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トーキングスティックボード
3404
:
トキ
:2014/04/27(日) 21:16:02 ID:yJe7JIyY
>>3402
意味が解りませんので、ご説明を御願いします。
>>3403
削除申請の必要はありません。続きを御願いします。
3405
:
縹
:2014/04/28(月) 17:39:51 ID:oeUx5MQw
3404番 トキ様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、いつもお世話になり、ありがとうございます。
私の不用意な言葉でご迷惑をおかけしないように気を付けさせて戴きますね。
この度もありがとうございます。再拝
3406
:
縹
:2014/04/28(月) 17:52:56 ID:oeUx5MQw
3399番 教団信徒様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、レスをありがとうございました。
教団信徒様は、まっすぐに意見を仰られるのですね。
私はこう見えて、遠慮ばかりしているので羨ましくも思います。
3407
:
縹
:2014/04/28(月) 18:05:19 ID:oeUx5MQw
曳馬野様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、昨日の拙文では、ご気分を悪くされたのではないかと申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私は曳馬野様のご質問をうかがわせて戴きまして、曳馬野様がものすごく謙虚なご性格であることに気づかされました。
普通はそんな事は疑問にも思わずに、神などあるものか程の態度で、暮らしている人もいる世の中で、個人的意思の許容範囲は何処まで?と答えを探しておられるのですね。
そして今日は、昨日のご質問について偉い先生と答え合わせさせて戴きました。
>個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか
やはり、一即多・多即一の、無限包容の世界らしいです。
實相世界にも、個性ある存在として、存在出来ているらしいです。
本体の神と個霊は繋がっておりまして、願いも同一で、よく言われますように、心の奥底の願いは神様の願いで、それを個霊が自己の願いと感じるそうです。
そもそも人間は、肉体ではなく、音叉のような存在なので、
既に完全でありながら、完全な自己に、余計なもの・本来の自分のものでないものをくっつけて、
完全に響かない状態になって居る、その余計な汚れを取り去りさえすれば良いらしいです。
現象界のように、肉体という物質的区分になると、多に見えるのですが、
例えば、音でも光でも、区切りがつきにくいながら、
音ならどの音も必要な音であり、光でも無色透明の中に含まれる様々な色の光線が、どれもかけがえのないものであるように、
肉体無しという観点ですと、
どれもがかけがえのない個性がありながら、一つであるとも言えるのではないでしょうか?
根元の神の放送に波長を合うように、心を整える事が必要なのだと思います。
おそらく、ご質問の内容は、「他からの強制からは、どこまで自由であってもよいのか?」 という事だとお察し致します。
私は、上記のように、實相のさきはえの状態が本来でありながら、
本来は、あるものでない業の流転の力が働いて、
他からの強制や影響というものは、仮存在(ゼンマイのように巻き納められたエネルギー)としてあるのだと思います。
その業の流転を消す方法を、宇治などの錬成会では教えていると思います。
業の流転などの仮存在を消す力も、神からの光だったと思います。
「自分が神である、それを知ることが必要なんです」雅春先生
3408
:
曳馬野
:2014/04/29(火) 13:06:27 ID:I/wU8psA
縹様
>個別霊として實在の我かあると云うのでしたら、唯一の実在の永遠の我との関係はどのようなものとお考えですか
やはり、一即多・多即一の、無限包容の世界らしいです。
實相世界にも、個性ある存在として、存在出来ているらしいです。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
まず最初に気分を害すると云うことは、どなたの意見でも持ちませんので気にされることはありません。
あなたが心からの意見を述べられることには至誠を感じます。ただ至誠は無我にして可能との見方があります。
私には心の葛藤は有りませんので、それを取り除いてあげようとかの目的からの意見であればご無用でございます。
個霊を実在と認めますと、
* すべての個霊の数は有限という事になりませんか?実相の世界に個霊として完全な状態で存在するものが、何故不自由な状態に
なっているのでしょうか?その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく、そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。
その世界は何処に出来るのでしょう?
かって「他の天体から地球に転生しつつある霊がある」と雅春先生は云われました。そうしますと魂の進歩した霊は地球を去り、未熟な霊が
地球に生まれて来ると云うことになりますと、生長の家の地上天国実現運動なるものはどういう意味で云われたのでしょう?
私には個別霊を認めますと、生長の家に多くの疑問を感じます。
3409
:
縹
:2014/04/29(火) 15:53:56 ID:oeUx5MQw
曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様ご丁寧なレスをどうもありがとうございました。心より感謝申し上げます。
曳馬野様は生まれ変わりの問題をお気にされていただけでしたか。
それでしたら、お気にされることは無いですよ、何の問題もありません。
霊魂の生まれ変わりの問題は、高級霊同士ででも、意見の食い違いが発生するような、「観点をどこに置くか」でも変わってくる、「言葉の表現上での言い違い」で話しがかみあわなくなるような、そのような性質の問題だからです。
ですから、同じものを指して、「私にはこう見える」「こういう表現をすれば、こう言える」とか、そのようなものらしいです。
ですので、細かい点を詰めるのは、時間の無駄であるだけですね。
例えば、一個の球体があったとして、どこの側面が今度は地上に映し出されるか、等、いくらでも表現の仕方で変わります。同じことを指していても。
曳馬野様のご質問は、一行に沢山のご質問が含まれていますので、短く区切っておひとつおひとつお答えさせて戴きますね。
> * すべての個霊の数は有限という事になりませんか?
上記の球体の例えでご理解戴けたかと思います。
> 実相の世界に個霊として完全な状態で存在するものが、何故不自由な状態になっているのでしょうか?
不自由な状態とは、どのような状態をさすのでしょうか?
限られた空間に存在した、という事についてですか?
無限性は、一時の有限性を表してみる自由も所有すると思いますよ。
有限性を持てないほうが、無限性の証明にならないです。
しかしその有限性も、見誤りである場合がありますね、本当は無限であるものが、有限に見えているだけだと思います。投影ですから。
>その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく
既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
>そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。
最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
>その世界は何処に出来るのでしょう?
何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。
谷口雅春先生は、たしかそれを第39巻に於いて重閣構造と教えて下さっていたと思うのですが、
既に、そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。
既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせするのが、生長の家の重要な役目の一つだっと思います。
>かって「他の天体から地球に転生しつつある霊がある」と雅春先生は云われました。そうしますと魂の進歩した霊は地球を去り、未熟な霊が地球に生まれて来ると云うことになりますと、
大体は、地上が同じレベルに保たれる事になっていますが、
それでもだんだんと発達して、良くなって行くと『神真理を告げ給う』の聖典に書かれてあります。
>生長の家に多くの疑問を感じます
生長の家は、本物中の本物の教えですので、大丈夫ですよ。ご安心下さいね。
3410
:
縹
:2014/04/29(火) 18:13:08 ID:oeUx5MQw
今日は、昭和の日ですが、色々な事が分かりましたので、こちらにも掲載させて下さいね。
神想観中に、長田神社の事を思い出して、調べてみましたら、
こちらも、平成13年に、1800年祭であった事が分かりました。
http://nagatajinja.jp/html/
という事は、生田神社もであるはずです。
http://www.ikutajinja.or.jp/about/
今日は、昭和祭ですが、
昭和天皇様が、マッカーサーにお会いくださいましたのが、
9月27日で、大調和の神示の日、
そして、9-27は、弓弦羽神社の番地でもあります。
やはり、最近、弓弦羽神社が脚光を浴びているのは、偶然では無いように思います。
長田神社や生田神社は、以前、月の事を調べていた時に、ホームページを拝見させて戴いた記憶がございますので、1800年祭があった事は、忘れていただけなのかも知れないのですが、「1800年祭」という単語で、インターネットで検索してみましたら、
1800年祭であった神社は、他にもあるようです。
宇佐八幡宮も、香椎宮も、
そして、初めて存在を知ったのですが、藤森神社も、
おそらく開口神社も、
神功皇后様が創建された神社は、1800年を迎えたのですね。
神功皇后様の時代から、1800年の時が流れたということなのですね。
中でも藤森神社は、11月27日に1800年祭が執り行われたと書かれてありました。
11月27日は、斎女の神が顕れ、その後に住吉大神が顕れられる事を預言されている、『終戦後の神示』の日です。
この日に、駈馬という神事が行われ、「下り藤」という乗り方もあるそうです。
http://yamaguchikatsuo.fc2web.com/page055.html
そして、この神社の例大祭は、本住吉神社と同じ、5月5日でした。
「端午の節句」の発祥の祭りでもあるそうです。
そう言えば、端午の午は、馬という意味もありますね。
「(5月5日の)「藤森祭」に奉納される「駈馬神事」が、馬の神事であることから馬の神として信仰されている」とも書かれてありました。
http://www.fujinomorijinjya.or.jp/enngi.html
藤という字もつきますし、社殿の外観が、本住吉神社に似ているような気がします。
本住吉神社の例大祭も、5月5日です。
弓弦羽神社の例大祭も、5月5日です。
この5月5日という日は、昭和天皇様の「命名の儀」の日でもあります。
昭和天皇様は、4月29日に御生れになられましたが、お誕生日から七日目が、男の子の名づけ祝いをする御七夜であるそうで、
それが丁度、5月5日であったそうです。
その後、お生れになられた日から、七十日目の七月七日の七夕の日に、
川村純義(スミヨシ)伯爵邸へおあずけになられたそうです。
『昭和天皇』出雲井晶著 18頁
谷口雅春先生は、黙示録に登場する白馬に乗っている御方が、再臨のキリストであると教えて下さっていましたが、
他の神社でも、神馬や絵馬など、馬と関係がある事もあります。
住吉大社の白馬神事の日が、1月7日で、
その日は、昭和の聖帝・昭和天皇様のご崩御の日でもあります。
馬に関しては、他にも重要な事を存じておりますので、いつかお伝えさせて戴きたいと思っております。
3411
:
曳馬野
:2014/04/29(火) 20:27:04 ID:I/wU8psA
縹様
>>例えば、一個の球体があったとして、どこの側面が今度は地上に映し出されるか、等、いくらでも表現の仕方で変わります。同じことを指して
いても。
* 是は肉体人間の性格とか潜在意識の習性とかの観点の説明ではないですか?肉体、幽体、霊体、本体と云う言い方の時の、本体の数が有限か
否かとの問いです。永遠の我と云う唯一の存在と云う時の【唯一の存在】と個霊の【本体】と云われるものの関係をお聞きしています。
>>不自由な状態とは、どのような状態をさすのでしょうか?
* 言葉通りで、縹さんの思うような教団の在り方に出来ないのではという事です。
その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく・・・・既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。・・・・最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方
だと思います。
その世界は何処に出来るのでしょう?・・・・何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。 既に、
そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。 既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせする
のが、生長の家の重要な役目の一つだっと思います。
* これも上のことと同じで、雅春先生でも、実相がいくら見えていても、帝国憲法の復元の実現という点で自由ではなかった、今の本流派の幹部さんに
しても、雅宣先生の実相が現れていないと云うのであれば、実相が現れると云うことによって、自分たちの正しいと思う生長の家教団にすると云う
自由は発揮されていない。本心の自由を今の現実【物質界霊界すべての現象界と云うこと】に発揮した人が生長の家にいますか?
ないとすれば能書き倒れという事になりませんか?
かって「他の天体から地球に転生しつつある霊がある」と雅春先生は云われました。そうしますと魂の進歩した霊は地球を去り、未熟な霊が地球に
生まれて来ると云うことになりますと、・・・・大体は、地上が同じレベルに保たれる事になっていますが、 それでもだんだんと発達して、良くなって行くと
『神真理を告げ給う』の聖典に書かれてあります。
* 少なくとも日本に於いてはだんだん良くなってはいませんね、経済は貧しくとも戦前型の儒教佛教神道に培われた人間が、地上を去るにつれ、
至誠の無き人間が増えていると思われますが。
質問の仕方を変えれば、「輪廻転生する当体は何か?」
「何故に輪廻転生が存在するか?」
「既に完全であるものが、その影を投影させている、のであれば本流派の云う雅宣先生の投影は何故に不完全に表現
されているのか?」
総じて完全な世界があると云いながら、不完全を何とかしようとしているように見えます。
生きて居る所は今ここで有ります。そこに対立の世界を観つつ生きる生き方が果たして真理なのでしょうか?
雅春先生が創価学会にとった態度に今の本流派の姿がダブります。
3412
:
縹
:2014/04/30(水) 19:17:31 ID:oeUx5MQw
3411番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様こんばんは、レスをありがとうございました。
>* 是は肉体人間の性格とか潜在意識の習性とかの観点の説明ではないですか?
違いますよ、肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、投影なのです。
>肉体、幽体、霊体、本体と云う言い方の時の、本体の数が有限か否かとの問いです。
これは、前回お答えさせて戴きましたよ。
>永遠の我と云う唯一の存在と云う時の【唯一の存在】と個霊の【本体】と云われるものの関係をお聞きしています。
『神真理を告げ給う』34頁には、
「“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、“わたし”はアイディアで腑彩(いろづけ)するのである。その腑彩が“個性”としてあらわれるのである。
それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな偏りもない、腑彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生れる人間としては無くてはならぬ属性として腑彩されたものが個性である。
それゆえに“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。
表現されるためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異るが、“個”の中に“普遍者”があり、普遍者は共通であるから、その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。」
>>不自由な状態とは、どのような状態をさすのでしょうか?
>* 言葉通りで、縹さんの思うような教団の在り方に出来ないのではという事です。
私は、以前から、今の状態は、黙示録に書かれてある通りになっていますよとお知らせしています。
同時に、そこには、赤き龍側につかないようにというような内容が書かれてありますので、その通りにしています。
>>その不自由な状態から、宗教により完全な状態になっていく・・・・既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
>>そして最高級霊になり実相さながらの世界に生きる。・・・・最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
>>その世界は何処に出来るのでしょう?・・・・何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。 既に、
>>そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。 既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせするのが、生長の家の重要な役目の一つだったと思います。
>* これも上のことと同じで、雅春先生でも、実相がいくら見えていても、帝国憲法の復元の実現という点で自由ではなかった、
上記の文章は、「そのままで良い世界に、見え始める」、ということをお伝えするための文でした。
例えば、自分の親が、悪い親に思えて苦しんでいた子供が、親に感謝する事によって、不自由な状態から脱皮することが出来ることもあります。親自体は、昔とちっともかわらないけれども、相手は変わらないのに、こちらの心が変われば、良いものに見え始めるのです。
すでに、今此処が極楽浄土であることをお伝え出来るのが生長の家だったと思います。
>今の本流派の幹部さんにしても、雅宣先生の実相が現れていないと云うのであれば、実相が現れると云うことによって、自分たちの正しいと思う生長の家教団にすると云う自由は発揮されていない。
本流の方の事は、本流の方におたずねして戴けないでしょうか?
続く
3413
:
縹
:2014/04/30(水) 19:18:25 ID:oeUx5MQw
続き
>本心の自由を今の現実【物質界霊界すべての現象界と云うこと】に発揮した人が生長の家にいますか?
元の会話からだいぶ外れて来ていませんか。
>ないとすれば能書き倒れという事になりませんか?
どうしてこのお話しになったのか、元を辿ってみました。以下の文からでしたね。↓
>> 最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
>その世界は何処に出来るのでしょう?
>> 何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。
>>谷口雅春先生は、たしかそれを第39巻に於いて重閣構造と教えて下さっていたと思うのですが、
>>既に、そこに生きているのに、それが見えていない本人の問題とも言えます。
これはですね、例えば、親に感謝出来なくて、女性に生れた事が嫌であった人が、親に感謝することによって、女性に生れた事にも感謝出来、不十分な肉体だと思っていたけれども、そうではなかったのだと気が付くようなものです。
ようは、心の捻じれをとらないと、何を見ても、悪いものに見えるのです。
>* 少なくとも日本に於いてはだんだん良くなってはいませんね、経済は貧しくとも戦前型の儒教佛教神道に培われた人間が、地上を去るにつれ、至誠の無き人間が増えていると思われますが。
まず私達は、何より先に、自己の内に、見る目を養わないといけないと思います。
見る目がなかったら、何を見ても、今一なものにしか見えないですから。
自己の眼力以上のものは、感知出来ないのです。
『神真理を告げ給う』には、
「何よりも日本の青年たちを堕落せしめる根本原因になっているものは、アメリカ軍が敗戦の日本に当時押しつけた「日本国憲法」の残存である。」
と書かれてあります。
儒教でも、そのままでは日本風にならず、現地の物と意味合いが違っています。日本人の解釈した儒教は、親孝行の心を通して解釈したので、上下関係だけの世界に終わる事は無かったそうです。
と言う事は、親への感謝を教える事こそが、日本復活の鍵になるということですね。
ご皇室も、御祖先様の事を「遠つ親」と呼ばれて、大切にされます。ちちははに感謝して、祖先を敬う、それが日本の教えで、生長の家の教えです。
親に感謝が出来ないということは、良い物が悪く見る状態ですので、親に感謝出来なければ、どんな良い物を見ても、悪いものにしか見えない事になります。
>質問の仕方を変えれば、「輪廻転生する当体は何か?」
> 「何故に輪廻転生が存在するか?」
これは既にお答えさせて戴きましたが、「詳細な説明は、意味がありません」とお答えさせて戴きました。
曳馬野様の3408番のご投稿内容は、すべて視点が逆になっている事に気が付きました。
どうでもよい所を気にされますより、価値観が逆になっている所を正されることから始めないと、永遠に逆走してしまいます。
> 「既に完全であるものが、その影を投影させている、のであれば本流派の云う雅宣先生の投影は何故に不完全に表現されているのか?」
>総じて完全な世界があると云いながら、不完全を何とかしようとしているように見えます。
本流の事は、本流の方へおたずね下さい。
>生きて居る所は今ここで有ります。そこに対立の世界を観つつ生きる生き方が果たして真理なのでしょうか?
本流の方は、「こうしたらいいですよ、そのままではやがて行き詰まりますから、引き返すなら今の内。」と色々と親切にアドバイスを下さっているのだと思います。
>雅春先生が創価学会にとった態度に今の本流派の姿がダブります。
これはノーコメントにさせて下さい。
曳馬野様でしたら、必ず無の一点を突破されますよ、絶対に生長の家を正しく理解されると思います。
3414
:
曳馬野
:2014/05/01(木) 03:54:58 ID:I/wU8psA
縹様
* 違いますよ、肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、投影なのです。
* 『神真理を告げ給う』34頁には、
「“仏性”即ち、“わたし”の生命の純粋な本質だけでは、無色透明のガス体みたいに何物も表現することが出来ない。その表現を可能ならしめるために、
“わたし”はアイディアで腑彩(いろづけ)するのである。その腑彩が“個性”としてあらわれるのである。それゆえに、“あなた”の本体は無色透明の、どんな
偏りもない、腑彩のない“仏性”そのものなのだけれど、此世に生れる人間としては無くてはならぬ属性として腑彩されたものが個性である。それゆえに
“あなた”が“個人”として存在する限り、“個性”はなくてはならぬ属性である。個性即ち特殊性を与えないでは表現は不可能なのである。表現される
ためには、普遍者が自己限定して個別化されなければならない。“個”は“普遍者”とは異るが、“個”の中に“普遍者”があり、普遍者は共通であるから、
その“普遍者”が“個”と“個”とがつながる媒介をするのである。それが互いの理解となってあらわれ、それが互いの愛となってあらわれるのである。」
* 私は、以前から、今の状態は、黙示録に書かれてある通りになっていますよとお知らせしています。
* 既に完全であるものが、その影を投影させているのだと思います。
最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けているというのが、生長の家の考え方だと思います。
何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです。 既に、そこに生きているのに、それが見えていない本人の
問題とも言えます。 既に居るのに、それが見えない人に、「既に居るのですよ」、とお知らせするのが、生長の家の重要な役目の一つだったと思います。
* 上記の文章は、「そのままで良い世界に、見え始める」、ということをお伝えするための文でした。
例えば、自分の親が、悪い親に思えて苦しんでいた子供が、親に感謝する事によって、不自由な状態から脱皮することが出来ることもあります。
親自体は、昔とちっともかわらないけれども、相手は変わらないのに、こちらの心が変われば、良いものに見え始めるのです。
すでに、今此処が極楽浄土であることをお伝え出来るのが生長の家だったと思います。
=============================================================================================================
肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、【投影】なのです。
“あなた”の【本体は】無色透明の、どんな偏りもない、【腑彩のない“仏性”そのもの】なのだけれど
【此世に生れる人間】としては・・・・・・・・・ “あなた”が“【個人”として存在する】限り、“個性”はなくてはならぬ属性である
永遠の我と云う唯一の存在と云う時の【唯一の存在】と個霊の【本体】と云われるものの関係をお聞きしています。の質問の答えが上のものです。
実相は無相か有相かとお聞きしますと、実在の世界に個は創造され、それを五官の認識作用により肉体と感じているに過ぎないものであると云われる。
然しここでは【本体】と云う言葉で、【永遠の我と云う唯一の存在】と同じ説明をしています。どういうことでしょうか?
