師の講義せられたところに啓発されたところの祖述に過ぎないのである。
『碧巌録解釈』後篇 [完]
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