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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
575
:
初心者
:2011/08/12(金) 11:55:58 ID:4IaAZAME
義春さん
もうちょっと、言いたいことをいわせてくださいね。
あたしはね、「無葛藤派」の人たちを見ていて、すごく不自然な気がする。
人間には、葛藤もあれば欲望もある。それに何よりも、主体がある。
主体は引き裂かれている。きのうも、ふたりのフロイトについて書いたけど、
主体は、言語のネットワークに属する主体と、生身の主体のふたつの主体に
引き裂かれているんだよね。
言葉をもちいることによって、人間はふたつの自分に引き裂かれてしまったんだよ。
引き裂かれれば、葛藤が生じる。言語のネットワークに属する自分と生身の自分とは
違ってるんじゃないかと、そんな葛藤を持つのがふつうだと思う。
あたしのなかには、雅春先生を偉大な指導者として認める自分と、それに反発する
自分がいる。言語のネットワークに属する自分は、雅春先生を尊敬している。だけど
生身の自分は反発している。雅春先生が言われているようには生きたくないってね。
こんなふうに、あたしの主体はふたつに引き裂かれている。
これは特別なことじゃなくて、ふつうのことだとあたしは思う。「無葛藤派」の人たちには
主体がひとつしかない。言語のネットワークに属する自分しかない。こんな不自然な
状態を当たり前と考える人たちであるように思われて仕方がない。「無葛藤派」の人たちは、
言語のネットワークに入り込むために、本当の自分を殺してしまって、それでも平気な
人たちに思えて仕方がない。
総裁先生はどうなんだろう。総裁先生は生身の自分を殺害しようとはなさっておられ
ない。少なくとも、生長の家総裁という意味では、そう。
言語のネットワークに入り込むのは簡単だ。「らしく振る舞う」。これだけで入ることが
できる。「総裁」という言葉が威厳を放ち効果を発揮する。そんな言語の世界に入り込む
ことは、総裁先生にとっては簡単なことであったはずだ。だけどそのためには、べつの
ことを考えている生身の自分を殺害しなければならない。総裁先生はそれを拒否され
たってことだ。
総裁先生は、少なくとも、組織のなかでは、「総裁」という言葉を中心に展開される言語的
世界への従属を拒む「中心化された個人」を演じようとなさっておられるようだ。
「無葛藤派」の人たちは、言語的世界にだけ従属する「脱中心化された個人」であリ続け
ようとしている。
教団で起きているのは、「中心化された個人」と「脱中心化された個人」の争いにしか
思えない。「脱中心化された個人」から見れば、「中心化された個人」は悪ガキでしかない。
「無葛藤派」の人たちからすれば、総裁先生は、言語のネットワークへの参入を拒否する
悪ガキにすぎないってことだよね。
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