この現象世界には一切のものは存在しない、実相の世界にすべては創造され、それを五官の認識を通して感じているのみとするならば、
【此世に生れる人間】としてはと、この世に生まれると云う言い方は何故されているのでしょうか?
肉体はそもそも、存在している様に見えても無いもので、【投影】なのです。とはよく言われることでありますが、すべてが投影であるとしますと、
実相の世界で結婚をし子が生まれ、年老いて死ぬと云う事実があると云うことですか?雅春先生でも視界から消えるのです。つまり投影がなくなったのです。
【最初から既に、實相世界に、常に今、生き続けている】 【何処に出来る、というのではなく、今此処既に、私たちは實相の大地に生きているのです】
のであれば、その影は常に存在し続けると思いますが、なぜ消えるのでしょうか?
【そこに生きているのに、それが見えていない本人の 問題とも言えます。】とはすべて対象を非難することはその対象の実相が見えていないと云うことを表明
していると云うことですか?
3415
:
縹
:2014/05/01(木) 20:25:27 ID:oeUx5MQw
3414番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様、レスをありがとうございました。
再度ご質問戴きまして、今回の内容もごく簡単なご質問で、お悩みになられるような事ではなく、聖典にそのまま掲載されているような内容ですので、聖典をお読みになられると良いと思います。
曳馬野様のご文章で心配ですのは、なぜか、文章がフツフツと短く途切れているような印象を受ける事です。
総裁の造られた讃歌も、そのような印象を受けます。
以前、ライブ配信で、森のオフィスの式典の折に読誦されてましたのを冒頭だけ聴かせて戴いて、そういった印象を受けました。
『甘露の法雨』でしたら、スラスラと続いて一つに纏まっているのですが、調子が全く違うと思います。
曳馬野様も、讃歌を読誦されておられましたら、すぐにでもおやめになられますことをお勧め致します。
総裁は、今回、ご皇室が朝鮮から来たと仰られたそうですが、大阪の大講習会でも、そう仰られたそうですね。
菜食を薦めるのに、「疑似肉」を推奨されているようですが、私見では、「疑似肉」はおやめになられたほうが良いように思うのです。
「疑似肉でもいい」、という心理状態は、「代替え品がある」と思う心理状態だと思うのです。
一つ一つの存在の「かけがえのなさ」を知ることが、とても大切な事だと思うのです。
何処の誰でも、「かけがえのない」存在であること、これを知る事が大事だと思うのです。
3416
:
クレマチス
:2014/05/02(金) 09:49:28 ID:???
縹様
縹様、ご無沙汰致しております。志恩です。
縹様と曵馬野様の対話は、大変興味深く、わくわくしながら、拝見しています。
縹様のことだけでなく、
ここの掲示板の皆様の御文章や
他の掲示板も、わくわく拝見しています。
特に、この板の
>>3400
:からの縹様の曵馬野様に対するご返信のご文章は、
本当に内容が深くて、勉強になりますので、
私は、プリントアウトして、学ばさせて頂いているところです。
縹様、
先日は、お声をかけて下さいましたのに、お返事もせず、申し訳ございませんでした。
朝ドラの「花子とアン」につきましては、私は、はじめの頃は、観ていたのですが、
夫が、モーニングバードなどの他局でやっているニュース番組の方に
チャンネルをかえて観るようになりましたので、
私も夫に合わせて、そちらを観ておりまして、最近、朝ドラは残念ながら観ていないのです。
曵馬野様は、縹様と、ここの板で、普通に会話されてると、以前の書き方とは異なり、
初心者様の文体になられましたね。
縹様のご説明は、雅春先生のご文章を縹様がご自分の中で霊的に昇華されて、
消化されて、そのうえで、書かれておられるので、
あれだけ頭脳明晰な曵馬野様に、理解出来ないはずはないと、思いながら、
拝見していますが、
曵馬野様は、理解されておられないご様子でいらして….
というか、
曵馬野様は、理解したくないというお気持ちが バリアのように、ご自分の
心の周囲を囲っておられるようにも、お見受けするのですよね。
だって、縹様がおっしゃる生長の家の教えの神髄の部分のことを
すんなりと理解してしまったら、
雅宣総裁が、雅春先生の教えを捨ててしまって、個人救済をやめて、
環境問題オンリーに舵を切られたことを、
ご自分で ご自分が、否定してしまうことになりかねませんから….。
環境問題のこともそうですが、
組織のことも、前よりも よくなるどころか、
最近は、ますます中央集権化されて、悪化の一途を辿っているそうで、
トキ様がご指摘の通り、教団の中枢部の考え方に かなりの問題があるんではないでしょうか。
それに、教団は、雅宣総裁より、女性である奥様の純子様のほうが、主導権を握ってしまってるように
最近は、末端まで聞こえて来ていますが、
心の法則から しましても、
糸が針より、先に出て仕事をしたら、うまく行くことも、うまく行かなくなるということは、
古今東西の歴史が 物語っていることです。
純子様が 主導権を握って、ますます「ノーミート運動」を活発に推進されたら、
今時の若い青年たちは、
生長の家に入信したら、お肉は、食べられなくなるぞ!
ノーミートで生きなきゃならないぞ!と危惧の想いを抱かないものでしょうか。
そして、雅宣総裁は、そのようなことを全て、これで、よしと、心から思われておられるのでしょうか?
そうとは、思えませんけれど。
お顔の表情に本心は、描かれるものです。
彼のお顔には、深い悩みや不安が 描かれています。
心身ともに、大丈夫なのですか?
でも、彼は 真理については、悩む事も、楽しむ ご性格のようですけれどね。
同じ、環境問題を遂行されるにしても、どの精神の立ち位置に、立たれてされるかが最も
重要なことであると思います。
それによっては、ご自分の理想とは、真逆な方向へ行ってしまう危険性もありますから、
立ち位置は、大変大事だと思います。
これも縹様が教えて下さいましたが、黙示録にも預言されてますように
今は、斎浄めの最後の審判の時期だそうですから、これからが彼の正念場ですよね。
全国の閲覧者の皆様も、閲覧されて、おられます。
縹様は私の先生です。
これからも蔭ながら、応援させて頂いております。
お声、かけて下さっても、私は卒業していますので、お返事できません。
今回は、卒業生として、ちょっとだけお邪魔させて頂きました。ご了承下さいませ。
合掌 ありがとうございます。
3417
:
縹
:2014/05/02(金) 23:40:07 ID:oeUx5MQw
3414番 曳馬野様
合掌 ありがとうございます
曳馬野様、実はご回答文を書かせて戴いていたのですが、聖典をお読みになられるのが一番良いので、臥せさせて戴いておりました。重版保留書に全部書かれてあります。
>然しここでは【本体】と云う言葉で、【永遠の我と云う唯一の存在】と同じ説明をしています。どういうことでしょうか?
「“わたし”の宇宙創造の作法は、“わたし”は先ず心に或るアイディアを思い浮かべるのだ。そのアイディアに“わたし”の心を集中する。すると、そのアイディアが具体化して表現されるのである。
詳しく言えば、“わたし”が、ある事物を心に思い浮かべて、それに精神を集中すると、“わたし”の普遍的な“生命の貯蔵庫”というべき宇宙から、そのアイディアを具体化する必要な要素が集まってくるのである。
そして“わたし”が想念したアイディアの形にその要素が排列して、想念したアイディアそのものの形がそこに実現することになるのである。即ち“純粋形相”が物質的装いをもってあらわれることになるのである。」
「“わたし”が心に思い浮かべたものは、凡て善なるものであり、美しきものであり、調和せるものであり、相剋、相闘するようなものはひとつもないのである。それが存在の実相である。
けれども、人間は、人間自身が心に思い浮かべた観念を、雲が蒼空を覆うが如くに、実相の上に投げかけたのである。そして実相の完全さを隠覆した。
人間よ、あなたが五官の感覚で見て、“真実にある”と思っているものは、それは実相ではないのである。それは人間自身の想念の具象化である。そのことを『創世記』の記録者は「アダムの名づけたるものは皆その者の名となれり」という風に書いているのである。
あなたがた人間は“言”を慎まなければならないのである。あなた方が「名づける」即ち「言で言い表したこと」がその現実となるのである。」
『神真理を告げ給う』52頁
「“物質人間”は、“本当の人間”ではなく、時間・空間の立体カンバス上に描かれたる“作品人間”なのである。
それはテレビの画面上にあらわれた人物の如く動くのであるけれども、それは人間の心が創作した人物であって、“わたし”が創造した“神の肖像(イメージ)”そのままの人物ではないのである。
しかし“わたし”はその人物の中に“わたし”の地上天国建設の念願を鋳込んである。それゆえに、彼は善悪の差別を考える理智を備えていて、兎も角も、自分の“善”と考える方向に行動しようとする欲望を備えているのである。
物質の世界に、物質人間としてあらわされたる人間が、地上天国を描き出すのは、はじめて絵筆をもってカンバスに向かった初歩の画家のように、充分完全なる絵を画くことが出来ないで、いろいろ試行錯誤を繰り返すのである。
そして中々、天国的な状態をあらわすことが出来ないで、“ああでもない”“こうでもない”と試行錯誤を繰返す。そこに善悪を差別する智的修行があるのである。この事を『創世記』第三章にはアダムとイヴとが“善悪を知る樹の果”を食したという風に書いているのである。」同書49頁
続く
3418
:
縹
:2014/05/02(金) 23:44:27 ID:oeUx5MQw
続き
>この現象世界には一切のものは存在しない、実相の世界にすべては創造され、それを五官の認識を通して感じているのみとするならば、
>【此世に生れる人間】としてはと、この世に生まれると云う言い方は何故されているのでしょうか?
言語は主に、現象界を言い表すために発達したもので、物質を表現するに適し、物質的表現になるきらいがあると思います。
「空間の観念を与えられた人間は、恰もスクリーンを与えられた人間が映写機から放射される光の波を、
単に“光の波”として感受せずに物質界に起った具体的事象として感ずると同じ原理で、
生命の波動(心の波)を単に波動として感受せずに、それを地上世界の物質的事象として感じ、
その物質を具体的確固な存在として感ずるのである。
地上が具体的存在だと観ずる精神的地盤が成立しなかったら、地上に天国を実現することは不可能なのだから、生命の霊的波動を物質化して感じ、地上を具象的存在だと感ずることは地上天国建設の第一歩の成就なのである。」同書46頁
>その影は常に存在し続けると思いますが、なぜ消えるのでしょうか?
「汝の肉體は汝の念絃の弾奏する曲譜である」
「念の形式に大変動を生ずれば、汝の假有は他界に顕現し、今迄の念の顕現たる肉體は速かに自壊自消する。
これを人々は死と呼ぶが死ではない。
それは『生命』が念の絃をもつて一曲を弾じ終つてそれを止め、他の奏曲に移らんとするにも等しい。」
『帰幽の神示』より
>【そこに生きているのに、それが見えていない本人の 問題とも言えます。】とは
これは、例えば、山が神の生命の顕現であると見えるのではなく、単に物質の塊であるだけに見えるような事を申し上げていました。
>すべて対象を非難することは
「物質分子の集合体としての肉体的顕現をもった人間は、物質は“分割さるべきもの”という本質をもっているので、結局、自他分離の想念感情をもち易いのである。
従って自分の都合のよい事を“善”と考え、自分にとって都合の悪いことを“悪”と考える傾向をもっているのである。
しかしながら、そのような自己中心的な善悪の判断は、恰もアメリカが、“善”と思って行う“北爆”の強化を北ベトナム側では“悪”として批難するように、すべての人間が調和した判断に到達することはできないのである。
その結果は『創世記』神話が語る「エデンの楽園追放物語」が現実化したような不幸な世界が出現することになるのである。」『神真理を告げ給う』50頁
>その対象の実相が見えていないと云うことを表明していると云うことですか?
私は前回の投稿で、本人の、「有難く受け取る能力」の欠如である可能性を述べさせて戴いていたと思います。
私はあまり掲示板の時間がとれませんので、その点ご了承下さい。
3419
:
縹
:2014/05/02(金) 23:47:30 ID:oeUx5MQw
曳馬野様のご長所:
① 細かな欠陥も見逃さない所
②「構造」を理解しようとする力
これは、凄い才能です。
この才能があれば、谷口雅春先生が願われた、憲法を正しい内容にする事が可能だと思います。もうそのままではいけませんので。
憲法に構造的な欠陥があれば、いくら憲法通り生活しても、うまくいかないので、理想を連ねるだけではなく、システムとして完璧でないといけないと思います。
憲法ともなると、文章の細かな欠点も許されませんので、曳馬野様のように、小さな事に気が付く能力が必要だと思います。
これは、とても雅春先生へのご奉公になると思うのです。
曳馬野様の才能でしたら、絶対に可能だと思います。
3420
:
縹
:2014/05/02(金) 23:50:18 ID:oeUx5MQw
疑似肉を推奨するよりも・・・「かけがえがない」ということを知る
岸壁の母の歌にもあるように、我が子を失ったら、もっと優秀な別の子に取り換えてもよさそうなものを、
母親というものは、その帰ってこない一子を探し求めるのですね。
これはイエスが好んで話した羊のお話しと似ていて、神の愛とは、いかなるものかを伝えるために、くり返しお話し下さったそうです。
實相額の實の字の中に入っている“母”という字は、そういった神の愛に一番近い、母の愛を表しているものであるそうです。
ですから、完成の燈台である生長の家もそうであって欲しいです。
3421
:
縹
:2014/05/03(土) 00:20:27 ID:oeUx5MQw
3416番 クレマチス志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、ご登場下さってありがとうございます!
色々と大変で、肉体的にそろそろお迎えが来たかと思って、今日を限りにやめようと思っていた頃でした。
志恩様は、いつも救世主のようにお助けに来て下さいます。
本当にありがとうございます。
志恩様の御投稿文を読ませて戴きまして、まだお伝え出来ていない事柄があった事を思い出し、不撓不屈で努力せねばならないと思い直しました。
志恩様は、今後も掲示板を御覧下さっているのでしたら、掲載を急がなくても良いでしょうか。
生長の家は、一般に思われているよりも、本当に凄い教えなのです。
ですから、開けてビックリ、このとんでもない事態でも、「そう言う事だったのか!」と後で解る事になると思います。
ですので、今、誰しもしないといけない事は、「御教えの通りに生きる」事です。
後で、「生長の家のみ教えに間違いは無かった! 御教えの通りだった!」と思うと思います。
例えば、「<そのまま>實相を観なさい、それだけで、癒される」という、『生命の實相』第一巻の冒頭の御文章も、
「今に到っては、そんなことはしてられない、生長の家はおかしくなったのだから」と思って、実行されなくなられる人がおられるかも知れませんが、
そんなことはなく、「「<そのまま>實相を観なさい、それだけで、癒される」は、まさにその通りの金言であると感じています。
神様は凄いプレゼントを私たちの肉眼にも見える所に置いて下さっていると感じています。
雅春先生は、組織がおかしくなったら聖典を学び直しなさいと教えて下さっていますが、
今こそ真剣に真理を学ばねばならない時だと思います。
ところで、総裁は、一から百まで間違っているように評価されていますが、
絵と和歌は、住吉大神様の担当分野の事ですから、ポスティングジョイは良い事だったと思うのです。
それだけしかしてはいけないとなると、間違っていると思うのですが、
和歌等は、五七五七七文字に区切って読む事で、祓いの力が発揮されるという言い伝えがありますので、良い物だと思います。
雅春先生も、絵や芸術で、光明化運動は出来ないものだろうか?とお考えになられていたのですから、
インターネットが生れた時代には、合っていたのではないでしょうか?
