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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

784初心者:2011/08/24(水) 13:14:50 ID:4IaAZAME
義春さん

>中身のある愛国心…
中身のある国家…
なんか前の『意味するもの』と『意味されるもの』
の関係に近い気もしないような…
何かハッキリしないのですが、何となく…。
…もう少し考えます。

さすがによくわかってらっしゃいますね。「中身がある」とは、シニフィアンを
シニフィエによってピン止めするということなのですね。
ピン止めにしておかないと、シニフィアンは流動を続けて、やがて連鎖がはじ
まります。シニィフィアンが意味もなく再生され続ける。こうした事態に陥って
しまうはずですね。

「愛国心」は容易にシニフィアン連鎖に陥ってしまいますよね。激情はシニフィアン
連鎖の結果であり、それはひとつの病理といってよいのかもしれません。
ラカンは、シニフィアンとシニフィエを結ぶ糸を「クッションの綴じ目」と呼び、
ほとんどすべての綴じ目が切れて、シニフィアンとシニフィエが乖離した状態を
精神の病理と解釈したようです。

もっとも、宗教の世界には、「クッションの綴じ目」をわざと切断し、流動化をはじめた
シニフィアンとシニフィエの関係にあえてダイビングするという方法があるよう
なので、「病理」じたいを云々することに、それほど意味はないのかもしれません。

空海がすぐれた流体技術者であったのは、流動化したシニフィアンとシニフィエを
制御する術を身につけていたからだと考える人もいます。こういう話を聞くと、わたくしも、
その理解不能で危険極まりない流体世界にダイブしたいと、ついつい考えてしまいます。

「真言」はおそらく、可能なかぎり安全にダイブするための技術なのだろうと思います。
訓練を積んでいないものがダイブすれば、そこはたぶん狂気の世界ということになる
のでしょうね。

意図されたシニフィアン連鎖。それは意識的に、自分自身をシニフィアン連鎖に陥れる
ということですが、これはアリだと思いますね。二重拘束と訳される、ベイトソンの
ダブルバインドもまた精神的病理への導き手であると考えられていますが、宗教の世界では、
意図されたダブルバインドがしばしば用いられているようですね。

狂気と悟りは紙一重。あやういバランスのなかで、宗教家は日々格闘しているような気がします。狂気とは悟りのひとつのかたち。そうであるのかもしれませんね。

話が本題とはズレてしまいましたね。どうかお許しを。


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