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聖典引用 板
107
:
a hope
:2012/01/08(日) 14:32:34 ID:kcv2QXTk
デーリーは彼ら囚人達に直接話しかけてよくしてやろうという考えを放棄した。
彼ら囚人はデーリー自身の自己改善のために――「あの見苦しく見える極悪者の中にも善にして尊い神性がある」
ということを静かに拝みだす自己の力を養成するための自己改善のために――彼らが自分の敵として自分の目の前に
あらわれているのだと考えるようになったのである。
かくて、デーリーの囚人達を善導したいというような高慢な心は彼の生活を導く主導力としては消えてしまった。
かくて自分自身の魂をみがくために与えられた手段として、其処にあらわれて下さっているのだと受けとることが、
デーリーの生活活動を導くことになったのである。
かくして彼はすべての敵の姿を自分の心の画廊に陳列して、それに心のイメージで修正の補筆を加えることにしたのである。
即ち彼らと自分との関係を愛の関係において、真実なる、高貴な友情の関係に於いて、現にあると心に描き、
その状態に於ける姿が彼の真の姿であると、観ようとしたのである。これは『生長の家』でいうところの『実相を観よ』というのと同じである。
デーリーはそれを「この実践は人生に於ける『高き悦楽のゲーム』(highly fascinating game)となった」と書いている。
それ以来、驚異すべき事実が続々として起こった。今までデーリーを避けていた囚人が突然予期もしないのに親しみ出して来た。
そんな奇蹟がデーリーの展けかかっていた人格に鉄の信念を加えるようになったのである。
愛は欠点を見てそれを矯正することではなく、そのいたい傷に触れることではなかったのである。
愛はその人の傷をやさしく包んでその人の欠点の奥にある円満完全なる実相を、じっと愛の心で眺めやり、
これが彼の実相であるとそれを心でいたわり育ててやることであったのである。
デーリーはかかる愛の実践が、ハッキリと敵の陣営にあった人々にこのような奇蹟を演ずる事実を見た。
そして彼らを隔てていた障壁が霞のように消えてしまい、新しい、より高貴なる基礎の上に昔あった友情が再建せられる事実を見た。
それは彼にとって最も神聖な、幽玄な、彼が今まで発見し得ずにいた愛の神秘力についての最も美しい事実であったのである。
それは一々の場合において、一々の問題に周到に意識的に応用して実践し得る愛の奇蹟であった。
彼は実験と経験とによって愛の焔が、どんな復活しがたい魂にも到達し、その石のような堅い殻をも溶融し、
到底見込みがないと捨てられていた極悪非道のものをも転回せしめる不思議な力があることを知ったのである。
ここにこそどんな強靭なキリストの敵、人類の敵にさえも神の与えたまう恩寵があるのである。
かかる神の愛の力が彼にも与えられて、彼を通して人々に頒ち得るとは何という悦楽であろうとデーリーは知ったのである。
谷口雅春先生著『愛は刑よりも強し』より
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