志恩様も誌とメルヘンを愛読されておられましたし、
この間も偶然信徒の方が、普及誌に紹介されたウサギの絵本を偶然知人から戴いたと仰っていました。
御皇族の方も、芸術に力を入れ始めておられるようです。
http://shinyusha.jp/
これは静かに見えても、海外から好印象で受け止められて、ある程度戦争を防ぐ力があると思うのです。
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/
>これも縹様が教えて下さいましたが、黙示録にも預言されてますように
>今は、斎浄めの最後の審判の時期だそうですから、これからが彼の正念場ですよね。
『最後の審判』は、『聖光録』の19頁の内容で、明るい内容ですね。
そして、最後の審判の時に、ミカエルがキリストの足元につく事になるような位置に、総本山があります。
彼の正念場というのは、「『生命の實相』に戻ってくる決意」という事だったらいいですね。
私は、彼をあのようにふるまわせた物の正体を見極めて、それをどうにかしないといけないと思っています。
『實相と現象』の本にも、脚を怪我した人には優しくするように、組織で間違っている人をきつく咎めるのではないと書かれてあります。
黙示録の通りになっているので、その役目があったのなら、気の毒でもあります。
総本山土足の件で、「幕屋を汚し」という預言までは終わったのですが、ここからはどうなるか分かりません。
志恩様、ご親切に本当にありがとうございます。
私は先生などではないので、お礼のお言葉は戴けないのです。
私の方が志恩様に沢山教えて戴いております。
こちらこそ本当にありがとうございます。
3422
:
縹
:2014/05/03(土) 00:24:50 ID:oeUx5MQw
総本山については、今日も、凄い事が分かりました。(もう昨日になってしまいました)
本日5月2日は、華厳宗総本山・東大寺の、聖武天皇御忌祭の日であったそうなのですが、
この大仏開眼の日と、雅春先生の最後の御説法の日が、同じ5月26日であったのです。
そして、『如意自在の生活365章』に、総本山建立の意義として、雅春先生は、以下のようにお説き下さっていました。
「華厳経はそのまま龍宮の海底に沈めて宝蔵せられていたのであるが、釈尊滅後数百年にして龍樹菩薩が出興して神通力にて龍宮の海底に入り、『華厳経』の一部を地上にもち来たしたものである。
それが現在、地上に伝えられている『大方広佛華厳経』であるという説話である。
(中略)
『華厳経』はこうして全宇宙の一切存在を支えている中心座に、天照大御神すなわち毘廬遮那佛が存在することを説いているのであり、その真理は龍宮界(創造の本源世界、創生(うみ)の底)に満ちみちているコトバであることを説いているのである。
(中略)
蓮華蔵世界海(蓮華の實相を内に蔵する海の底)にまします龍王とでも譬うべきお方が、塩椎大神であり、綿津身神であり、住吉大神であり、三神一体であらせられるのである。
(中略)
生長の家に住吉大神として出現せられたのは、今や世界秩序が混沌として乱れ狂うている状態であるから、この世界の混濁を浄化せんがために現れられたのである。
それ故吾らその神意を体して<<住吉本宮>>に顕斎し奉るのである。」
生長の家総本山は、華厳の真理が納められていて、5月26日が雅春先生の最後の御説法の日、
それが、華厳宗の総本山の奈良の大仏の開眼日と同一であったのです。
またこの日は、新暦では日蓮が、清澄(せいちょう)山山頂で、法華経を初めて説法した立教開宗の日で、
また数年後、旧暦でのこの日は、日蓮が『立正安国論』を著し始めた日であったそうです。
続く
3423
:
縹
:2014/05/03(土) 00:27:20 ID:oeUx5MQw
続き
「この『華厳経』が、釈尊が宇宙の真理をお悟りになった第27日目に、対人的方便法ではなく、真理の實相講演としてそのままの真理をお説きになったものであるだけに、最も尊い最も勝れたお経だということができるのであり、
その真理というのは、宇宙の中心座に、そして事物の存在の中心には、必ず大日如来(毘廬遮那佛―――日本語的表現を用いれば天照大御神)がましまして、その存在の秩序を支えてい給うということである。
その中心帰一的形相は、あたかも蓮華の花弁が、蜂巣(の形をした子房)を中心にすべて帰一しているようになっているのであり、
そしてこの實相世界は、そのような霊的設計構図(理念)を内に蔵している世界であるから、“蓮華蔵世界”または“蓮華蔵世界海”と呼ばれるのであり、
そしてその中心座に大日如来“天照大御神”が坐し給うのである。これが釈尊悟後の第一声の説法であったのである。」
『如意自在の生活365章』275頁
とこのように、東大寺の大仏は、大切な存在なのですが、それを御建立下さったのが、聖武天皇様でした。
707年7月18日に、7歳でお父様であらせられます文武天皇様と死別され、724年3月3日に御即位されました。
大仏造立の詔の二年前の天平13年(741年)に詔されて、国ごとに国分寺・国分尼寺を造る事をお命じになられ、東大寺は、大和国の国分寺であると共に「日本の総国分寺」という位置付けになったそうです。
以下は東大寺のHPからの抜粋です。
「天平15年(743)10月15日に「盧舎那大仏造立の詔」を発せられる。
聖武天皇は、人々が思いやりの心でつながり、こども達の命が次世代に輝くことを真剣に考えられ、動物も植物も共に栄えることを願い、さらには造像にあたっては、広く国民に「一枝の草、ひとつかみの土」の助援をよびかけられた。
つまり、大仏の造立は皇室や政府の事業のみならず、国民に結縁を求め、助力によって完成しようとした点に、従来の官大寺建立とは明らかに異なるものがある。
いわゆる大衆を知識(協力者)として造立を果たそうとしたもので、この精神は各時代の再興や修理にあたって、現代に至るまで常に相承されてきている。
発願の詔が出された四日後には、すでに民衆から人望が厚く仏教伝道に実績のあった行基が、弟子たちを伴い勧進行脚に出発している。」
http://www.todaiji.or.jp/contents/history/
「しかしこの盧舎那大仏造顕という国を挙げての難事業は、「若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於て身を改めて猶作らん」とまで述べられ、
また自らを「三宝(”さんぼう”、或いは”みほとけ”)の奴(やっこ)と仕えまつる天皇(すめらみこと)」とさえ称された、聖武天皇の熱意と信仰心が原動力となってはじめて可能であったともいえる。」
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/04syoumuki.html
続く
3424
:
縹
:2014/05/03(土) 00:29:01 ID:oeUx5MQw
続き
華厳経について調べますと、
「華厳とは別名雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。」とも書かれていましたが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C
これはまるで、たった一輪の華のみの存在であるという内容と逆であるように聞こえますが、
昭和天皇様の「雑草という植物は無い」というお言葉を思い出させてくれます。
たった一つの存在を無数の華が支えている状態であるのでしょうか。
そうであるから、「聖武天皇様は、人々が思いやりの心でつながり、こども達の命が次世代に輝くことを真剣に考えられ、動物も植物も共に栄えることを願い、さらには造像にあたっては、広く国民に「一枝の草、ひとつかみの土」の助援をよびかけられた。」のでしょうか。
なんと素晴らしい日本の国柄でしょうか。
日本も生長の家も素晴らしすぎます。
3425
:
クレマチス
:2014/05/03(土) 05:33:52 ID:???
縹様
いつも大変貴い神髄の部分を教えて下さいまして、心から感謝申し上げております。
縹様、体調が優れなくて、いらしたのですか? ご無理をされませんように…。
私は、これにて、失礼させて頂きますが、
閲覧者の皆様とともに、今後も拝見させて頂いておりますので、
縹様、どうか、おからだに障りませんよう、ゆっくりゆっくりで構いませんから、
また、教えて頂けましたら幸いに存じます。
縹様のおっしゃる通り、教えは、今後も実行してまいります。
いつもながらのお優しいお言葉、勿体なく思います。
本当に、有り難うございます。
3427
:
縹
:2014/05/05(月) 21:19:21 ID:oeUx5MQw
3425番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、クレマチス様、この度も温かいレスを戴き、誠にありがとうございました。
有難くて、お礼の言葉も申し上げきれない程です。
今回クレマチス様のご再訪が無ければ、私は途中で断念していたかも知れません。
まだ、重大な事をお伝えせねばなりませんでしたのに、頓挫していたら、やはり大変な事だったと思います。
いつも不思議なタイミングでお助け下さり、本当にありがとうございます。
曳馬野様の仰られたい事は、「雅春先生もお間違いになられたのではないか?」という事だと拝察致しますが、
この前、偶然知ってしまったご皇室の非公開にされている内容を掲示板でお話しするわけにも行かず、
お一人悩ませて、申し訳ない気がしています。
>純子様が 主導権を握って、ますます「ノーミート運動」を活発に推進されたら、
>今時の若い青年たちは、
>生長の家に入信したら、お肉は、食べられなくなるぞ!
>ノーミートで生きなきゃならないぞ!と危惧の想いを抱かないものでしょうか。
そうなのですか、色々な方がいらっしゃいますものね。
こちらでは、皆さん口をそろえて、「純子先生が随分お痩せになられた」と仰ってました。
「毎日お昼ごはんは、世界の飢餓の為に、御飯とお味噌汁だけにしておられるそうよ」と、心配されていました。
私は疑似肉の心配をしておりました。
>心身ともに、大丈夫なのですか?
>でも、彼は 真理については、悩む事も、楽しむ ご性格のようですけれどね。
そうなのですか。楽しまれているのでしたか。
クレマチス様、いつも本当にありがとうございます。
今後、流れ的にクレマチス様宛のご連絡文も混じるかも知れないのですが、お返事お気にされないで下さいね。
クレマチス様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
クレマチス様、本当にありがとうございます。
クレマチス様、本当にありがとうございます。
3428
:
縹
:2014/05/05(月) 21:21:51 ID:oeUx5MQw
今日は、5月5日で、本住吉神社のお祭りでした。
その近所の、弓弦羽神社も同時にお祭りです。
何台ものだんじりが町内を巡ります。
http://www.sakaerukai.com/hyogo/seichi/sumiyosi/Sumi_jin.htm
(栄える会さん勝手にリンクさせて戴いてすみません)
丁度、藤と卯の花の季節にあたり、
どちらも住吉大神様のお好きなお花です。
住吉大社の奥に、卯の花苑があり、13種の卯の花の中を散策する事が出来ます。
以下は、住吉大社のHPから。
「当社の創立記念日が神功皇后摂政11年辛卯歳(かのとうのとし)卯月(うのづき)上卯日(かみのうのひ)であることから、毎年5月初めの卯の日に卯之葉神事というお祭りを行っております。
卯の花玉串を捧げ、舞楽の奉納等、盛大に行われます。」
http://www.sumiyoshitaisha.net/topic?id=2
本住吉神社が元で、そこから住吉大社へ移転し、それから、明石へも大神様は移られたという言い伝えがあるようです。
「大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、
住吉大神より「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、
藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。
そこで、雄略天皇8年(464年)に当地に住吉大神を勧請したのが当社の創建と伝える。正応5年(1292年)に現在地に遷座した。」
「神功天皇が播磨灘で暴風雨にあった際、当地に滞在し、住吉大神に平穏を祈願したところ風雨はたちどころに納まり、つつがなきを得たと伝承されることにちなんでいる。
その際に皇后の衣を松の枝に掛け干していたところ風になびき錦のように美しく見えたことから「錦ヶ浦」と呼ばれるようになった。
神功天皇が摂津の国の国住吉に鎮祭した住吉大明神が「吾が居住(す)はむと欲(ほ)りする処は、播磨の国に渡り住わむ」とお告げを出した。
そのため、大藤を切り、海に浮かべ神意を伺うと「この藤の枝の流れ着く所に我を鎮祀れ」とのご託宣した。藤は当地の魚次浜んじ流れ着いた(住吉神社神代記)。
これにより雄略天皇の464年4月初卯日にこの地に勧請し祀ったのがこの住吉神社である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%B8%82)
この魚住の住吉神社も、今日5月5日が、卯の日祭であったようです。
http://www.sumiyoshijinjya.com/
卯の花まつり/
また、『播磨国風土記』にも、住吉大神様が、「船から藤の枝を流して、流れ着いた所に祀れ」と仰られて、その流れ着いた場所が、明石の藤江という所だったとあるそうです。
この二つの場所は、とても近くて、藤と、卯の花も関係して、住吉大神様の息づかいが感ぜられるようです。
生長の家も、藤棚の家から、発祥しました。
生長の家誌は、このように、歴史的流れの上での誕生だったのですね。
本当に住吉大神様のお始めになられた運動だったのですね。
そして、この藤江と魚住という場所の中間点に、明石原人の人骨の発見された場所があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E4%BA%BA
雅春先生は、琵琶湖の近くで日本民族の誕生があったのではないかと仰っておられましたが、
私もそれが正しいに違いないと思っています。
このように、住吉大神様にご縁の深い土地に、古代人の骨の伝説が残っているのも、偶然ではないのかも知れません。
3429
:
縹
:2014/05/09(金) 17:28:15 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
明石には、確かアカシゾウが居たと思い、明石市立文化博物館のホームページを探してみました。
http://www.akashibunpaku.com/index.php
明石は台地なのですが、太古は、湖の底であった、と書かれてありました。
http://www.akashibunpaku.com/permanent/01_akebono.html
海から歩いてJRの路線を超えると、急に土地がせりあがっています。その為、水害がありません。
台地であるものが、湖の底であったとは、神様のスケールの違いを感じます。
以下ホームページから抜粋です。
先日投稿させて戴きました、魚住や、藤江、といった地名が出て来るので驚きました。
「この土地の歴史は、今から200万年前の大きな湖の底であった時代からたどることが出来ます。このころ湖の近くには、アカシゾウ(アケボノゾウ)やシカマシフゾウ(シカの一種)など、今の日本にはいない動物がすんでいました。
では、この明石の地に人が住み始めたのは一体いつ頃のことでしょうか。
昭和の初め頃、西八木海岸で直良信夫が発見した人骨は、一時、原人の骨であると発表され注目を集めましたが、現在では疑問視する意見も強くなっています。
しかし、1985年の <西八木海岸> の発掘調査で、今から6〜7万年前の地層から人工の木器が見つかり、 <近畿地方で最古の人類> が住んでいたことが明らかとなりました。
『明石原人』
後に「明石原人」とも呼ばれることになった人類の腰の骨は、1931年に大久保町の西八木海岸の更新世の地層の崩壊土の中から発見されました。発見したのは、当時考古学や古生物学に興味を持ち、西八木海岸一帯で動物の化石や石器らしきものを採集していた直良信夫でした。直良はその骨を旧石器時代人の骨だと考え、東京大学の松村瞭にその人骨を送り、判断を求めましたが、当時比較する資料がなく、結論が出ないまま返却されました。この骨は東京大空襲で消失しました。
戦後、人類学者の長谷部言人は東京大学に残されていた人骨の石膏模型をもとに、明石で発見された腰の骨は北京原人に匹敵する原人の骨であると発表しました。そして現地付近の発掘調査を試みましたが、その時は期待していた成果は得られませんでした。1982年には、東京大学の遠藤萬里と国立科学博物館の馬場悠男が世界各地から出土した人骨との比較を行い、明石人骨は縄文時代以降の新人の骨であるという説を発表しました。
国立歴史民俗博物館の春成秀爾は、人骨が化石化していたという数多くの研究者の証言や、自ら谷八木海岸で採集した剥片石器を手がかりとして、1985年に再度西八木海岸の発掘調査を行いました。調査で直良が人骨を採取したとされる地層(西八木層)から人が加工した木器が発見され、その結果、この明石の地において、6〜7万年前に旧人に相当する人類がいたことがほぼ確実になりました。
『大昔の明石』
今から1.5〜2万年前には、ナイフ形石器を狩猟具とした人々が、大久保町西脇や魚住町寺山などに住んでいたことが確かめられています。
今から約1万年前には、日本列島で土器づくりが始まりました。土器の登場により煮炊きが出来るようになり、食生活も質・量ともに豊かになりました。
明石では <藤江> などの段丘上で狩猟・採集生活を送っていました。」
http://www.akashibunpaku.com/permanent/01_akebono.html
住吉大社で創建1800年ですから、7万年前から、この辺りには、人が住んでいたという事になりますと、
住吉大神様は、7万年前からご自身がお住まいになっていた土地に、戻られたかったということかも知れませんね。
3430
:
縹
:2014/05/09(金) 17:33:08 ID:oeUx5MQw
3429番の続きです
谷口雅春先生は、琵琶湖の近くで日本人が生れた事を述べておられましたが、
これは、正しいと私も思います。
なぜなら、人体に似た日本列島において、琵琶湖は子宮に相当するような位置にあり、
その琵琶湖から流れる淀川の河口近くに、西宮えびすの西宮神社があり、これは、葦船に乗せて流された蛭子の神が祀られた神社であるからです。
思えば、宇治川のほとりの宇治別格本山に流産児供養塔があるのも、偶然ではないのかも知れないですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%80%E5%B7%9D
「淀川(よどがわ)は、琵琶湖から流れ出る唯一の河川。瀬田川、宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に流れ込む。」
『西宮えびす 由緒 御鎮座伝説』
昔々、鳴尾に住んでいた漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大変手ごたえを感じました。喜んで引き上げてみますと、それは期待していた魚ではなく、今まで見たこともないものでした。よく見ると人形のような、又御神像の様にも見えましたが、魚ではないので海にもどしてしまい、また魚の群れを求め、西の方へと船を進めてゆきました。なかなかえものに恵まれず、今の神戸の和田岬の辺りまで来て、なかばあきらめながら網を入れたところ、再び大変な手応えを感じ、今度こそはと勇んで網を引き上げてみると、何とそれは先程海にもどしたはずの、あの御神像の様に見えたものでありました。
漁師は瞬時に、これは徒事ではないと確信し、漁をきりあげ、御神像を丁寧に布にくるみ、家に持ち帰りました。粗末な家ではありましたが、漁師はその像の為に床をしつらえ、朝な夕なにお供え物をし、お祀りすることになりました。
しばらくたったある日、いつもの様に夕方のお供えをして、自分も夕食をとり、やがて眠りにつきました。その夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。
蛭児の神。それは神代の昔、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神が久美度に興して生み給いし御子。日本書紀によると、三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったとも云われています。伊邪那岐伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟の海へ流してしまわれたのです。
その蛭児の神、葦船に乗せて流された蛭児の神が、再び茅渟の海から出現されたのです。平安の御代に力強くよみがえった蛭児の大神、この神が西宮えびす大神として茅渟の海、今の大阪湾岸をうしはく神として、海に生業の道を求める人々はもとより、開けつつある街の人々の、絶大なる信仰を集めてゆくのです。
http://nishinomiya-ebisu.com/history/history01.html
3431
:
縹
:2014/05/11(日) 23:45:29 ID:oeUx5MQw
先日の明石市立文化博物館のホームページに、以下のような記述がございました。
『源氏物語』に描かれた明石
「『源氏物語』の中で明石は、光源氏の従者によって「ゆほびかで、明るく美しい土地」として紹介されています。そして、白砂青松の地である明石を舞台に、光源氏と明石入道の娘「明石の上」との恋が成立し、「明石中宮」がうまれます。
この物語によって明石は風光明媚な <月の名所> として全国的に有名になります。
その後、松尾芭蕉をはじめ多くの人々が <明石の月> を見るために訪れました。」
http://www.akashibunpaku.com/permanent/03_kinai.html
このように明石は、月の名所で、
明石の少し西にある高砂の有名な「高砂」という歌も、「和歌を詠むと、月の光と共に、住吉大神様があらわれられる」という内容になっています。
今回、西宮えびすの件で出てきました「鳴尾」の地名も、謡曲「高砂」に登場します。
―「高砂」歌詞―
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
能「高砂」37:32〜
http://m.youtube.com/watch?v=IOArf1qX6pM
解説付き
http://m.youtube.com/watch?v=Bw7chrgnThQ
歌の中の「相生の松」は、高砂神社にあったそうです。
「郄砂神社は、約1700年前に神功皇后が三韓より凱旋する途上で鹿子水門(かこのみなと)に停泊され、国家鎮護のため大己貴命をまつられたのがはじまりと伝えられています。
世阿弥の謡曲「高砂」に名高い境内の相生松は雌雄一体の珍しい松で、郄砂神社創建以来、夫婦和合、長寿繁栄を祈る尉姥として親しまれています。」
http://takasagojinja.takara-bune.net/photo/contents.html
「“相生松”が、高砂神社境内に生い出でたのは神社が創建されてまもなくのことでした。その根は一つで雌雄の幹左右に分かれていたので、見る者、神木霊松などと称えていたところ、ある日、尉姥二神が現われ「我は今より神霊をこの木に宿し、世に夫婦の道を示さん」と告げられました。
