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聖典引用 板
128
:
うのはな
:2012/01/18(水) 13:39:14 ID:El6gIMAw
戦時下の人類光明化運動
昭和十六年に入ると国際情勢は緊迫の度を増し、ついに十二月八日、日本は米、英との
戦争状態に入り大東亜戦争に突入した。
谷口先生は最初大東亜戦争を“価値実現のための戦争”と捉えられたが、しかし実際はそれとは
大きく懸け離れた“迷いと迷いの打合って自壊する”戦争へと展開して行ったのである。
戦局の悪化により出版・言論統制も厳しさを増し、印刷用紙の配給が壮絶するに及んで光明図書、
月刊誌の出版も困難になった。更に講演活動にも種々の制約が課せられた。講習会の際にも絶えず警官が
傍聴し、先生は「思想警察から揚げ足をとられないように注意を払いながら」講演されたのである。
しかしこのような状況の下でもご巡錫は続けられた。日本国内はもとより、昭和十七年には朝鮮・満州各地を
ご巡錫。十九年には江蘇省の兵団長小林信男中将の招聘により渡支。中支、北支の諸地方で講演された後、南京に
着かれた。そこで先生は熱心な『生命の實相』の愛読者であった大陸派遣軍総司令官岡村寧次大将と面談され、現実の軍隊が
上官の命令が下に通らないような、とても皇軍とは言えない実情であることを知らされた。
その頃から、先生は敗戦を予感しておられたようである。
そして遂に日本軍の無条件降伏ー敗戦。
《この教えの宣伝をば、もっと政府が理解してくれて日本軍全体に広めていたならば、無論戦争は
起らなかったでありましょう・・・》『生長の家』昭和二十一年二月号より
しかし、先生は「国体は決して滅びたのではない」と言われ、終戦と同時に祖国再建に向って起ち上がられたのであった。
『生長の家の火をかざして』 永遠の谷口雅春先生 P48
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