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聖典引用 板

1254復興G:2012/09/07(金) 14:55:02 ID:xKxowNU.
<つづき>
<第6回 WEB誌友会用テキスト>

 『生命の實相』 第1巻

  《實相篇(上)光明の真理 第4章》 より(10)

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 関東の大震火災の時でも、わざわざその前日、地方から上京して震災の洗礼を受けて死んだ人もあれば、その前日関東から地方へ移転して罹災を免れた人もあります。
 震災で丸焼けになった人で再び起つことができない経済的不運にあった人もあれば、一時は丸焼けになったけれども、それが当時あまり香ばしくなかった過去の職業をなげうって将来大いに成功する新事業を始める動機となった人もあります。
 一つの事件に対してでも人それぞれの念の磁石的性質によって、その事件の圏外に飛び出す人と、その事件の圏内にいて危害を受ける人と、その事件によってかえっていっそうの幸福を受ける人があるのであります。
 だから単に未来に起こる事件が予知できたからとてその人は必ずしも幸福になるとは決っていないのであります。
 「だって、ピー・ハワード夫人は汽車が未来に転覆するということを予感して助かったのではないか」という人があるかもしれません。ピー・ハワード夫人は、「念(こころ)の世界」において起こってしまった事件を予知したのではありません。夫人は唯、そこに起ころうとしつつある事件の「心的雰囲気」を感じて、夫人自信の心的性質がその「雰囲気」に引きつけられずその雰囲気に近づこうとするとなんとなく不快になるので、旅立ちをやめてその危険に近づけなかったのであります。
 もし誰でもこういうふうに念の世界でまだ漠然とした雰囲気だけあって、ハッキリと形を備えていない間に念の反発を感じて避ければ避けられるのであります。
 もしピー・ハワード夫人がその汽車に乗って汽車の転覆にあって重傷を負うているような事件を正確な霊覚とか霊夢によってハッキリ目撃したのでありましたら、その事件は「念(こころ)の世界」ではすでに起こりずみであるからこそ見えたのでありますから、夫人がいくら、それを避けようと努力しても、どうしても拒まれない事情が発生してその汽車に乗ることになり、その汽車は転覆して予知したとおりの危害を避けることはできないのであります。

 ここがわれわれにとって最も注意を要する肝要な所で、われわれが未来の不幸を避けるためには、その不幸を予知する霊感などをいくらもっていてもなんの役にも立たないのであります。予知された未来はすでに起こりずみであるからそれを取り消す道がない。それを取り消そうとあせるのは活動写真の映写機に一定の事件のフィルムをかけて活動写真を映しながら、舞台面の映画を消しゴムで消そうとするのと同じ愚であります。

 現実世界という舞台面にこんな事件が映ってはいかぬと思うならば、「念のフィルム」にそんな事件を撮影しておかぬがよろしい。
 他のひとびとが集まってそういう事件の「念のフィルム」を合作しそうであったら自分だけ「類でないものは反発する」という法則によって、そのフィルムに入らなければよろしいのです。
 「類でないものは反発する!」
 これこそわれわれが悪運を避ける唯一の法則であります。
 悪い事件が映っている「念のフィルム」に自分だけ映るまいと思うならば、自分の生命に、その悪い事件と親和し、互いに引き合うようないろいろの心持ち――暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情とかを捨てて朗らかな、明るい、愛深い、人を咎めない、赦しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、角のない、円満な、自信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心を養成すればよいのであります。これだけの心の準備ができるならば、自分の周囲にどんな不幸な事件が起こって来ても、自分だけはその不幸な事件の映画俳優の一座に加えられず、一緒に不幸の分け前を味わわねばならぬようなことはなくなるのであります。
<つづく>


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