これより人は相生の霊松と呼び、この二神を“尉と姥”(おじいさんとおばあさん)として今日めでたい結婚式になくてはならないいわれになったと伝えられています。」
http://takasagojinja.takara-bune.net/banner/pine.html
3432
:
縹
:2014/05/11(日) 23:46:30 ID:oeUx5MQw
続き
能「高砂」解説
http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_015.html
「陽春の光きらめく播州(兵庫県)高砂・高砂の浦。
一本の松の老木の下を掃き清める気品ある老夫婦がおりました。折から、この浦に立ち寄った肥後の国・阿蘇宮の神主・友成は、松の謂われを尋ねます。老人は、
「この松こそ、世に名高い高砂の松。この松と住吉の松は“相生の松”と言われています。私たち夫婦も、妻はこの浦の者。私は住吉の者で、遠く隔てて住んでいても、心は通い合っております。」
友成は感心し、さらに詳しい相生の松の物語を尋ねますと、
「昔の人の申しますには、高砂というのは、上代の『万葉集』の時代を示し、住吉とは今のこの延喜の帝の時代のことをさしています。かわらぬ緑を保つ松は、永久に尽きない和歌の道を表し、その繁栄は昔も今もかわりません。」
なお松のめでたさを語り続ける老人でしたが、
「私たちは高砂・住吉の松の精です。住吉でおまちしております。」
と言い置いて、汀の小舟に乗り、沖の彼方へ姿を消します。
住吉をめざして、高々と帆を挙げて船出する友成一行。
やがて澄み渡る月あかりのもと、住吉の神が出現して泰平の御代を祝福し、颯爽と舞います。」
http://www.hakusho-kai.net/welcome/programs/takasago.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/47413635.html
『ところが、結婚式では、「入り」を「出る」に入れ替えて歌う…その結果は…』
「ところで結婚式で祝言謡を謡う場合、「翳シ=かざし」というのが問題になる事があります。縁起の悪い文言をめでたい文句に差し替えて謡うことで、「高砂」の「待謡」の場合、じつは「出る」「遠く」など、結婚式にはすこぶる縁起の悪い言葉が多いのです。
また謡曲では頻繁に出てくる、文句を繰り返して謡う部分も「返シ」と呼ばれていてやはり具合が悪いので一度だけ謡うようにします。つまり本来の文章は上記の通りなのに、実際には次のように謡うのです。
高砂や、この浦舟に帆を上げて、月もろともに入り汐の、波の淡路の島蔭や近く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり、はや住の江に着きにけり
「月もろともに入り汐」じゃ月が沈んで暗闇です。」
http://homepage3.nifty.com/nue-nohgaku/takasago.htm
上記のように、結婚式(祝言の席)では、愚かにも?「入る」を「出る」に変えて、月が沈んで真っ暗な状態を歌う事が多かったようです。
正しく、「月が出て明るい状態」を歌う方が良さそうですね。
3433
:
縹
:2014/05/11(日) 23:47:35 ID:oeUx5MQw
続き
住吉大神様は、このように何かと“月”とご縁のあられる方なのですが、
『八幡宇佐宮御託宣集』にも、
和気清麻呂が宇佐の八幡神の神託を仰いだとき、殿上に <満月輪> のようなものが出現し、和光が宮中に満ちた、とあるそうです。
また、神が忽然と形を現わしたとき、<満月> のごとくであったそうです。
『日本後記』には、清麻呂の祈りに示現した八幡大神の形はその長三丈ばかり、相は <満月> のごとくであった、と記されているそうです。
住吉大神様も国家の一大事に出現される神様ですが、上記に見るように、国家の一大事等には、月に関係する神が助けたようなのです。
因みに、“松”は、ノアの方舟の材料になった木だということが、『生命の實相』にも書かれてあります。
『生命の實相』の教えは、ノアの方舟になっているとのことです。
松と言えば、「住吉の松」という言葉が有名ですね。
(正しい)謡曲「高砂」
高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出汐(いでしお)の
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり
四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ 御代なれや
逢ひに相生の松こそ めでたかりけれ
げにや仰ぎても ことも愚かや
かかる世に住める 民とて豊かなる
君の恵みぞ ありがたき
君の恵みぞ ありがたき
この歌も、最後には国の泰平を言祝ぐ事で締めくくられているように、住吉大神様は国家の祭事にも欠かせない神様であらせられたのだと思います。
『大嘗祭の翌年に行われた儀式:八十島祭』
「淀川の河口に形成されたデルタは難波八十島(なにわのやそしま)と呼ばれ、かつて天皇が即位する際に斎行されていた八十嶋祭の場で、天皇は大阪湾の澄ノ江(住江、住吉の浜)で身を清め、八十嶋の御霊を付着させる祭事を行った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%B9%BE
『住吉大社の年表から』
850 嘉祥3年 文徳天皇、八十嶋祭を行う ※八十島祭記事の初見 (文徳天皇実録)
933 承平3年 朱雀天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・西宮記)
947 天暦元年 村上天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・貞信公記抄)
1013 長和2年 三条天皇、八十嶋祭を行う (日本紀略・御堂関白記)
1018 寛仁2年 後一条天皇、八十嶋祭を行う (小右記・左経記)
1037 長暦元年 後朱雀天皇、八十嶋祭を行う (行親卿記)
1069 延久元年 後三条天皇、八十嶋祭を行う (江家次第)
1103 康和5年 堀河天皇、八十嶋祭を行う (殿暦)
1109 天仁2年 鳥羽天皇、八十嶋祭を行う (殿暦)
1124 天治元年 崇徳天皇、八十嶋祭を行う (中右記目録)
1143 康治2年 近衛天皇、八十嶋祭を行う (台記・本朝世記)
1157 保元2年 後白河天皇、八十嶋祭を行う (兵範記)
1160 永暦元年 二条天皇、八十嶋祭を行う (山槐記)
1167 仁安2年 六条天皇、八十嶋祭を行う (愚昧記・兵範記)
1169 嘉応元年 高倉天皇、八十嶋祭を行う (愚昧記・兵範記)
1191 建久2年 後鳥羽天皇、八十嶋祭を行う (百練抄・玉葉集)
1205 元久2年 土御門天皇、八十嶋祭を行う (百練抄)
1220 承久2年 順徳天皇、八十嶋祭を行う (仁和寺日次記・百練抄)
1224 元仁元年 後堀河天皇、八十嶋祭を行う (明月記)
1232 貞永元年 四条天皇、八十嶋祭を行う (続古今集)
http://www.sumiyoshitaisha.net/outline/history.html
3434
:
縹
:2014/05/11(日) 23:51:03 ID:oeUx5MQw
続き
神功皇后様が三韓征伐の時に、住吉大神様は御守護なさいましたが、そのエピソードの一つに、
牛鬼を住吉大神様が退治して下さったという伝説があるようです。
「牛窓町(現・瀬戸内市)に伝わる話では、神功皇后が三韓征伐の途中、同地にて塵輪鬼(じんりんき)という頭が八つの大牛姿の怪物に襲われて弓で射殺し、塵輪鬼は頭、胴、尾に分かれてそれぞれ牛窓の黄島、前島、青島となった。
皇后の新羅からの帰途、成仏できなかった塵輪鬼が牛鬼に化けて再度襲い掛かり、住吉明神が角をつかんで投げ飛ばし、牛鬼が滅んだ後、体の部分がバラバラになって黒島、中ノ小島、端ノ小島に変化したという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%AC%BC
牛には、住吉の大神様ですね。
その住吉大神様は、月光と共に…
住吉大社のおみくじの第十六番は、
「言わずとも思ひは空に知りぬらむ あまくだります住吉の神」
歌意は、
「言葉に出して言わなくとも思いは神様に届いているでしょう。その証拠に、月光と共に、住吉の神が天降ってくることだ」という事です。
住吉大神様が、月光と共に顕れられる事は、古代から定説になっていたのでしょうか。
谷口雅春先生は、『聖使命菩薩讃歌』に、
「釈迦は法滅盡経に、
イエスはマタイ二十四に、
この世の終り預言せり」
とお書き下さっていますが、「この時代が、今の時代ですよ」とお教え下さっています。
その『法滅盡経』には、末世に、「月光菩薩が顕れて、52年間の間仏法を興す」と書かれてあるようです。
谷口雅春先生は、大体55年間位、御説法をして下さったと思われますが…。
その谷口雅春先生は、『大調和の神示』に於て、「師の恩に感謝せよ」の所を、「これは師である私に感謝させることになるので」との理由で、削除されました。
もしかしたら、聖経「天使の言葉」の「月光の曲」の部分も、谷口雅春先生の事であったのかもしれません。
お聖経中の、「諸作品」を「月光の曲」に戻したほうがいいと思います。
(聖経『天使の言葉』の文中の「諸作品」は、本来なら「月光の曲」であった。
本来の文章は、以下。)
「かの楽聖ヴェートーベンは
有名なる『月光の曲』を
肉体の耳聾いて
物体の音響を弁別し難き晩年に到りて
作曲せしにあらずや
(中略)
彼の指頭(ゆびさき)はピアノの鍵盤に触るゝに従ひて」
3435
:
縹
:2014/05/14(水) 00:21:51 ID:oeUx5MQw
今日は(日付が変わりました)偶然法然上人のお誕生日であったようで、以前『日常生活の中の真理』の聖典について投稿させて戴いた分を、先日からの投稿の流れから、こちらにも掲載させて戴きたいと思います。
『日常生活の中の真理』の表紙カバーは、知恩院所蔵の仏画ですが、
知恩院を調べましたら、浄土宗ですので阿弥陀様が御本尊様でした。
http://www.chion-in.or.jp/01_honen/hon.html
それで、開祖の法然上人が、以下のお歌を残しておられる事を知りました。
以下は知恵袋からの転載です。
「 月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ 」
浄土宗の開祖として有名な法然の和歌です。
「月影」 、月の光とは、実は阿弥陀如来の光明、救済のこと。
“月の光はこの世をあまねく照らして、どんな辺鄙な里にも届くけれど、
それを眺める人の心が澄んでいるからこそ その美しさが心に宿るんですよ”
心を澄ませる、つまり、阿弥陀の光に心を向けて、「南無 阿弥陀仏」 と念仏を一心に唱えてこそ、阿弥陀如来の光 (仏の救い) は人の心に “住む” んですよ。
「すむ」 = 澄む + 住むのダブルミーニング、掛詞です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11108072876
・・・転載以上です。
谷口雅春先生は、生長の家大神様(住吉大神様)は、阿弥陀如来様でもあらせられると教えて下さっていましたので、
澄む=住むですよ、という所は、少し嬉しいです。
後で気が付いたのですが、『日常生活の中の真理 仏典編』の表紙カバーに、住吉大神様が登場されていることになるように思いました。
偶然なのか、故意なのかわからないですけれども…
3436
:
縹
:2014/05/14(水) 00:24:26 ID:oeUx5MQw
続き
「住吉大神と阿弥陀仏との関係
この住吉大神は如何なる神様であるかと言いますと、人生を住みよき世界にする所の神様であります。
佛教で言うと、この神様は阿弥陀仏にあたるのであります。
阿弥陀仏の慈悲の働が観世音菩薩、阿弥陀仏の智慧の働が勢至菩薩であります。
阿弥陀・観音・勢至の三尊一体であります。
生長の家の神様は観世音菩薩であると言われておりますが、その本地は阿弥陀仏であります。
谷口雅春先生御著書『實相と現象』より」
「月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる[10]、という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E8%A6%8B
阿弥陀様は何かと月にご縁があるようです。
阿弥陀信仰も正しい教えでありながら、法華の教えを信じる人からすると、邪教に見え、
「そんなものを信じているから国が危なくなる」と考えるようです。
でも先程から見て参りましたように、生長の家の万教帰一の教えがあると、その相反する宗教でもその真髄において和解出来ます。
大体明治時代は、神仏分離令が出たり、廃仏毀釈で仏像を谷底へ突き落したり、お坊さんにも祝詞を練習させたりの時代だったそうですので、マッカーサーが来て信教の自由を許されて喜んだ宗派もあるそうです。
ですから、生長の家の「万教帰一」が、我が国のみならず、世界平和のために、今後とても必要だと思います。
生長の家は、「万教帰一」の教義をとても大切にしたほうが良いと思います。
3437
:
縹
:2014/05/14(水) 00:57:35 ID:oeUx5MQw
補足:廃仏毀釈は途中で日本人自らが停止させたので、それはマッカーサーのお陰ではありませんが、事実として、マッカーサーを喜んだ宗派もあったそうです。
元々、日本は、神仏習合の国柄で、生長の家の万教帰一の風潮が外国よりは多くあったのだと思います。
それは素晴らしい事で、本当に日本の素晴らしい点だと思います。
聖武天皇様の時代の仏教にもみえますように、仏教の一番の権威が天皇様ということで、仏教がカルト化しなかったと思います。しかし、江戸時代には僧侶が腐敗して嫌われて、それもあり廃仏毀釈へと傾いたらしいです。
またもう少し調べさせて戴きますね。
3438
:
縹
:2014/05/14(水) 00:59:15 ID:oeUx5MQw
クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、お元気でらっしゃいますか。いつも色々とお世話になり、ありがとうございます。
掲示板上で何かあられたのではないですか、大丈夫でらっしゃいますか?
クレマチス様の事ですから、きっと大丈夫でらっしゃると信じておりますが…。
(お返事を戴かなくて結構ですから。)
3439
:
縹
:2014/05/14(水) 21:00:10 ID:oeUx5MQw
クレマチス様
合掌 ありがとうございます
掲示板の件を後になってから知って、いきさつがよく分からず、申し訳ございません。
何が起こったのか理解出来ないでいます。
何かご意見があられましたらこちらにお書き込み下さいね。
・・・・・・・
卒業されてからも現在の生長の家の状態を如何にせんと思って下さってありがとうございます。
私も手を尽くさせて戴きますね。
バール神の事を仰られてましたが、全体を俯瞰してみると、浄化の最中であるように思います。
本住吉神社の少し上が、牛神という土地でして、その周辺に、朝日新聞の美術館があります。
その隣が、弓弦羽神社です。
弓弦羽神社には、伊邪那美命様が祀られています。
住吉大神様の上に伊邪那美命様が祀られているのは、総本山と似ていますでしょう?
これは余談ですが、六甲山の西宮よりには、牛のお化けが出るという地元の噂があるのです。
私は怪談は苦手ですので、聞きたくなかったのですが、古事記の講義の最中に偶然聞いてしまいました。その時に八坂神社と、廣峯神社の話しをしていたので、何が言いたかったかが分かります。
西宮にはかつて屠殺場があって、神戸は神戸ビーフで有名なので、当時は複雑な思いでした。このお話しは、以前にもさせて戴きましたね。
この板は、他の方の目にもとまるかも知れませんので、注意が必要ですので、「怖がらせる目的でない事」を補足させて戴きますが、
「この世界は神様のお造りになった完全な世界で、物質では無い、不調和は無い」という信念を保持出来ている人は、神界に波長があって、どんな場所に住んでいても、波長がずれて大丈夫だと思うのです。
多分、物質界に波長が合いやすい人は、同じ世界を眺めてみても、不完全な世界に見えるのではないでしょうか。
同じ風景を眺めても、その人の心持ちで、良い世界に見えたり、邪悪な世界に見えたりすると思います。
私も昔は、怪談が怖かったですが、今は、神様の完全さを認識出来ているので、恐れないです。
自然と波長がずれるのか、物質的でない価値観の中で生きることが出来て、物質はどうあれ、とても清浄な環境と申しますか、清々しい思いで暮らせています。
私のこの雑談も、“怖い話なのかな”と感じる方もいらっしゃるかも知れません? でも、怖がらせる目的ではなく、そもそも住んでいる内面の世界が、神様一筋の世界ですので、不調和もただの霞のように感じていますので、霞について話しているように受け取って戴けたらと思います。
不完全有りを前提で話しを進めるより、完全・實相独在を前提に思考して、
「如何なる不幸もただ『生命の實相』の表面を覆える叢雲の如き幻に過ぎざるなり。その幻はすべて『生命の實相』を知らざる迷いより生ず。」
※ここでの『生命の實相』は本の事ではなく、生命の相の事だと思います。
と聖経にございますように、生命の實相をまず把握すれば、不完全は霞のように消えて行くと思います。
少しづつ話しを進めさせて戴きますね。
3440
:
クレマチス
:2014/05/15(木) 11:47:09 ID:???
縹様
お声を、かけて下さいまして、ありがとうございます。
光栄に存じております。
縹様の貴重なご投稿文、拝見しています。
バール神のこと、中村様が、光明掲示板に、書いておられましたね。
バール神は、頭に牛のような角があり、
牛神様とも 言われていて 神様から 嫌われている魔物神なのだそうですね。
なんと、ネットには
「バール神とは、雷と雨の神でもある」とも、記されていました。
また、詳しい事、ご存知でしたら、教えて下さいませね。
お話変わって、
「掲示板」のこととは、
「光明掲示板」へ、クレマチスで書き込まさせて頂いた、あのことでしょうか?
それでですね、私も、縹様、同様に、もう、光明掲示板には書き込みが、出来なくなりました。
私は、自分でも申し出ましたが、そのようなお達しが、あちらの管理人様から、出ました。
ですから、ここの掲示板の皆様方と、同じ立場に、やっと、私も なれたのです。
私は、トキ様の ご文章の中で、
多くの信徒の皆様にも知って頂きたい情報を 拡散したい という思いで、
ここの掲示板のいくつものトキ様や 縹様のもでしたが、投稿文を、3年間、
光明掲示板の方へ 転載させて頂いて参りましたが
ここを卒業しますとき、それが、できなくなるということが、
ここを卒業する時の、唯一の 心残りで ございました。
しかし、
私、個人のことを考えれば、その唯一の未練が、今回のこと消えましたので、よかったです。
(私の責任で、あちらへ転載したことですから、どなたの せい でもありません)
ですけれど、今後の、本流復活の 戦略 を考えた場合は、
私、「志恩」個人には、転載を禁じましても、
例えば、破邪様などは、どんどん、本流復活のために必要な情報とあらば、
今後も、トキ様方の ご投稿文を、
光明掲示板の方へ、転載して頂きたいと思っております。
なぜならば、トキ様は 教団内に おられるお方なので、かなりの教団内の
詳細な情報を、ここの掲示板に、書かれる事がおありになるからです。
折角の貴重な情報が、埋もれたままになるのは、本流復活のために、
すごく勿体ないことだと思っております。
また、あちらの管理人様は、
>>もしも「クレマチス」様が本心から本流の復活を願っておられるのならば、
トキ掲示板の諸賢に向かって、
「現教団のカルト化を危惧する人は、私と一緒に総裁を捕まえて、
『総裁先生!!危険です。カルト的ご指導は止めてください!!』と言いましょう。
それが本当に教団のカルト化を防ぎ、教団を愛する者の態度ですよ!!」
と、教えてあげてください。<<
と、書かれましたが、
トキ様も私も、いままで、どれだけの回数、
雅宣総裁や教団宛に、直訴のコメントを、ここで、書かせていただいて
きましたことか…と思い返しますと
それを、なにも、やって来なかったように、受け取れるようなご批判をされた事につきましては、
正直言って、ちょっと、意外に思いました。
とにかく、今回、分かりました事は、光明掲示板への書き込みの私のお役目は、
終わったように思わせて頂いた事でした。
(あちらに管理人様は、私を助けて下さった恩人でもいらっしゃるので、
そのご恩は、感謝いたしておりますが。)
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1581
3441
:
クレマチス
:2014/05/15(木) 12:49:00 ID:???
(つづき)
バール神について、ネット検索していましたら、こんな意味深な 詩?が、ありました。
日本人の心に イエスが 住まわれていない――と言う事実は悲しい。
しかし、今すでに 再臨 の時を 迎えているのである。
日本民族よ
いつまであなたは 木や石を拝むのだろうか
その木は語らず その石は答えない
いつまであなたはその暗い墓に留まるのか
帰りなさい エフライム
あなたはかつて最も愛された者ではないか
帰りなさい エフライム
あなたに用意されていた 祝福に
悔い改めて 心を入れ替え
生ける神の元に 帰りなさい
今 しばらくの 猶予がある
『聖書』を読めば 分かる事だが 本来エフライムは
最も神に愛された一族であった。だからこそサタンはこれを付け狙い、堕落させたのであった。
しかし、もし信仰を保つならば 400年の後には南ユダ王国と合流し、
やがてイエスを迎えるはずであった。
けれども彼らは[信仰貞操]を立てる事ができず、
堕落したので神に大きな悲しみ をもたらしたのである。
しかし、その罪の歴史も今終わりを告げるのである。
帰りなさい エフライム あなたはかつて神の民であった。
3442
:
クレマチス
:2014/05/15(木) 12:58:30 ID:???
(再掲)
2059 :縹:2013/11/12(火) 00:08:48 ID:oeUx5MQw
沖縄の伝説で、「八つに重なった山に去った」後、「岩の城の山の岩屋に隠れた」となっていることに気が付きました。
森のオフィスがあるのは、岩石のゴロゴロとした、「石の堂」という地名だったと憶えているのですが…。
そして、その岩を砕いて、オフィスの土地に敷き詰めたと掲示板で見ました。
雅宣先生は、十年位前は、山の傾斜面に、穴を掘って、住居にしたいと考えておられたのです。(中国の住居にならって)
猛反対で断念されたのだと思うのですが、そのまま行っておれば、沖縄の伝説が、そのまま実現していたと思うのです。
私たちは、必死で阻止しようとしましたが、もう心の世界には成立してしまっている事柄で、
現象界に現れざるを得ない段階にまで達していたのかもしれません。
(『生命の實相』第一巻の内容)それで誰も止められなかったのかも…。
その伝説は、その後、「弥勒に治世が委ねられた」、ということなのですが、
弥勒とは、今迄も何度もご説明させて戴いた通り、再臨のキリストの事です。
私は、やはり、『終戦後の神示』にある住吉大神様の完全な発現の時期の到来を知らせる事象だと思うのです。
3444
:
クレマチス
:2014/05/15(木) 20:33:53 ID:???
