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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

798初心者:2011/08/26(金) 16:30:25 ID:4IaAZAME
>>793
役行者様

>地味なことなのですが、激情ならず、情緒ですね。その心に、絵葉書とか、和歌とか、茶道、華道などなど、道を通して、訴えていく必要性があるのですね。

絵葉書ではなく絵手紙ですね。どう違うのかといわれても、よくはわかりませんが。
はじめから絵が描いてあるのが絵葉書、自分で描くのが絵手紙ということでありましょうか。

これは重要なことだと思うのですが、絵手紙や短歌と情緒の関係と、愛国心や信仰心と
激情の関係は、順序がまったく逆なのでございますね。

絵手紙の場合ですと、まずはじめに絵手紙から入るということができますね。
とにかく絵手紙を描きはじめる。描いているうちにだんだんと情緒性が養われてくる。
こういうことがふつうに起きてくるわけでありますね。

ところが、愛国心から入って激情へと向かうということは、あり得ないと思うのですね。
まずは激情から入るのですね。心を激しているうちに、それがいつしか愛国心へと変わる。
こういう順序だと思うのです。

つまりです、激情は愛国心の結果ではなく原因だということなのです。愛国心を手に
入れるために、人は激情へと走るのですね。順序がまったく逆なのです。

信仰心でもおなじことがおこります。信仰を得るために激情へと走る。こうした現象が
おきてくるわけですね。激情を信仰心へと変える、あるいは信仰心と勘違いする。
こうした順序の逆転現象がおきてくるように思うのです。

愛国心にしても、信仰心にしても、激情から入れば簡単に手に入れられますよね。
そうやって手に入れたものが、はたして本物だといえるのか。これを問題にしている
ところなのでございます。


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