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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

921初心者:2011/09/02(金) 20:27:21 ID:4IaAZAME
役行者様

「大文字の他者」と環境問題の関係について考えてみることにいたします。「大文字の他者」とは、おもに言葉によってつくり出された秩序意識と理解してください。つまり、人間は、現実には存在しないであろう秩序を言葉によってつくりだし、それにしたがいながらも、そうとう知らずに生きている。こういうことを言っているのだとお考えください。

環境問題にたいする意識もまた「大文字の他者」の支配下にあるはずです。環境問題じたいは、言葉、すなわち「大文字の他者」とは無関係に存在する現実の出来事であるということがいえます。しかし、環境問題にたいする意識は、「大文字の他者」に支配されます。つまり人間は、現実世界の問題である環境問題でさえも、言葉によってしか解釈できないということなのですね。

環境問題にかんしても、シニフィアン連鎖はおきるはずです。地球温暖化が危険だと考える人は、危険な方向へとシニフィアンを連鎖させていきます。危険でないと考える人は、危険でないという方向へシニフィアンを連鎖させていくはずです。ほんらいなら「大文字の他者」の埒外にあるはずの環境問題を、人は、シニフィアンの連鎖として一方的に理解してしまおうとする傾向が、顕著に出てしまうということなのですね。

その結果、温暖化問題は、現実には危険であったとしても、言葉の上では、危険でないと考えることもできる、ということがおきてきます。「大文字の他者」が、「環境問題は危険ではない」と語りかけてくれさえすれば、どんなに危険な事態でも、安全な事態へと様変わりさせることができます。これは簡単なことなのです。環境問題の危険性を「大文字の他者」に語らせなければよいということなのです。「大文字の他者」がその危険性を語らなければ、「大文字の他者」によって支配された世界では、それは安全だとみなされます。

逆に、環境問題の危険性を「大文字の他者」に語らせてしまう人たちもいます。「地球温暖化は何としてもくいとめなくてはならない課題だ」と、そのような人たちは考えます。考えたからといって、「大文字の他者」によって考えさせられている事実に変りはありません。「大文字の他者」の語りにしたがって、その人たちは「危険だ」と考えていることになります。

するとここで奇妙なことがおきてきます。「大文字の他者」とじかに取り引きをはじめる人たちがあらわれてくるのです。「大文字の他者」に危険性を語らせないようにすればよい。このように考えた人たちが取り引きをはじめます。「大文字の他者」が危険性を語らなければ、それは危険ではなく安全なのですから、語らせなければ、それは安全なのです。

「自分が環境問題を解決する」と「大文字の他者」にたいして宣言することで、「大文字の他者」に向けて、「そのかわりに、危険性を語らないように」という取り引きを持ちかけるのですね。この取り引きは簡単に成立します。そう思い込めばよいのですから、簡単に成立させることができます。

ここから懸命の努力がはじまります。それは、「大文字の他者」に危険性を語らせないための努力です。それは、この努力を少しでもおこたれば、「大文字の他者」がたちまち危険性を語りはじめるという恐怖心に裏づけされた努力です。「大文字の他者」に危険性を語らせないためには、たとえ一刻であって、努力をおこたることはできない。もしもおこたれば、その瞬間に、何かよくないことがおきてしまう。これはそんな努力なのです。

こんなことを想像してみました。


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