縹様
縹様が、私の事、心配して下さって、お声をかけて下さいましたので、
本日は、卒業生として、書かせて頂いております。
本当に、ありがとうございます。
縹様とのお話が、終わりましたら、掲示板から帰りますので、
その後の事は、どうぞ、よろしくお願いいたします。
3445
:
縹
:2014/05/15(木) 21:27:13 ID:oeUx5MQw
3444番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、遅くなってすみません、夕方急に来訪者があり、投稿が遅れてしまいました。
無理して書き込んで下さったのですね、本当にどうもありがとうございます。
今後も、ご無理なさらないで下さいね、お返事戴けなくても、(今までの話しの流れから)お呼びかけさせて戴きながら、話しを進めさせて戴きますから。
お気を楽に持たれて下さいね。
続く
3446
:
縹
:2014/05/15(木) 21:33:25 ID:oeUx5MQw
3440番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
お返事下さってありがとうございます。ご主人様の事は大丈夫でらっしゃいますか。
この度の光明掲示板とのやりとりは、やっぱり何が起こったのか、はっきりわからないのです。
訊け管理人様がどうとか書かれてありましたが、その内容もどこにあるのか分からないのです。
クレマチス様が書き込み出来なくなられたということは分かるのですが、お力になれずにすみません。
でもね、きっと、いい方向に行きますよ、聖書を読んでいますと、やはりキリストも、クレマチス様のようにされていますもの。
生長の家は、完成の教会ですから、イエスのようにふるまっていいではありませんか。
詳しくは、後日書かせて戴きますね。
今まで転載で皆様のお力になって下さってありがとうございました。
本流復活のために、ありがとうございます。
私もクレマチス様と同じように、「本流復活が目的だ」と思って、自分もそのつもりで居たのですが、
「意見が違う人とは一緒にはやっていけない」という言葉が、よく本流派の方から聞こえるようになったことに、最近気が付きました。
本流派の皆様は、もう教団とは、別の道をゆかれるようなのですね。
私は、「それでは総本山が守れない」と思いまして、総本山の大切さを呼びかけさせて戴いていたのですが、もう皆さん諦めておられるようでした。
別の宗教を作れ、と言われましたが、観察すればする程、今の状況は、雅春先生の預言通りですので、教団が分かれるのは、“一時隔離”なのであって、私は永遠の別れでは無いのだと思うのです。
幸いトキ様が、個人的にご興味を寄せて下さったそうで、
また、こちらの掲示板の使用を許可して下さってますので、
このお話しを詰めさせて戴きたいと思っています。
続く
3447
:
縹
:2014/05/15(木) 21:45:15 ID:oeUx5MQw
3441番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
何方の詩でしょうね、日ユ同祖論の方が喜ばれそうな内容ですね。
でも私の目から見ると、日本人の中には、キリストが生きているように思います。
3448
:
縹
:2014/05/15(木) 22:21:12 ID:oeUx5MQw
3442番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
2059番を再掲下さってありがとうございます。
この他にも、生長の家と、日本に起る事象は、無関係には思えないものが多くあると思います。
谷口雅春先生も、流行歌でも、知らず知らず未来予知した歌になっているものもあるような事を古事記の聖典にお書き下さっていたと思います。
最近でも、色々あったと思います。
唯心所現の原理なのでしょうか。
3449
:
縹
:2014/05/15(木) 22:45:35 ID:oeUx5MQw
3440番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
>トキ様も私も、いままで、どれだけの回数、
>雅宣総裁や教団宛に、直訴のコメントを、ここで、書かせていただいて
>きましたことか…と思い返しますと
そうでしたか、ありがとうございます。私は殆どトーキング板に専心させて戴いていて、他まで気を配れなくて申し訳ございませんでした。志恩様も掲示板につききりで、頑張って下さってましたよね。神様が見てて下さってましたと思います。
本流側から見ますと、こちらの掲示板の方は、“敵”に見えるのかも知れないですね。職を失ったり、罪をなすりつけられたり、裁判沙汰があったのですから、言うに言われぬ思いがあられると思います。
出版社を作ったり経営したり、大変なご苦労があられて、不眠不休では、ゆったりと構える事は難しいですよね。本当にお忙しいとうかがっております。
これまでの投稿を無駄にしないためにも、また前向きに前進して行きませんか、私は、いつも、一人一人どの方も大切な人と思うのです。
生長の家は、「教え」ではなく、「家」なので、他の宗教は、モデルにならないですよ、生長の家独自のたった一つのオリジナルの道があると思います。
きっとずば抜けた、凄い道だと思います。精一杯するのが、その道と波長が合う方法だと私は思っています。
生長の家は菩薩道ですから。
3450
:
縹
:2014/05/16(金) 01:27:50 ID:oeUx5MQw
続き
朝日新聞の美術館の周囲はとても美しく、写生に訪れるグループもある程ですが、
なぜかしらある虫が多くて、こんな綺麗な所に、なぜだろう?と不思議だったのですが、
その美術館をどうやって集めた資金で建てたかを考えると、致し方ないのかも知れないなと思いました。
それが本住吉神社より坂の上部に存在していて、伊邪那美命様をお祀りした神社の隣にあるのですね。
その近くに、牛神という土地がある…。(古い地名なのでもう地図には載っていない。現在は住吉)
その上は、観音林という名前です。
日本に肉食の風習が入ってきたのは、明治期で、それまでは、仏教を奨励された天皇陛下の影響で、肉食は忌避されていました。
しかし、諸外国の脅威からは、どうしても物理的に国を護らないといけませんでしたので、明治時代は、西洋文化をどんどん輸入して、物質的に強くなることが求められたのだと思います。
肉食も、明治天皇様ご自身は、お肉が大嫌いであらせられましたのに、奨励せざるを得なかったのだと思います。
廃藩置県で各大名の城屋敷を壊し、古き良き日本文化を壊した側面も併せ持ちますから、
とても無理をした時代だったように思います。
このように見てまいりますと、肉食は、日本の伝統ではなく、西洋文明の一端であるともとれます。
従って、屠殺場が日本に出来始めたのは、西洋文化の輸入であったとも言えると思います。
『生命の實相』にも、なるべくなら肉食はしないほうが良い旨が書かれてあります。
弘法大師の例のように、禁止しているわけではありませんが…
ですから、先日の怪談の事ですが、牛の亡霊で悩むのは、伊邪那美文明(物質文明)の影響でとも言えると思います。
赤き龍は、物質という夢を見せる手先ですから、やはり、赤き龍のせいであると言えるのではないでしょうか?
大切なのが、赤き龍から、護国の神剣が出でていると言う事です。
そして、護国の神剣は、迷いを“消す”働きをするということですので、
赤き龍を、消し去るようにもっていくのが良いのだと私は思います。
赤き龍そのものを消すのか、それともその存在など関係なくなるほど、自分達が物質的価値観に振り回されなくなるのか、私は『生命の實相』を学ぶとは、後者の事ではないのかと思いますが。
続く
3451
:
縹
:2014/05/16(金) 01:28:57 ID:oeUx5MQw
続き
「現象に現れている一切の不完全な状態を実在でないと否定せよ、そして、神の造り給うた、完全な状態のみが、現に今此処に實相として存在することを自覚せよ」と雅春先生は教えて下さっています。
これは、「現象の悪に目をつぶれ」、と言っているのではなく、「もっとよく観察してみたらいい」と私は思うのです。
月の観測でも、よく観察すればするほど、月は常に真ん丸であることが分かる他ないように、
もっとよく観察してみたら、それまでは、「不完全だ」と思っていたものが、「実はそのままで完全であった、不完全に見えていたのは、ただ水蒸気が自分にかかっていただけであった」と分かるものだと思います。
今回の例で申しますと、「よく観察してみたら、雅春先生が預言されていた“十二章の時代”に相当するようだ、『終戦後の神示』にある斎女の神のあらわれるという神様の預言がこれかも知れない」と、つかめてくるようなものだと思います。
“十二章の時代”は、赤き龍の影響が大きすぎて、日本が一時隔離されることが書かれてありますので、学ぶ会に集まられておられる皆様が、「日本が大事だから」という理由で集合されている状態に似ています。
でも、永遠にそんな時代ではなくて、現象界の事ですから、いつか過ぎ去る雲のようなもので、
朝日新聞の状態に見るように、赤き龍の状態が酷かろうと、やがては浄化されていくように思います。
ですから、臭いものに蓋や、見て見ぬふりをするのではなく、
もっと観察してみたら、實相があらわれるのだと思います。
實相を観ずる時に、實相が顕れるという、この荘厳懺悔は、理論上は、生長の家教団に於いても、絶対に可能だと思います。
「心理上嫌だ」、と思う人は、拒否されるかも知れませんが。
私は、生長の家の實相をあらわす方法は、これだと思います。
生長の家の實相を把握すると、實相が顕れると思います。
そのお話しを今後続けさせて戴きたいと思っています。
3452
:
クレマチス
:2014/05/16(金) 05:50:34 ID:???
縹様
以前のこと、縹様は
夢に「頭にさそりをつけた男達」が出て来て…というお話を、
して下さったことがございました。
そして、バール神は、「頭に牛の角を つけている」…というので、
なんか、イメージが似ているな、と思いましたけれど、
縹様の今回のお話ですと、バール神とは、日本の過去の歴史に於ける「牛」「牛肉」関係のことでも
あるのですね。私は、霊のことは、怖くないですが、閲覧者の皆様の中には、怖いと思われるお方も
いらっしゃるでしょうね。
縹様ー
3451:
>>「現象に現れている一切の不完全な状態を実在でないと否定せよ、
そして、神の造り給うた、完全な状態のみが、現に今此処に實相として存在することを自覚せよ」
と雅春先生は教えて下さっています。
略
「もっとよく観察してみたらいい」と私は思うのです。
月の観測でも、よく観察すればするほど、月は常に真ん丸であることが分かる他ないように、
もっとよく観察してみたら、それまでは、「不完全だ」と思っていたものが、
「実はそのままで完全であった、不完全に見えていたのは、ただ水蒸気が自分にかかっていただけであった」と
分かるものだと思います。
今回の例で申しますと、「よく観察してみたら、雅春先生が預言されていた“十二章の時代”に相当するようだ、
『終戦後の神示』にある斎女の神のあらわれるという神様の預言がこれかも知れない」と、
つかめてくるようなものだと思います。
“十二章の時代”は、赤き龍の影響が大きすぎて、
日本が一時隔離されることが書かれてありますので、学ぶ会に集まられておられる皆様が、
「日本が大事だから」という理由で集合されている状態に似ています。
でも、永遠にそんな時代ではなくて、現象界の事ですから、いつか過ぎ去る雲のようなもので、
朝日新聞の状態に見るように、赤き龍の状態が酷かろうと、やがては浄化されていくように思います。
ですから、臭いものに蓋や、見て見ぬふりをするのではなく、
もっと観察してみたら、實相があらわれるのだと思います。
實相を観ずる時に、實相が顕れるという、この荘厳懺悔は、理論上は、生長の家教団に於いても、
絶対に可能だと思います。
「心理上嫌だ」、と思う人は、拒否されるかも知れませんが。
私は、生長の家の實相をあらわす方法は、これだと思います。
生長の家の實相を把握すると、實相が顕れると思います。<<
志恩ー
上記の、縹様が教えて下さいましたことは、生長の家の肝心要の真理ですよね。
つい、われわれは、現象ばかりに目が行きがちになりがちですけれど。
縹様、たいせつなことを書いて下さいまして、ありがとうございます。
このことを 忘れずに実行しながら、行動してゆけば、何事もうまく行きますし、
よき方向へ導かれる。
私も、これまで生きて来た実体験からも、確信させて頂いておりますことです。
3454
:
訊商業
:2014/05/16(金) 06:11:35 ID:???
>>グレテマスさん
ところで
>>3453
ですが・・・・縹様の話題と「なにか関連が?」
・・・・ご迷惑なのでは、ありませんか?
(それに無免許掲示板のソレ、私の書き込みではありませんし・・・)
拜
3457
:
クレマチス
:2014/05/16(金) 16:14:53 ID:???
縹様
申し訳ございませんが、私は、卒業生ですので、今日中か、遅くとも、明日までで、
ここを、お暇させて頂く予定でおります。
私は、今後も、本流 回帰を 応援させて 頂いて参ります。
それから、
キリストの再臨とは、聖書の、あのキリストが生まれ変わって、
この世に出現して来るという意味ではないですよね。
われわれの内なる久遠のキリストが、心の転換によって、現れるという
意味ですよね。
それとも、救世主キリストの再臨が あるという意味なのでしょうか?
あの預言は,,,。
3458
:
縹
:2014/05/16(金) 16:38:20 ID:oeUx5MQw
3452番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
クレマチス様、お忙しい中ありがとうございました。
訊け管理人様のご投稿文?も拝見させて戴いたのですが、いたずらであったとか。
やはり何が起こったのか分からなかったのです。
クレマチス様の事ですから、まっすぐ一所懸命されたのだと思います。
>頭にさそりをつけた
日本がウソによって大変に苦しめられるという暗示だと解釈しました。黙示録にもその場面が出て来ています。
>縹様の今回のお話ですと、バール神とは、日本の過去の歴史に於ける「牛」「牛肉」関係のことでも
あるのですね。
いえ、何の悪神悪霊の憑依にせよ、自分の波動が高ければ、居ても居なくても関係なくなるので、
日本全体が、物質的な価値観に染まった事が、問題ではないか? という事でした。
『生命の實相』の教えを一所懸命学ぶことが大切と思いました。
本住吉神社の近所に、牛神という土地があることは、前から気になっており、如意宝珠の山が、牛のお化けの心霊スポットになっているのは、どういう訳かと考えた事があります。
生長の家と無関係なら良いのですが…。
>私は、霊のことは、怖くないですが、閲覧者の皆様の中には、怖いと思われるお方もいらっしゃるでしょうね。
真理を知っていて、心に愛があれば、怖くないのですが、そうなるには、何年もかかるかも知れないですね。
3459
:
縹
:2014/05/16(金) 17:00:05 ID:oeUx5MQw
そう言えば、明治時代に肉食が始まって、外国との戦争に巻き込まれる時代に突入しましたが、
ロシアと戦争をした時に、日本を資金面でユダヤ人が応援した、という事ではなかったですか?
ロシア革命は、ユダヤ人の革命であった、という事だったと渡邊昇一氏が仰っておられたと思います。
赤き龍は巧妙に罠を仕掛けるとのことでしたね。やはり赤き龍のせいでは…。
3460
:
縹
:2014/05/16(金) 18:20:17 ID:oeUx5MQw
3457番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
クレマチス様、ご無理されてまで掲示板上に現れて下さってどうもありがとうございます。
ご主人様がご心配されますよね。
それから掲示板の事、ショックに思われてないと良いですが…大丈夫でらっしゃいますか。
イエスのこんな例えがあります。
イエスも、取税人と言って、イスラエル人でありながらも、ローマの僕となって、同胞たちから税を取り立てていた人々と、仲良くしていました。
それで、原典主義の人々から、「そんな人々と仲良くするなんて」、と言って、批難されていたのです。
キリストの再臨のことですが、とても素晴らしい内容です。
生長の家が、ずば抜けて凄い宗教である事の証のようなものです。
またお話しさせて戴きますので楽しみにされておいてくださいね。
3461
:
クレマチス
:2014/05/16(金) 19:17:50 ID:???
3459:縹様
縹様のおっしゃる通りでした。よくご存知でしたね。
調べてみたところ、JJ太郎さんという人のブログに載ってました。
【ユダヤ人も狂喜した日露戦争の日本の勝利】という題で。
日露戦争では、
ユダヤ人ロスチャイルド、ジェイコブ・シフをはじめとする
世界のユダヤ人が日本を金銭的に支援しました。
他方、ロシアの外債は暴落を続けます。ユダヤ人の妨害によるものです。
遼陽会戦のちの11月10日には第二回外債1200万ポンドが売り切れます。
(第1回は1000万ポンド)1905年3月10日、奉天海戦で日本軍勝利。
3月25日の第三回外債3000万ポンドが売り切れます。
5月28日、日本海海戦で連合艦隊が圧勝。7月8日第四回外債3000万ポンドが売り切れます。
これらの外債の半分はユダヤ人の引き受けによるものでした。
この四回に及ぶ外債で日本は日露戦争を戦い抜くことができます。
日露戦争の日本人勝利の報にアジア民族は狂喜しました。
「新京では支那人が日本人と中心街を練り歩き、花火がいつ果てるとのなく夜空をまった。」
(ニューヨーク・タイムズ)
親日国トルコでも熱狂し、トルコ共和国国歌(独立行進曲)の作詞者である
メフメト、アーキフは賞賛を込めて日本の勝利を描写し、女性作家で英文学の
ハーリデ・エディーブ・アドバルは日本海海戦の年に誕生した息子を「トーゴー」と名づけました。
「ノギ」「ジャポンヤ」も付けたといいます。
日本を支援したユダヤ人も子供に「トーゴー」と名づけることが流行します。
トーゴー・ミッズラヒというユダヤ人の中では有名な俳優、作家、映画監督がおり
1905年の生まれなのだそうです。
イスラエルの国歌「ハティクバ」(希望)の歌詞を書いた詩人のナフタリ・インベルは
明治天皇と日本国民を称える詩を発表しました。
悪い「ロシアのおばさん」と善い「ニッポンのおじさん」の喜劇なんてものもあったそうです。
ロシアでは1881年と日露戦争の前年1903年に、
ロシア政府の黙認の下で全国規模でユダヤ人街や、ユダヤ人部落の襲撃が行われ、
「ポグロム」(ユダヤ人虐殺)が行われていました。
そこでユダヤ人は日本および、
レーニンを始めとする過激派革命組織を支援し、日本勝利に熱狂したのです。
参考文献
「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之共著
「世界が愛した日本」四条たか子著
「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー著
「歴史通」WILL10月『乃木神話はなぜ生き続けるのか』中山彰彦・山内昌之
3462
:
曳馬野
:2014/05/16(金) 19:27:27 ID:I/wU8psA
>>3454
(それに無免許掲示板のソレ、私の書き込みではありませんし・・・)
他からやたらと持ってきて貼り付けるのは五月蠅いんだよ、やってみたらわかっただろう、 ってか
それを47回延長引き分けでなんてやらせたトキどんは何考えてるんだろうね
だからトンチン君は一生懸命しているようで嵌められ役、ももんが君は確信犯てな感じかな
3463
:
縹
:2014/05/16(金) 19:41:55 ID:oeUx5MQw
3461番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
お調べ下さってありがとうございました。
今時間がありませんので、また後ほど…
3464
:
縹
:2014/05/16(金) 19:43:19 ID:xPhLnWm.
