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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
597
:
義春
:2011/08/12(金) 19:16:42 ID:SjZg29/2
初心者さま
お返事、遅くなり申し訳ありません。
なにぶん、明日、引越しでして
荷造りに追われてます(汗)
まぁ…道の友ですから、返信がなによりも先でございます><b
で、色々考えてみました。
…雅宣先生について考えていて、
ふと同じ3代目である徳川家光について、想いが到りました。
何処でも三代目は難しいです、
特に家光は家康の存在の大きさに圧倒されていたと想います。
数ある三代目の中で一番苦しんだと想います。
何せ、初代があの『徳川家康』ですからね。
その家光を例に取ってみます。
家光は徹底的に祖父・家康を敬ってました。
例えば、彼の治世で日光東照宮の参拝に
全長15Kmになる行列で何度も出掛けています。
又、彼はことある事に家康の夢を観たと
家康の肖像画を描かせています。
本当に何かあれば家康公・権現様でした。
…それは何故か?
恐らく家光…まぁ…家光より
側近の土井利勝はこう考えていたでしょう。
『家康様の為された元和偃武を遺すにはどうしたら良いか?』
利勝は関ヶ原を観た老臣だったから、
平和に対する想いは強かった…と思われます。
…そこで気がついた筈です。
『幕府が今あるのは家康様のおかげ、
家光様が何をされても、
その功績は全て家康様のものになる…と。
家光様には名誉も栄誉もない。
家康様だけが歴史に名を遺すべきだ。
家光様にすれば、不満があるかもしれない。
…だけど、元和偃武を永久にするには、
家康様を奉らなければならない。
それしか家光様の存在の正当性を確立できない。』
…と。
その路線があったと想うしかないくらいに
幕府の考え方は徹底していました。
では、側近の利勝ならず、家光の考えはどうであったか?
察するに、それは言葉では言い尽くせないほど、無念な人生だったのではないでしょうか?
何故かと言いますと国家を創るという大業である自分の努力がすべてお祖父様に
もっていかれるのですから…
(続きます。)
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