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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

775初心者:2011/08/23(火) 22:54:09 ID:4IaAZAME
トキ様

ケストラーは厳しい時代を生きた人であるようなので、社会情勢や国家体制に向けた
嫌悪感は、人一倍つよい人であったかもしれませんね。
わたくしは、そうした嫌悪感がいちばん強く向けられたのが言葉であったと思うのですよね。
言葉が人々をあやつり、極端な行動へと走らせている。激情へとかりたてられる人々を
つぶさに観察していたにちがいないケストラーは、このことに気づいていたと思います。
そして、言葉にたいする無力感をいやというほど味わったのではないかと思います。

わたくしも、言葉の響きに酔い、陶酔する人々を見ていて、そうした人々を批判すること以外に
何もできない自分の無力さを痛感します。言葉は怖い。その怖さを知らない人々があまりにも
多いことにやりきれなさを感じ、何もできない自分にさらなるやりきれなさを覚えます。
そのやりきれなさが、似たようなやりきれなさをかかえていたであろうケストラーにたいする
共感へとつながるのでありますね。

ホロンには、全体は部分の寄せ集めではない、という考え方に通じるものがあるような気が
します。機械は部品の寄せ集めであるのかもしれませんが、国家は個人の寄せ集めではない。
これははっきりしていますよね。大げさにいえば、それぞれの個人が国家を内にはらんでいる
ということにでもなるのでしょうか。誰もが、国家のあるべき姿というものを、内なる世界で
思い描いているはずです。そうした思いが結実して国家が形づくられているのかもしれませんね。

よくはわかりませんが、ホロンはそうした考え方にたどりつくような気がいたします。


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