合掌 ありがとうございます
5月16日〜18日の間は、浅草神社の三社祭であるそうです。
http://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/yurai.html
http://www.sanjasama.jp/
またこの5月18日という日は、今しがた申し上げておりました、如意宝珠の山の観音様の御開帳の日でした。
どうしてこのような大切な伝説のある山が、神霊スポットになっているのか…。
平成13年に、同じく西宮の廣田神社で如意宝珠が御開帳されています。
http://www.hirotahonsya.or.jp/yuisyopage/yuisyo_gohomotu.html
天照大御神様の別名が、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命ですが、
そう言えば、日本書記の神功皇后様の項に、神功皇后様が神様の御言葉をお聴きになる場面が登場します。
「三月一日、皇后は吉日をえらんで斎宮に入り、自ら神主となられた。武内宿禰に命じて琴をひかせ、中臣烏賊津使主をよんで、審神者とされた。幣帛を数多く積んで、琴の頭部と尾部におき、請うていわれるのに、「先の日に天皇に教えられたのはどこの神でしょう。どうかその御名を知りたいのですが」と申された。
七日七夜に至って、「伊勢の国の度会の県の、五十鈴の宮においでになる、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」と答えられた。」
という場面で、確かに、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とお答えになられておられます。
廣田神社は、その神様が神功皇后様にお命じになられて創建された神社ですので、思えば当然の事でした。
六甲山自体が、廣田神社の奥宮になっているそうです。
神示に、生長の家の大神様は、以下のように自己紹介されています。
「天地一切を照らすときの名を天照大御神と云ふ(中略)我が姿の一つは太陽である。」
「吾れに汲むものは涸かず、吾れは無限の光、無限の生命、無限の愛、無限供給の泉である。」
(『無限供給の神示』 昭和7年5月5日神示)
生長の家の大神様は、天照大御神様でもあらせられ、なおかつ、“泉”でもあらせられ、それで西宮と東灘は、酒処なのかも知れないですね。
本住吉神社の近くにも、神功皇后様の澤の井があります。
長くなりましたので詳しくはこちら
http://tingokokka.blog.fc2.com/blog-entry-147.html
3465
:
縹
:2014/05/16(金) 23:37:38 ID:oeUx5MQw
3461番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、先程はすみませんでした。
ロシアは、ユダヤ人を虐殺していたのですか、存じませんでした。
帝政ロシアが滅ぼされて、ソ連という共産主義国家を生んでしまったけれど、
日本人はその後も多くのユダヤ人を人道的に助けて来たのですよね。
ユダヤ人が悪いのではなくて、物質主義が困るということでしょうか。
こうして見て行きますと、赤き龍は、百年単位で計画的に、日本を赤く塗ろうと動いているようです。
例えば、こっちをつつくと、こっちへ行こうとするので、最終的に袋小路に追い詰めようと、うまく工作しているのかも知れないですね。
行き当たりばったりの対応で、やりすごそうとするとうまく乗せられるのかも知れないですね。
私は、日本を護るのは、万教帰一だと思うのです。万教帰一がご皇室を護ると思っています。
その万教帰一の教えを説く、生長の家が分裂したら…。それこそ赤き龍の思うツボではないでしょうか?
今の急場をやりすごそうとするのではなく、万教帰一が国を護るということを明確に目安にして、今後の計画を立てるほうが、良いような気がします。
続く
3466
:
縹
:2014/05/17(土) 00:03:11 ID:xPhLnWm.
続く
バール神ですが、以前、牛神という地名が気になって調べていた時に、京都や播磨の廣峯神社などに、牛頭天王・須佐之男命として神仏習合されていると知りました。
どちらも秦氏の関係しているかも知れないというイメージの所で、また、秦氏は牛祭というお祭りを行っていたようです。
また、弓月王と、弓弦羽神社の名前が似ているのも気になっていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
でも、弓弦羽神社は、六甲山の神社ですし、六甲山に隠されているという武器(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命・天照大御神様の事)が顕れられると、日本は浄まり、朝日新聞等で猛威を振るっている赤き龍も浄化されていくように思っています。
撞は、つらぬく意味ですね。
古事記のメッセージは、「天照大御神様の御心を生きよう」というものです。
“天地をつらぬく真理の御言葉を生きる“これが、日本の生き方であり、生長の家のみ教えだと思います。
日本に関する真理である華厳の真理は、時節によって顕現するということですから、平成13年の廣田神社の如意宝珠が出てきたのが合図のようなもので、今がその時だと思います。
(再掲)
神功皇后様が三韓征伐の時に、住吉大神様は御守護なさいましたが、そのエピソードの一つに、
牛鬼を住吉大神様が退治して下さったという伝説があるようです。
「牛窓町(現・瀬戸内市)に伝わる話では、神功皇后が三韓征伐の途中、同地にて塵輪鬼(じんりんき)という<<頭が八つの大牛姿の怪物>>に襲われて弓で射殺し、塵輪鬼は頭、胴、尾に分かれてそれぞれ牛窓の黄島、前島、青島となった。
皇后の新羅からの帰途、成仏できなかった塵輪鬼が牛鬼に化けて再度襲い掛かり、住吉明神が角をつかんで投げ飛ばし、牛鬼が滅んだ後、体の部分がバラバラになって黒島、中ノ小島、端ノ小島に変化したという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%AC%BC
牛には、住吉の大神様ですね。
・・・
そして、その住吉大神様は、月光と共に顕れられるのが定番らしいですので、また、「撞く」と「月」は似ていますので、お聖経の中に「月光の曲」を呼び戻すのが秘訣だと思います。
クレマチス様、どうかお元気で、これからもご活躍下さい!
掲示板上のいきさつを分からなくてごめんなさい、想像がつくけれど、想像で申し上げると、ご迷惑をお掛けしてしまうので…。
今まで、拙稿の転載も沢山して下さって本当にありがとうございました。
ご親切にいつも本当にありがとうございます。
温かいお人柄のクレマチス様の中には、神様が生き生き生きておられますね。
今まで本当にありがとうございました。再拝
3467
:
縹
:2014/05/17(土) 01:33:36 ID:oeUx5MQw
悪霊と言っても、何もないのにひょっこりやってきて、悪さをするのではなく、
水の中の魚のようなもので、私達が水に浸っていると、一匹の魚を除いても、また次々と泳いでくるように、
水のほうを絶たねば、なんともならないと、谷口雅春先生がお書き下さっていました。各自が、水から出ないといけないと思います。
ですから、碧巌録第六十則のように、全体に赤き龍が振り掛けている催眠から、沢山の人が目を醒ましていくほかないと思います。
http://tingokokka.blog.fc2.com/blog-entry-55.html
3468
:
クレマチス
:2014/05/17(土) 01:46:38 ID:???
3464 :縹様
夕方から夜遅くまで、多忙となりまして、入れませず、お返事が遅くなりました。
今、書き込む前に、縹様のブログ「久遠の生命の泉」を、拝読していました。
5月16日〜18日の間は、浅草神社の三社祭でありますので、
只今は、三社祭 の真っ最中ということですね。
私事ですけれど、
昔、三社祭 の日は、私は、浅草の観音様の境内へ実家の祖母、母や、兄弟姉妹と一緒に行き、
名物の「神輿」を見に行ったものでした。そして、仲見世の横丁に、美味しい天ぷら屋さんがあり、
みなで、そこへも寄ったものでした。
最近は、行っていませんが、すごく懐かしく、思い出されます。
縹様ー
>>またこの5月18日という日は、今しがた申し上げておりました、
如意宝珠の山の観音様の御開帳の日でした。
どうしてこのような大切な伝説のある山が、神霊スポットになっているのか…。
平成13年に、同じく西宮の廣田神社で如意宝珠が御開帳されています。
天照大御神様の別名が、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命ですが、
そう言えば、日本書記の神功皇后様の項に、神功皇后様が神様の御言葉をお聴きになる場面が登場します。
「三月一日、皇后は吉日をえらんで斎宮に入り、自ら神主となられた。武内宿禰に命じて琴をひかせ、中臣烏賊津使主をよんで、審神者とされた。幣帛を数多く積んで、琴の頭部と尾部におき、請うていわれるのに、「先の日に天皇に教えられたのはどこの神でしょう。どうかその御名を知りたいのですが」と申された。
七日七夜に至って、「伊勢の国の度会の県の、五十鈴の宮においでになる、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」と答えられた。」
という場面で、確かに、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とお答えになられておられます。
廣田神社は、その神様が神功皇后様にお命じになられて創建された神社ですので、思えば当然の事でした。
六甲山自体が、廣田神社の奥宮になっているそうです。
神示に、生長の家の大神様は、以下のように自己紹介されています。
「天地一切を照らすときの名を天照大御神と云ふ(中略)我が姿の一つは太陽である。」
「吾れに汲むものは涸かず、吾れは無限の光、無限の生命、無限の愛、無限供給の泉である。」
(『無限供給の神示』 昭和7年5月5日神示)
生長の家の大神様は、天照大御神様でもあらせられ、なおかつ、“泉”でもあらせられ、それで西宮と東灘は、酒処なのかも知れないですね。
本住吉神社の近くにも、神功皇后様の澤の井があります。<<
…………………………………………………………………………………………….
クレマチス 志恩ー
>>三社祭をやっている5月18日には、如意宝珠の山の観音様の御開帳の日でした。そうで、
また、平成13年に、同じく西宮の廣田神社で如意宝珠が御開帳されています。…ということ、
掌の中の孫悟空ではないけれど、すべてが、生長の家ー観音様の中に、そして、
われわれ生長の家信徒は、その中で生かされ続けているのでしたか。
ほんとうに、生長の家の教えは、すごい教えなのですね。
そういうことを知り、そういう意識があって生きているのと、知らないで
生きているのとでは、自ずから、生きる姿勢や運命に雲泥の差が出て来ると思います。
生長の家では、人間は自分の信じた通りの人生が開けていると、教えて頂いて参りましたが、
わが内なる久遠のキリストの存在価値を、認識して、生きて行けば、
運命はどんどんよくなると、私も、思っております。
西宮は、兵庫県ですけれど、兵庫県は、前にもお話させて頂きましたが、
灘の造り酒屋があるところでも、有名で、そこの灘酒造の本家の奥様が、
元白鳩会兵庫県連合会長の 長部 眞知(おさべ まち)様で、宇治別格本山の
参与もされていたお方でした。
昔、原宿本部へも、いらしていたので、存じ上げております。
あの頃は、そうそうたるメンバーが全国にそろって、おいででした。<<
縹様ブログ
http://tingokokka.blog.fc2.com/blog-entry-147.html
3469
:
クレマチス
:2014/05/17(土) 02:21:53 ID:???
〜本来の生長の家の信徒である私〜
私の70年生きて来た人生を振り返ってみましても、
嬉しく楽しいことだけでなく、辛い悲しいことも、たくさんありましたが、
今だって、雨や嵐らしき日もなきにしもあらず、なのですけれど、
やはり、どんな時でも、教えに照らし合わせながら 生きていますので、
例え、課題がつぎつぎ現れましても
物事の受け取り方を、前向きに受け取れますし、内なる神様やご先祖様方の
強いご守護を確信しておりますので、
たえず、大安心の境地でいられます。
そして、自分にも自信を持って生きられるんですよね。
自分に自信を持てるという事は、心にゆとりを持っていられるということで、
自分の家族や、ご近所の他人のことに対しても、愛情も持って接することが出来るわけです。
そうすると、自然と運命も好転していく。
良い方へ、良い方へ、歯車が回っているのだと思います。
実際に今も、私も家族も、自分たちは幸福だと感じているのです。
ですから、個人が幸福に暮らすには、
神の子人間という真理は、最高の教えだと私は、今更ながら、身を持って
実感しているところです。
ご近所の人とか、子供たち一家が来ても、私の所は、
すごく「リラックスできる」と言ってくれるのです。
それは、どうしてかな、と考えますと、やはり、この教えのおかげで、自分の心が幸福でいられますので、
良い波動が出ていて、相手もリラックスしてもらえるのだと思っています。
ですから、私も家族も、生長の家の教えで、生涯、救われつづけているんですよね。
現象の世の中は、暗いことや嫌な事や不安なことが、満ちていますが、その中で、
このように個人救済していただければ、例え、火の中にいても、涼しく感じて
幸福に、生きられますから、
生長の家は、元々の教えを消してしまっては、全人類の損失だと思っております。
3470
:
クレマチス
:2014/05/17(土) 02:42:09 ID:???
(過去文、再掲)
縹様の「赤き龍」についての ご投稿文 特集
(本流対策室)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/?q=%C0%D6%A4%AD%CE%B6
(トーキングスティックボード)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/?q=%C0%D6%A4%AD%CE%B6
3471
:
クレマチス
:2014/05/17(土) 03:02:16 ID:???
縹様
縹様は【赤き龍】のことを、今回も書かれておられますが、
以前から、谷口雅春先生のご著書から謹写されまして、
たくさん教えて下さってました。
今回は、月に関する事や、他の様々な深い内容につきましても、より深く、教えて下さいまして、
本当に、幸せに存じております。
一つ一つには、お返事は、書けませんでしたけれど、後ほど、再読させて頂き、学ばせて頂きます。
掲示板は、拝見しておりますので、
また、教えて頂けましたら、大変有り難く存じます。
今回は私の事で、気にかけて下さいまして、ご深切、心から感謝致しております。
本当に、ありがとうございました。
3473
:
縹
:2014/05/18(日) 23:59:46 ID:oeUx5MQw
3468番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、クレマチス様、お忙しい中レス戴きまして、誠にありがとうございました。
今日まで三社祭でしたね。
クレマチス様の懐かしい思い出のお祭りですね。
私はいつも偶然に知ることになるだけです。
思い出を分けて下さってありがとうございます。
去年は、クレマチス様が、5月18日にアップされた神戸の月が映った「月光の曲」のYoutubeをリンクでご紹介して下さいましたね。
クレマチス様は、お心が温かい方でらっしゃいますから、神様と一体となられやすいのでしょうね。
前回の投稿の『日本書紀』の3月1日という日は、生長の家の立教記念日ですが、その七日七夜後に、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命様が顕れられた事になっています。(輝子先生のお誕生日になりますか?)
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいづのみたまあまさかるむかつひめのみこと)の事を、その後も調べていましたら、色々な事が分かって来ました。
この「むかつ」が、六甲山の山名の由来ですが、そのむかつ姫を祀る六甲山の神社に、ウサギの形の磐座があるのだそうです。
聖書にも似た記述があるそうです。以前にもお話しさせて戴きましたね。
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、天照大御神様の事でありながら、六甲山では弁財天とされ、水に関係する神様なのですが、(戦前の由緒書きでは、廣田神社祭神は瀬織津姫となっていたらしいのです)
日本国の危機の時に、パッと顕れて、日本を救う神様や偉人は、水に関係する神様が多い事に気が付きました。
宇佐八幡宮も、泉に関係する神様で、
天河は、神武天皇様が「ヒノモト」という国号を天からの授かった土地であるらしいのですが、そこも弁財天で、天照大御神様と同一とされているらしいのです。
また、吉野勝手神社も、天武天皇の危機を救いましたが、まだはっきりとは分かりませんが、元は水神を祀るものであったようです。
楠木正成の氏神様の建水分神社も瀬織津姫であるそうですが、金剛山の鎮守でもあるそうです。金剛山は、かつて金剛杵の時に、御紹介させて戴いた役小角が1300年前に修行した場所であるそうです。
役小角の金峯山寺も、1333年後醍醐天皇派の護良親王を鎌倉幕府からお守りするために戦場となった場所です。
日本国に一大事が迫った時には、泉の性質の神が助けに来て、危機を突破するようになるようなのです。
生長の家の神示には、
「天地一切を照らすときの名を天照大御神と云ふ(中略)我が姿の一つは太陽である。」
「吾れに汲むものは涸かず、吾れは無限の光、無限の生命、無限の愛、無限供給の泉である。」
とあります。
昔から日本の危機を救ってきたのは、生長の家大神様だったのだと思うのです。
3474
:
縹
:2014/05/19(月) 00:02:02 ID:oeUx5MQw
続き
撞賢木厳之御魂天疎向津媛命様(六甲山の神様)は、天照大御神様でありながら、水の神・・・つまり、生長の家大神様のご神徳を有し、六甲山に隠されていたこの護国の神剣を、雅春先生は藤棚の家に於いて、『生長の家誌』として3月1日から世に出して下さったのではないでしょうか?
そして、『古事記』の言わんとしている事は、「天照大御神様の御心を生きましょう」という事です。内容が一致致します。
創世記にもありますように、宇宙の始まりだけでは、一面わだの面であったのを、洗濯機でも、回転することによって渦の目が台風の目のように出て来るように、中心があらわれるようになるのではないでしょうか?
その中心はいつも一つで、必ず、真ん中に発生します。
卐は伊邪那岐命と伊邪那美命の回転を表すという事でしたが、
古事記では、天津神の御言持ちて、天の天沼矛をコオロコオロとかきまぜます。すると淡路島が出来、淡路島の近くには、鳴門の渦潮があります。渦は、有巣の意味かも知れませんね。
創世記では、一面の水の上に神の霊が動いていたのを、「光あれ」という言葉によって、光が生れたのでしたよね。
このように、天津神の御言を戴くと、天の天沼矛でかき混ぜ、渦が出来たり、水の上に「光あれ」と神の御言を発令して宇宙を創造したり、言葉で撞く働きが出て来ると、回転と中心が同時に生れるような気がします。
先程も、NHKスペシャルで、『流氷大回転』と言って、知床の流氷の渦が、生命を産んでいく様子を放送していました。生命の秘密は渦にあるようです。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0518/
「かくて斎女の神はあらはれ、本當にこの世が斎き清められて、その後に住吉の神があらはれるのである。住吉の神はまだ本當にあらはれてゐぬ。併しもうあらはれるに間もないのである。住吉の神があらはれたら、伊邪那岐神の左の眼が眞に清められて、日本の實相荘厳の姿があらはれるのである。」
伊邪那岐神の左の眼とは、天照大御神様の事ですから、この通りになってきているように思うのですが…。
西宮の龍宮道場は、酒造会社を経営されている信徒の方から沢山寄付を戴いたとお聞きした事があります。
私は名も無き末端信徒ですので、書き込みさせて戴いています事を申し訳なく思います。
3475
:
縹
:2014/05/19(月) 00:20:44 ID:oeUx5MQw
3469番
クレマチス様は本当に素晴らしい方ですね、これからも周りの方をお幸せに導かれて下さいね。
私もお陰様で幸せでした。本当にありがとうございます。少しでもクレマチス様を見習わせて戴きたいと思っています。
3471番
掲示板の事ではお力になれず申し訳ございませんでした。こちらには、いつでもご投稿下さいませ、いつでも大歓迎です。この度もお忙しい中本当にありがとうございました。
レスは不要ですので、ご主人様を大切にされて下さい。
明日の夕方まで忙しく、残りのレスは少々お待ちくださいね。
3476
:
縹
:2014/05/19(月) 00:41:10 ID:oeUx5MQw
追伸:
そう言えば、以前、鳴門の渦潮のお話しをさせて戴いていた時、鳴門の渦潮は、干潮と満潮が同時に起って、
潮干珠と、潮満珠になっているというお話しをさせて戴きましたね。
六甲山の神様は、如意宝珠の神様ですので、まさしくその通りのご神徳です。
生長の家にも如意宝珠観等、如意宝珠に関する教えが沢山ありますね。
3477
:
縹
:2014/05/20(火) 00:01:21 ID:oeUx5MQw
3470番 クレマチス様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、クレマチス様、帰宅が遅くなってしまいました。
通常社会生活をしていますと、時候も良く、まぶしい青空と新緑が目に飛び込んで、政界等の現状は忘れてしまいそうになりますね。大学の側を通ると、戦争反対の看板などが立っていまして、かえって微笑ましく感じたりします。色んな問題はまるで幻であるかのように感じる明るい季節です。
赤き龍の事を検索して下さってありがとうございました。クレマチス様のお陰で、次々と分かって行きました。
今は如意宝珠の山も牛のお化けのウワサで大変ですけれども、赤き龍から、神剣が出る事になっていて、平成13年に剣珠が出ましたし、『生命の實相』も多くの方のご努力によって出版され続けていますし、絶対に良くなって行くと思っています。
昨日調べさせて戴いた中でも、そうなっているように思いました。弁財天(=市杵嶋姫命)は、うけひで生まれた剣の女神ということになっていますから。
バラバラにする働きと、結び合う働きとの闘いであるそうですので、自分自身も後者で居たいです。
私はどう考えても、雅春先生の預言通りに事が進んでいるように思います。
それと、神示の通りになっていると思えて仕方がありません。
やはり、生長の家を運営しておられる方は、神様ではないでしょうか。
私達は、日本の實相顕現に向けて、努力させて戴けば良いのですよね。
また實相が見つめられる自分でも居たいです。
生長の家の實相についても、今後お話しさせて戴きますね。
そこにたどり着くまでで大変で、私の声は届かないかも知れないですけれども。
クレマチス様もどうかお元気でご活躍下さいませ。いつもありがとうございます。再拝
3478
:
縹
:2014/05/21(水) 11:10:21 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
前回は、ウケヒのお話しになりましたが…
真名井御前とは、どこかで耳にした名であると思っていましたら、『古事記と日本国の世界的使命』の聖典を拝読させて戴いておりましたら、111頁の丁度、「宇気比(うけひ)」の部分に出て来ていました。
偶然でしょうか??
