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トーキングスティックボード

3485:2014/05/24(土) 22:07:13 ID:oeUx5MQw
合掌 ありがとうございます

 5月25日が、楠木正成公が七生報国を誓って殉節された日ですので、
今日から三日間24〜26日が、湊川神社の楠公祭です。
http://www.minatogawajinja.or.jp/festival/

 JR神戸駅を降りてすぐの所にあります。兵庫県教化部と通りが一つ違うだけです。
因みに5月26日は、雅春先生の最後の御説法の日です。

 ここには、楠木正成公が眠りますが、吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛等々がお参りしました。

 はじまりは、後醍醐天皇様がご覧になられました、夢のお告げからであったそうです。
南に張り伸びた木の下に、お座りになられるように導かれた夢を御覧になられました後醍醐天皇様は、
お目覚めになられますと、「南に木で、楠木と呼ぶが、そのような者がこの窮地を救ってくれるのかも知れない」と、この近くにそういった氏名の者がいるかお尋ねになられ、そこで探し当てられたのが楠木正成公であったそうです。

楠木家の氏神は、建水分神社でしたが、
http://www.takemikumari.com/
その夢にちなみ造られた神社があります。(南木神社)
http://www011.upp.so-net.ne.jp/takemikumari/nagisya.htm


 この楠木正成公は、部下を信ずる事によって、統率をとられていたそうです。
戦乱の世では、裏切りもあり得、それが命取りになるところを、文字通り命がけで信じておられたそうです。
そして、戦死した敵も弔いました。
そのようなお人柄の方ですから、いくら正統な帝を中心にした平和な世の中の為とはいえ、戦さは人殺しを伴いますから、ご自分は罪深いとお辛かったことはないでしょうか…。そして、一族は滅びます。

 ご長男の正行公も、敗走の敵が、川で溺れているのを助けています。
 そして、その恩を忘れなかった敵が、正行公の危機の折に助けに参じてくれ、一緒に討死にしたそうです。
 恩賞目的で戦さをするのと、大義が目的であるのとの違いなのかも知れません。


湊川神社のHPに、新教連の本も紹介されています。
『子供のための伝記シリーズ』
日本武士道の源流「楠公父子物語」上/下
http://www.minatogawajinja.or.jp/publish/


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