「故爾に各天安河を中に置きて宇気布時に、天照大御神先ず建速須佐之男命の佩かせる十拳剣を乞ひ度して三段に打ち折りて、奴那登母母由良に <<天之真名井>> に振り滌ぎて、佐賀美邇迦美て吹き棄つる気吹の狭霧に成りませる神の御名は多紀理毘賣命、亦の御名は奥津島比賣命と謂す。次に市寸島比賣命、亦の御名は狭依毘賣命と謂す。次に多岐都比賣命。三柱。」
如意宝珠の甲山にお寺を創建下さった、真名井御前とは…以下ウィキペディアから転載させて戴きました。
「鎌倉時代末期の禅僧、虎関師錬の『元亨釈書』「如意尼伝」に神呪寺の開基について、記載がある。 それによると、神呪寺は第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が開いたとする。
皇太子時代の淳和天皇は夢告に従い、四天王寺創建に伴って聖徳太子が開基した京都頂法寺にて、丹後国余佐郡香河(かご)村の娘と出会い、これを第四妃に迎えた。香河では小萩(こはぎ)という幼名が伝わり、この小萩=真名井御前をモデルとした小萩観音を祀る寺院がある。
『元亨釈書』によれば、淳和天皇第四妃真名井御前=如意尼は、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家するために天長5年(828年)にひそかに宮中を抜け、頂法寺=六角堂で修業をしてその後、今の西宮浜(御前浜)の浜南宮(現西宮神社)から廣田神社、その神奈備山、甲山へと入っていった。
・・・・転載ここまで
いつも、「これは、人様に理解して戴け無さそうなので、記述するのをやめておこう」と思って、削除した部分を、後になって、「やはり置いておけばよかった、そうでないと、今日の掲載分の意味が通じにくくなった」となりますが、今回もそうなってしまいました。
小萩という名前についての説明をさせて戴こうと思ったのですが、今からですと、やや説明が長くなってしまいます。
実は、三社祭の時に、小舟町の提灯と、羽子板市について、お話しさせて戴きたかったのです。
そんな細かな所まで、申し上げる必要は無いか、年末の話しだしと思い直しまして、削除してしまいました。
概略を申し上げますと、羽子板は、「こぎいた」とも言ったらしい、また小舟町という名前は、住吉様は、三位一体の舟の神様ですから、小という字は、1が三つ寄り集まっているように見え、まるで住吉様のお名前が書かれてあるようですね。と言った内容でした。
そして、萩は、このブログにも書かせて戴いた通り、住吉様にとてもご縁のある花です。その小萩という少女を夢のお告げで第四妃に迎えられ、その後、小萩観音という<観音>像にまでなっているということでした。
その方が、真名井御前となって、如意宝珠のお寺を創建されたのですね。それを導いたのが廣田神社祭神ということで、その廣田神社には、剣珠が見つかったのですね。
古事記の記述の通りになっていると思うのですが…。
廣田神社祭神・天照大御神様が、真名井にて、須佐之男命の剣をすすぎ、剣の三神が生れた。
3479
:
縹
:2014/05/21(水) 16:48:02 ID:oeUx5MQw
訂正:このブログでも→かつてブログでも
3480
:
縹
:2014/05/21(水) 16:53:25 ID:xPhLnWm.
続き
今回の廣田神社・甲山の事例は、古事記のウケヒの部分を思い起こさせますが、その場面に丁度「真名井」という名前が出て来て、それが、天皇陛下の夢告でわざわざその人を探したものであったというのですから、これは、神様によって編まれた歴史であったのではないかと思えます。
古事記は日本のものですが、妙音菩薩が登場するのは仏典(法華経)ですので、本当に神仏の教えというものは、東西を超越して書かれている事を感じます。
須佐之男命は海原をしらす現象界の神ですが、天照大御神様と気を交換すると、美しい剣の女神が産まれる事になり、須佐之男命が勝たれた事になりますが、
「それは須佐之男命自身の力ではない、天照大御神の御霊(稜威)の中に包まれて(天照大御神様に醸成されて)いればこそ、そんなに優しい姿の子が出来た」117頁
とかかれてあります。
ここでも、まず、火があり、そこに水がやって来て回転させると、剣が産まれることになっています。
この剣は、三位一体の神である。住吉大神様も三位一体の神様です。
日本書紀にも、神功皇后様に神がかりされた神が、こう答えられています。
「日向国の橘の水底にいて、海藻のように若々しく生命に満ちている神―――名は表筒男・中筒男・底筒男(住吉三神)の神がいる」
住吉大神様(生長の家大神様)は御祖神の道を伝えるために現れて下さいましたが、
その御祖神様とは、天之御中主神様の事で、
『生命の實相』第二巻にも書かれています「天之御中主命」とは、< 唯一の実在 のこと >で、唯一の実在を仮にそのように尊称し奉ります。
その存在が働いている場が< 高天原 >と言う本源世界・實相世界です。
天之御中主神様は、實相世界に於て、陰陽の結びとして働かれています。
この陰陽の結びは、天之御中主神命と別にあるのではなく、三位一体です。
『古事記と日本国の世界的使命』10頁には、
「その真ン円い大宇宙に張り満ちて鳴り響いておられるところの神様がこれが天之御中主神様であります。
大宇宙に張り満ちていると申しますと、大宇宙という容器に天之御中主神という神様が入っていられるように考えられるかも知れませんが、そうではない、
天之御中主神の内容がコトバであり、その光ぼうが大宇宙であって、唯一のものを内から見たらコトバ即ちミコトであり、外から見たら宇宙であります。
ですから天之御中主神は全ての全てであり、絶対神であって、別に他に宇宙はない、天之御中主神一元であるということになるのであります。
その一元の天之御中主神様が、高御産巣日神、神産巣日神とこう二つの働きを現し出されて、三神一体の働きをせられる。」
と書かれてあります。
實相世界とは、三位一体の法則が鳴り渡っている世界であるとも言えます。
陰陽と、中心が、三つそろっている世界なのですね。
24頁には、「大宇宙は言葉によって造られている。陰陽二種の言葉の交配によって成り立っているのであります。」
(中略)
「『ウー』と『アー』との分離する迄の最初のこの相のない声というのはどういう声であるかと申しますと、『スー』の声であります。(中略)
このスの声から総ての声がわかれて来るので、このスの声から『スーウ』と引っ張っておって御覧なさい、『ウ』の声が出て来るのであります。
この『ウ』の声は内に籠る声であって、唇の形でも開かないで『スーウ』とやっていると、その儘内に籠る陰々とした『ウー』の声が出て来るのです。
これが伊邪那美命の声で『鳴り鳴りて鳴り合わざる』空洞の声である。ところが『アー』という声は口を最も明朗に単純に開いて息を出すと『ウー』の声が『アー』の声に自然に変わってくるのであります。」(中略)
ここで先述の部分を再掲させて戴きますが、
「ここでも、まず、火があり、そこに水がやって来て回転させると、剣が産まれることになっています。
この剣は、三位一体の神である。住吉大神様も三位一体の神様です。」
言葉を発すると、自然にア・(ス)ウンとなるのですね。つまり、伊邪那岐命・伊邪那美命の吉祥卐は回転するのですね。
言葉は剣であるとも言われますが、まさにそうなのですね。
と、この通りの事が、目神山で起こり、剣珠が出でたのでしょうか。
続く
3481
:
縹
:2014/05/21(水) 21:27:39 ID:oeUx5MQw
続き
掲示板の方で、バール神の噂を知りましたけれども、
私はどうしても、”悪い”ものだ、という気持ちになれないのです。
昔の私でしたら、恐ろしく思っていたかも知れないのですが、
今は、「悪がある」という観念が無い上に、物質的な発想をあまりしなくなっていますので、
心の風通しが良い感じで、邪悪なものを想像及び感受出来なくなってきたようなのです。
昔、牛頭天王の事を聞いた時、どんなに怖かったか、よく憶えています。
明石の歩道橋の事故も、かつては、屠殺場だった所で起こっていますので、
今でも、食肉センターと名を変えて屠殺場が存在する西宮の、牛のお化けのウワサも、
もしかしたらと思ってしまいます。
牛頭天王の事で、京都の八坂神社と播磨の廣峯神社の事を聞きましたが、
今では嫌だなとは思いません。かえって、神仏習合の日本文化の素晴らしさを感じます。なぜか日本人は、「本質を見極めて、仲良く暮らそう」とするようです。
廣峯神社は、今大河ドラマで放送されている黒田官兵衛の関係の神社で、黒田官兵衛は国を護る住吉様を彷彿とさせる武将ですので、牛頭天王も悪い神とは思えないです。
それで、悪神が総裁に取りついているというよりは、雅春先生の預言通り、赤き龍の時代に入ったからだと考えています。
しかし、剣珠の山が、牛のお化けの噂があり、明治以来、日本人が肉食しはじめて、屠殺場が西宮にも出来、明石では事故にもなり、實相を蔽う何かはありそうです。
肉食が習慣づいて、霊性が下がったのか、霊性が下がったので肉食をするのか、日本人が、赤き龍に翻弄されやすくなっているのではないかと考えます。
肉食しなければ済むという話しではありません、菜食でも万能ではありません、心が調和していないと、物質面だけを改善しても、改善にはなりません。
日本人全体の霊性が高ければ、赤き龍が居ても居なくても関係なく暮らせます。
『生命の實相』の教えは、「ノアの箱船」になっているということですから、その物質無しの教えをしっかり身に着ける事で、対応出来ると思います。でもその『生命の實相』が無いではないか、という事ですが、
物質無を解る事だけでも至難の業ですが、私は、それだけでは、乗り越えられないように思っています。心に”愛”がないと、唯心所現の理で、周りに”鬼”を呼び出すと思うのです。
ですから、たとえ、『生命の實相』の教えを詳しく知っていても、心に愛がない状態は危ないと思うのです。
具体的に鬼が存在するのではなく、心に愛がない状態で、周囲を見回すと、周囲に鬼が居るように見えると思います。
具体的に、世の中に、鬼・悪魔が居るのではなく、自分の心の中にあるものを通して、その投影としての世界を眺める事になると思います。
天国は心の中にありで、まず愛の心ありきで、その心を持ちながらでないと、周りが悪く見え続けるように思います。
続く
3482
:
縹
:2014/05/21(水) 21:29:58 ID:oeUx5MQw
続き
キリスト教は一神教なので、バール神のことを、悪い悪い悪魔だと言うでしょうが、
そのキリスト教徒が、歴史上、今までどれほど残虐な事をしてきたでしょう。
インカ帝国を殲滅し、絶えずイスラムと戦争し、植民地を持ち、黒人を奴隷にして来ました。
一神教というものの恐ろしさは、歴然としています。
「自分と相手とは、ここが違う、相手は間違っている」とても狭量な世界観です。
私は、日本人は、昔から優しかったと思います。
特に、相手を殺そうという発想は無かったと思います。
歴史を振り返ってみましても、仏教を取り入れるかどうかで、殺し合いがありましたが、
結果は、「取り入れたほうが、正解でした」
今回改めて、バール神の事を調べてみましたが、例えば、須佐之男命が、乱暴者でありながらも、天照大御神様とのやり取りで改心していくように、根本的に悪い悪魔というのではないように感じます。
アルファベットを発明したことで知られる海洋交易民族フェニキア人の信仰していたもので、地中海のクレタ文明でも牛の神像がみられるようです。
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/0-55.htm
そもそも、アルファベットの、「アルファ」つまり、Aは、牛の頭部を現わすものであるそうです。
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/247.html
シルクロードの重要な経由地であった、パルミラ遺跡にも、バール神の神殿が残っているそうです。
ここのバール神が、牛の形をしているのか、グリフィンの形をしているのかは未確認なのですが、
太陽神ヤルヒボールと、月の神アグリボールと、大地の神荒ぶるベル(バール)の、三位一体の神であるそうです。これをパルミラ三神というそうです。
ヤルヒボール等の“ボール”とは、「収穫神」の意味であるそうです。
荒ぶる神ベル神(バール神)は、七つの頭を持つ竜と戦って勝ったとも言われているそうです。
これは、とても日本の三貴神に似ていて、実際そうした指摘が多くあるそうです。
太陽神天照大御神、月神月読命、海原(現象界)の神須佐之男命
天照大御神様は、「斎庭の稲穂の神勅」を授けられましたし、
須佐之男命は、八岐大蛇を退治しました。
続く
3483
:
縹
:2014/05/21(水) 21:32:23 ID:oeUx5MQw
続き
そして、生長の家大神様も、「われは(中略)塩椎神である。」と自己紹介されています。
「塩椎神とは水火土之神の謂である。
靈は水火土と顕れ、一切のものは水火土から生れたのである。
われは靈の海、創造の神である。
水即ち『おしめり』と火即ち『ぬくもり』と『土』の働きとがあつて萬物は生ずるのである。
黙示録には『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鍵を持てり』と録されてゐるのがそれである。」
『終戦後の神示』より
パルミラ三神は、まるで、ここに書かれている通りの姿ですね。
しかし、ローマとの戦争に敗れて、結果廃墟となってしまったようです。
ローマは、キリスト教になりましたから、バール神は、悪神と定義づけられたと思います。
「アルファ・オメガ」という言葉は、ギリシア時代のものか、フェニキア時代のものか存じませんが、
内容的には、「始めと終わり」を指したいようです。
細かく見て行けば、「A、Ω」で、「牛、目」となり、
目を大切にする神様である本住吉神社の上に、牛神という土地があるのは、まるでこの並びのようになっていることが分かります。
そして、この「われはアルファなりオメガなり」と書かれている箇所は、ヨハネの『黙示録』の、22:12-13で、
22は、雅春先生のお誕生日で、12-13は、本住吉神社にて天啓が天下った日です。
そして、3480番の拙稿にも書かせて戴きましたように、陰陽調和の法則を働かせる…つまり、陰性(物質)よりも、陽性(霊性・つまり、まとまる力)がややまさった状態に持って行きますと、同時に剣が出て、牛の問題は解決すると思います。剣が出でたので、陰陽が回転して調和した、という言い方も出来ると思います。
『古事記と日本国の世界的使命』の112頁に、「剣というのは男の魂である」と記されています。
陽の力を勝らせるためには、剣が必要であると思います。
三位一体の神であるということは剣の神でもあるということですから、住吉大神様は剣の神様です。
総本山に沢山の霊杵が降って来ましたが、杵は、古代では、撞(つ)く武器であったということを以前書かせて戴きました。月は、撞く武器の性質を持っていると思います。
天照大御神様の別名は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)で、「撞き(つき)」の言葉が入っています。
いつもなぜか月光の曲に行きついてしまって恐縮ですが、お聖経の中の「諸作品」を「月光の曲」に戻す事が必要だと思います。 再拝
3484
:
縹
:2014/05/21(水) 23:59:07 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
今日5月21日は、楠木正成・正行親子の桜井の別れの日でした。
http://m.youtube.com/watch?v=U8yjnEu0QJY
歌詞は、本来でしたら15番まであるそうです。
4.汝をこゝより歸さむは 我が私の為ならず
おのれ討死為さむには 世は尊氏の儘ならむ
早く生い立ち大君に 仕えまつれよ國の為
まるで、「己が十字架を負いて我に従え」のようですね。
この父子自身は、目的を果たせませんでしたが、その後、明治維新に精神が受け継がれました。
「戦争には“低い霊魂”が互いに処罰し合う極めて残虐な悲惨な所行が各所で行われるのであるが、また他方には純潔な高級霊が、理想のために、“公け”のために、自己を犠牲にして「私」を顧みない崇高な精神の発露が行われるのである。
(中略)
戦争はこうして人為と摂理と、両方面から起るのであるから、人間がいくら努力し、警戒して、平和論をとなえても無くなるものではないのである。」『神真理を告げ給う』64頁
3485
:
縹
:2014/05/24(土) 22:07:13 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
5月25日が、楠木正成公が七生報国を誓って殉節された日ですので、
今日から三日間24〜26日が、湊川神社の楠公祭です。
http://www.minatogawajinja.or.jp/festival/
JR神戸駅を降りてすぐの所にあります。兵庫県教化部と通りが一つ違うだけです。
因みに5月26日は、雅春先生の最後の御説法の日です。
ここには、楠木正成公が眠りますが、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛等々がお参りしました。
はじまりは、後醍醐天皇様がご覧になられました、夢のお告げからであったそうです。
南に張り伸びた木の下に、お座りになられるように導かれた夢を御覧になられました後醍醐天皇様は、
お目覚めになられますと、「南に木で、楠木と呼ぶが、そのような者がこの窮地を救ってくれるのかも知れない」と、この近くにそういった氏名の者がいるかお尋ねになられ、そこで探し当てられたのが楠木正成公であったそうです。
楠木家の氏神は、建水分神社でしたが、
http://www.takemikumari.com/
その夢にちなみ造られた神社があります。(南木神社)
http://www011.upp.so-net.ne.jp/takemikumari/nagisya.htm
この楠木正成公は、部下を信ずる事によって、統率をとられていたそうです。
戦乱の世では、裏切りもあり得、それが命取りになるところを、文字通り命がけで信じておられたそうです。
そして、戦死した敵も弔いました。
そのようなお人柄の方ですから、いくら正統な帝を中心にした平和な世の中の為とはいえ、戦さは人殺しを伴いますから、ご自分は罪深いとお辛かったことはないでしょうか…。そして、一族は滅びます。
ご長男の正行公も、敗走の敵が、川で溺れているのを助けています。
そして、その恩を忘れなかった敵が、正行公の危機の折に助けに参じてくれ、一緒に討死にしたそうです。
恩賞目的で戦さをするのと、大義が目的であるのとの違いなのかも知れません。
湊川神社のHPに、新教連の本も紹介されています。
『子供のための伝記シリーズ』
日本武士道の源流「楠公父子物語」上/下
http://www.minatogawajinja.or.jp/publish/
3486
:
縹
:2014/05/27(火) 00:04:35 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
いつも日付が変わってからで申し訳ございません。5月26日は、楠公祭の最終日でした。
楠木正成公の菩提寺である観心寺は、先日ご紹介させて戴きましたお寺と同じ天皇様と、同じく弘法大師が伽藍造営に関わっておられました。
弘法大師が、“北斗七星”を勧請して、北斗七星を祀るお寺であるそうです。本尊は、如意輪観音菩薩像で、秘仏であるそうです。(国宝第五号)
http://www.kanshinji.com/rekisi.html
「観心寺は、文武天皇の大宝元年(701年)、役小角によって開かれ、初め雲心寺とよばれていた。
その後、平安時代の初め大同三年(808年)に弘法大師空海が当寺を訪ねられた時、境内に北斗七星を勧請され、弘仁六年(815年) 衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩を刻まれて寺号を観心寺と改称される。
弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は淳和天皇から伽藍建立を拝命して、その弟子真紹とともに天長四年(827年)より 造営工事に着手された。
後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができた。正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願される。延元元年(1336年)、神戸の湊川で討死後、正成の首級が 当寺に送り届けられ、首塚として祀られている。」
・・・・転載ここまで
以前、生長の家の大神様が、手に七つの星を持っておられる事と、北斗七星との関係を掲示板に書かせて戴きましたが、楠木正成公も北斗七星とご縁のあられた方でらっしゃったのですね。
3487
:
縹
:2014/05/27(火) 00:05:22 ID:oeUx5MQw
クレマチス様
合掌 ありがとうございます
忙しくて書き込み出来ませんでしたが、クレマチス様はお元気でいらっしゃいますか?
お返事戴かなくて結構です。お元気でいらっしゃられましたなら。
きっと、お忙しくご活躍でらっしゃいますね。いつもありがとうございます。
3488
:
縹
:2014/05/27(火) 00:07:18 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます
5月26日は、兵庫県教化部の近くにある湊川神社の楠公祭の最終日でもありましたが、
谷口雅春先生の最後の御説法の日でもありました。
また、5月26日は、華厳宗総本山の、東大寺の大仏開眼の日でもありました。
そして、日蓮上人がその名もセイチョウ山で、立教され、法華経を説かれた日でもあります。(旧暦では建長5年4月28日)
そして『立正安国論』を著し始められた日でもあるそうです。(その後7月16日に提出された)
華厳経も、法華経も、日本国に関する真理の経典ですので、やはりこれは私は偶然とは思えないのです。
今朝、13円を戴く夢を見て目が覚めたので、13という数字について調べている内に、偶然26という数字について知ることが出来ました。
簡単にインターネットで検索してみましたら、13と言う数字は、トランプでもキングにあたり、「安定的に国を治める、統治する」というような意味もあると書かれていました。
また、宇宙の中心や、銀河の“渦”を表すと書かれていた事には驚かされました。
でも、ユダヤの聖数であるためか、キリスト教圏では、悪いイメージが持たれています。
ヘブライ語では、13は、「愛」と「ひとつ」を表し、
13の二倍の26は、宇宙の絶対神ヤハウェを表す数字になっていると書かれてあって、これもとても驚きました。
谷口雅春先生も、唯一の神、宇宙の根元神を説かれた方だったからです。もちろん宗派を超えた善一元の神の事ですが。
続く
3489
:
縹
:2014/05/27(火) 00:08:03 ID:oeUx5MQw
続き
楠木正成公の七生報国の精神は、明治維新に受け継がれましたが、
明治維新で起こった事は、すべてが良かったのではなく、西洋文明の急激な流入で、それまでの伝統的な国のありかたが変えられた面もあったようです。
また暗殺が横行していたらしく、そうなりますと、強いだけが正義であり、善人だけが生き残ったとも言えない気がします。
江戸時代の反動で、神仏分離令も出され、直接の命令でなくても、その影響から仏像が谷底に突き落されたり、あまりに内容が酷かったので、すぐ中止されたようです。
仏教は月を表すと言われますが、聖徳太子・聖武天皇に代表されます、仏教によって鎮護国家を願う精神は、憲法上からも消え、上皇制度も無くなり、
今はどの箇所か忘れましたが、“日星”とだけ書かれていて、“月”という言葉も無かったような記憶があります。
また、日本は長い間、月齢を元にした暦が用いられていましたが、太陽暦に変えられました。
財政が困窮していたので、一か月分の給料を払わなくても良くなって助かったそうです。
と言う事は、旧暦では、一年13か月であったのですね。
http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c101.html
•ほぼ3年ごとに「閏月」を設けた
http://koyomi.wafusozai.com/archives/161
もし365日を13の月数で割りますと、28(余1日)になり、
新月から新月までの29.5日と、恒星周期27.1日の間をとった数字28と同じなのですが、
月を表すと言われている卐は、伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神の回転する姿を現していますので、
2で割りますと、14づつの二本の鍵が回っていることになります、
とここで気が付いた事は、14は、7が二つの数字になっている事です。
映画『天地明察』で、北斗七星が暦になっていることが出て参ります。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E6%98%8E%E5%AF%9F-DVD-%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%87%86%E4%B8%80/dp/B005743LSM
北斗七星の回転を四季で分けても、卐の形になり、
つまり、7つの星が、四季分で、28数になり、
先程の卐が伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神の回転する姿を現していて14づつの二本の鍵が回っている、となりますのと一致することになると思いました。
そう致しますと、華厳の真理が、十三千大千世微塵数(約13000000000000)と申しますのは、月の回転であるとも同時に、沢山の“7”である、ということになるように思いました。
それも、中心を指し示す“7”です。
そして、卐でもあります。
『生命の實相』第39巻 167頁に、華厳経について、
「波のうねりは右旋回にめぐって、波の音は仏法を演説している」と書かれてあるのと内容が一致するように思えます。
そのように“月”を表す、華厳の真理は、総本山に納められていますが、
谷口雅春先生が、黙示録の十二章に書かれてあります、「日を箸たる女ありて、其の足の下に月あり」というのは、日本国の事ですよ、と教えて下さっていましたように、
月が納められている総本山が、日本国の足元にあるように見えます。
5月26日に、最後の御説法がなされた事は、やはり偶然ではなかったように思います。
3490
:
志恩
:2014/05/27(火) 10:32:07 ID:.QY5jUA6
縹様
縹様の貴重な深い内容のご文章は、拝読させて頂いて、学び続けております。
縹様は、なんで、そのようなことまで、お分かりになられるのかしら、
斎浄めの高級霊としてのお役目を担われておられるのかしら、
と、大変尊く不思議に感じるのです。
数字のこともそうですが、月光の曲に、最後は行き着くところも、不可思議に思っております。
いつも、教えて下さいまして、本当に、有り難うございます。
閲覧者の皆様も喜ばれておられると存じております。
これからも、よろしくお願い致します。
3491
:
縹
:2014/05/28(水) 00:37:53 ID:oeUx5MQw
3490番 志恩様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、遅くなって申し訳ございません。
志恩様ようこそお出で下さいました、ありがとうございます。
それにとてもお元気そうで、とても嬉しかったです。
便りの無いのが良い便りということにさせて戴こうと思わせて戴いておりましたが、お話し出来ますとやはり嬉しいものですね。本当にありがとうございます。
内容を受け止めて下さって本当にありがとうございます。
自信がございませんので、何と申し上げて良いやら…
温かい御言葉で接して下さって、本当にありがとうございます。
志恩様が温かく接して下さいますお陰で今まで続けて来ることが出来ました。
ご親切に本当にありがとうございます。
この間志恩様が、本流になりきれない理由を書かれておられましたが、
このまま書き進めさせて戴きますと、志恩様も多分御納得下さる論になると思えるのです。
時間的に少しづつしか書き進められていませんが、努力させて戴きますね。
(月光の曲については、自分でもどうしてこうなってしまうのか申し訳ない気持ちです。
月光の曲に変えると、ウイグルのこともおそらく良くなるはずだという予測はしていましたが、
月光の曲の事を訴えた日に、ウイグル人が中国に対して蜂起する事があったり、だんだんとウイグルに動きが出てきました。偶然でしょうか)
3492
:
志恩
:2014/05/28(水) 03:30:28 ID:.QY5jUA6
縹様
ほんとうに!!
縹様が、ここや縹様ブログで書かれたことが、すぐに世界のどこかで起きているのですよね。
ウイグルでのことも、次々と中国間で勃発していて、数字の事も、そうですが、
縹様がおっしゃったことと、ぴったりと符号するので、不思議に思っています。
偶然は、ないのですね。
3493
:
単なるただの信徒
:2014/05/28(水) 03:36:56 ID:i/uZ4Sfk
縹様
華厳経のお話しをありがとうございます。
話について行けるようにがんばってみます。
拝
3494
:
縹
:2014/05/28(水) 12:04:59 ID:oeUx5MQw
3492番 志恩様
合掌 ありがとうございます
志恩様こんにちは、今日もお出で下さったのですね、ありがとうございます、とても嬉しかったです。
それに私と同じく、ウイグルのこと等を不思議に思って下さってありがとうございます。
ウイグルは、鳩摩羅什という大乗仏教の大恩人を生んだ土地でありますし、
この近辺は、法華経が一番出土するらしい土地でもあります。
そんな徳のある土地がありえない悲惨な境遇にあるのは、只事ではないと思いました。
「月光の曲」があるのは、『天使の言葉』の丁度「耳」の部分でしたが、この土地の耳の形をした湖で、核実験が行われ、一番ひどい目にあっているらしく、
その他にも不思議な巡り合わせが重なって、自分では、「月光の曲」が関係していることは確信していました。
でも、御賛同戴けるとは、思ってもみませんでした。ありがとうございます。
真理で説明させて戴きますと、その通りなのです。「神は、始めに、完璧な世界を言葉で創った。一巻の巻物の既に凡てが納められている」と、このように見ますと、
あらかじめ、地球が存在するのではなく、あるのは「神の言葉」だけで、その「神の言葉」を覆っている「言葉」を取り除くだけで、現象の地球は実相を顕して来る事になります。
どうやら、明治時代の教科書で、「月光の曲」の嘘のエピソードが教えられていたようなのです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12113839422
先日ご紹介させて戴きましたように、明治時代は、どういう訳か、「月」を否定した時代でしたので、その精神的影響でもあったのでしょうか?
今、インターネットで検索してみましたら、創価学会が創価大学で法華経展をしていたらしいです。
http://www.sokanet.jp/topics/jakhcj0000006gqh.html
そういえば、私はかつて、放射能は偽金(ゴールド)、反日思想が関係しているように思われる旨を書かせて戴きましたが、
思えば、創価学会が法華経信者でありながらも反日なのは、この法華経の故郷が放射能汚染されているのと関係があるかも知れないですね。
昨日も、弘法大師が、高野山に、やがて弥勒菩薩が降臨するとお考えになられていた事が分かりました。
その高野山も、もうすぐ1200年祭です。空海は、中国で人気が再燃してきたそうです。
高野山では、阿字観が実修出来ます。
阿字観とは、月輪に阿字と蓮華を書き、瞑想するものですが、谷口雅春先生もおすすめ下さっていました。
宗派は違いますが、日蓮上人も、「法華経とは、日月と蓮華である」と感得され、ご自身のお名前を日蓮にされたそうです。
悟られた方は、同じことを仰っておられるように思います。
と、こんな風に色々と分かって来ましても、私には自信がありません。
ただ、卐は、「天国の鍵」になっているのではないかと思うのです。
それは、キリストがペテロに後事を託す意味で渡した二本の鍵ですが、
『マタイ傳福音書』 第十六章
16-17 イエス答へて言ひ給ふ『バルヨナ・シモン、汝は幸福なり、汝に之を示したるは血肉にあらず、天にいます我が父なり。
16-18 我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐の上に我が教会を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。
16-19 われ天國の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり
・・・
ここにこう天地で連動する事が書かれてあります。
それと、黄泉にも勝てると書かれてあります。
今日は時間が出来ましたので、先日からの続きを書かせて戴きますね。
3495
:
縹
:2014/05/28(水) 14:02:23 ID:oeUx5MQw
3493番 単なるただの信徒様
合掌 ありがとうございます
こんにちは、華厳経にご興味をお持ち下さり、ありがとうございます。
華厳経については、『生命の實相』第39巻139頁からと、『如意自在の生活365章』257頁位から書かれています。
会話の繋がり上、法華経のお話しを先ずさせて戴かないといけませんが、その後華厳経の内容になると思います。
でも、私で良いのですか?
3496
:
流氷(ただの信徒)
:2014/05/28(水) 14:20:15 ID:v8qRK/lo
>会話の繋がり上、法華経のお話しを先ずさせて戴かないといけませんが、その後華厳経の内容になると思います。
でも、私で良いのですか?
ぜひ、お願いします(笑)無理のない範囲でされてください。
合掌 拝
3497
:
縹
:2014/05/28(水) 14:39:11 ID:oeUx5MQw
3496番 流氷様
合掌 ありがとうございます
前回の方とはまた別の方ですか?
お出で下さってありがとうございます。
今とても真剣にお話しさせて戴いてます。
3498
:
縹
:2014/05/28(水) 14:50:29 ID:oeUx5MQw
阿字観について
「真言密教では月輪を心に観じて、その月輪の中にある阿字を観ぜしむるのであります。おのおの直伝の秘法と称するいろいろの儀礼はあれども、「一切有情は悉く普賢の心を含む」であり、「一切衆生は本有の薩埵」であり、その実相において「已上の仏」であるならば、
実相は実であるから、いかなる仮想の力よりも強力なのであるから、(雲はいかに強力であっても、月を消すことができない、月を蔽うにすぎない)仮想に引っかかる心さえ鎮めれば、実相円満な姿があらわれるのであります。
(中略)
真言密教において、真言(仏のコトバ・語業)をとなえつつ、特殊の坐法と印契とをもって仏の形を外にあらわし(身業)、さらに心に月輪を念じ、月輪中に浮かぶ阿字を念ずる(意業)のも、一方法であります。
(中略)
根本原理さえわかれば、真言秘密の行法ももっと簡単に誰でもできて誰でも救われるのであると信ずるのであります。
わたしは左記に大師の『一期大要秘密集』より阿字観に関する説明を抜粋して月輪を観じて心を清澄にし、湛然として清浄なる実相円明の心を自証せしめる方法を説きたいと思うのであります。
(説明)
ただこれだけのことなのである。説明は長いけれども実行は簡単であります。掛軸に開いた蓮華の花の上に浮かんでいる直径二尺ぐらいの円月の図造を描いてそれを上記の方法で観ぜられるがよい。
わたしなどは図造の月輪をつくるのが面倒であるので、神想観の姿勢で坐し、瞑目合掌して、ただ瞼の裏に、虚空に白蓮華ありて、その上に直径二尺ぐらいの月輪浮かぶと観じて、それを見つめ、その月輪しだいに近づいて自分の全身を包むと観じ、自分の全身の雰囲気が浄円月の姿であると観じ、精神がやや統一いたしましてから、
「わが雰囲気、浄月輪なり。わが姿、浄月輪なり」と口のうちに、あるいは心のうちに念じて自分自身が浄円月と一体であるという観想の中に溶け込むのであります。」
(以下、最終頁まで続く)『生命の實相』第39巻
3499
:
縹
:2014/05/28(水) 14:51:57 ID:oeUx5MQw
「御存知の通り、仏教でも、やはり『ア』と『ウ』との言葉を非常に尊く云うのでありまして、真言密教では『阿吽』の呼吸ということが経文などにもあり、秘密加持の行法などに応用されているのであります。
これはア声とウ声とが宇宙創造の二大本源の声であるからであります。
さて、『ウ』という声はまだハッキリ相を現しておらぬので、『ア』になって初めてハッキリした相が現れる。『ア』の声の相は光の相であります。
それで仏教でも『阿字』は大日如来の本体であるということがいわれておるのであります。
それが、『創世記』の最初に書いてあるのと又符号致します。『元始に神天地を創造たまえり。地は定形なく曠空くして暗黒淵の面にあり、神の霊水の面を覆いたりき。光あれと言いたまいければ光ありき。』とこう書いてあります。
最初の創造は『光』である。無相の世界から『阿字』即ち大日如来が初めて顕れられたのであります。」
『古事記と日本国の世界的使命』26頁
3500
:
縹
:2014/05/28(水) 15:37:35 ID:oeUx5MQw
昨日偶然立ち寄った書店で購入した本に書かれていたのですが、
弘法大師空海は、高野山に弥勒菩薩が下生されると、御遺告で残されていたそうです。
高野山奥之院には、沢山の墓碑が集まっておりますが、それが理由であるそうです。(宗派不問)
そう言えば、法然上人も親鸞聖人も、弘法大師をとても尊敬していて、弘法大師のお側のお墓を望まれたということを思い出しました。この二聖も、宗派は違えども、ここ奥之院にあるそうです。
法然上人は、こちらでも何度かご紹介させて戴きましたが、住吉大神様との繋がりが予想される方でしたね。
谷口雅春先生は、阿弥陀如来は生長の家大神様であると教えて下さっていました。
そして、時の帝が、空海は住吉大神であると仰られてました事が、住吉大社の資料に残っていたと思います。
空海の真言宗も、言葉の宗教ですし、『生命の實相』にも何度も「聲字即實相」が紹介されていますし、本尊が大日如来です。
そして、私が初めて「月光の曲」について書かせて戴いた時にも、弘法大師の建てられた東寺の薬師如来を例に用いさせて戴きました。
谷口雅春先生は、住吉大神様が弥勒菩薩であると教えて下さっていましたので、本当に高野山奥之院に、弥勒下生があったことになると思います。
そして、先日からご紹介させて戴いておりました、楠木正成公の氏神は、金剛山鎮守で、役行者とも関係があり、その役行者の建てた吉野の金峯山寺の金剛蔵王権現も、かつて弥勒下生についてのご説明の時に御紹介させて戴きました。(手に持つのは、つく武器です。)
「金峯山寺の所在する吉野山は、古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは、単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称であった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA
悟られた方は、皆同じことを感じ取られているのですね。
この内容に関するご説明は、また後日詳しくさせて戴きます。
歌碑も多く、日本で一番古い、ひらがな書きの歌碑も建っているそうです。その内容は、
「いにしへハはなさくはるにむかひしに にしにくまなき月おみるかな」であるそうです。
3501
:
縹
:2014/05/28(水) 16:04:42 ID:oeUx5MQw
続き
これは、インターネットで拾い読みした事で申し訳ないのですが、
弥勒菩薩下生の時代とは、居ながらにして千里先まで身を運ばれ、居ながらにして千里先の声を聴き、居ながらにして千里の先から欲するものが運ばれる」ような時代であるそうです。
現代社会の事では…。
そして、弥勒の大楼閣に入る方法を、谷口雅春先生は、『生命の實相』第39巻の172頁〜にお書き下さっていますが、(華厳経)
それは、「眼前今ここにこの明浄荘厳の楼閣があるのであります。それは観ればあらわれる」とあります。
実はすでに今、此処に居るのに、観の違いで、弥勒の世界が見えないだけであるということらしく、
既にあっても、観じなければ、弥勒の大楼閣に入っている事に気付けないのですね。
しかし、このように物事を丁寧に見て行きますと、素晴しい世界が広がっているのですね。
やはり、『終戦後の神示』に書かれてあった事ではないでしょうか?
「 まだ日本の眞の姿はあらはれてゐない。今は伊邪那岐神の禊祓のときである。
伊邪那岐神は日本の神、日本の象徴である。これから八十禍津日神、大禍津日神など色々の禍が出て来るが、それは、日本が『穢き』心になつてゐたときの汚れが落ちる働きであるから憂ふることはない。
この禊祓によつて日本国の業が消え、眞に浄まつた日本國になるのである。心を明るく持ち、すべてを神直日、大直日に見直して、禍を転じて福となさねばならぬ。
かくて斎女の神はあらはれ、本当にこの世が斎き清められて、その後に住吉の神があらはれるのである。
住吉の神はまだ本当にあらはれてゐぬ。併しもうあらはれるに間もないのである。
住吉の神があらはれたら、伊邪那岐神の左の眼が眞に清められて、日本の實相荘厳の姿があらはれるのである。
古事記の預言を廃れりと思ふな。預言は成就しつつあるのである。」
弥勒の大楼観に入る、という内容と一致するように思うのですが…。
3502
:
ももんが
:2014/05/28(水) 17:33:07 ID:oI68lYAA
>>3498
しつもん?
カーラーチャクラと、真言密教?どっち、発展した形?
空海と、ミラレパ?どちらが、優れてたと思う?
あくまで、仏教行者としただよ?
お願いします。
3503
:
縹
:2014/05/28(水) 19:04:55 ID:oeUx5MQw
3502番 ももんが様
合掌 ありがとうございます
こんばんは、ご質問ありがとうございます。
私は、カーラーチャクラとミラレパを初めて知りましたので、折角なのですがお答えすることが出来ません。
でも不思議なのですが、”発展した形””どちらが優れていた”という表現は、比較対象の世界での価値観ですので、
そのようにとらえられるものなのかなと思いました。
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