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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
369
:
初心者
:2011/08/07(日) 19:38:00 ID:4IaAZAME
わたくしも、現総裁の思想や発想方法を知らなければと思い、「小閑雑感」を
読んでみることにした。
すると「生長の家は、実相の反映としての多様性を重んじる」という言葉が
出てきた。
実相?
現総裁は、雅春先生を否定しておられるのではないのか?
だったら、なぜブログに「実相」という言葉が?
わたくしの固定観念からは理解不能ともいえる言葉といきなり出くわしてしまった。
古い記事を読んでみた。するとこんな言葉が出てきた。
○「日時計主義」の実践の1つとして、技能と芸術的感覚を生かした活動を提唱している
これは、芸術活動をとおして実相を観る訓練をする、ということだろう。絵手紙は、こうした
活動の一環であろう。ただし、指導する側にどれだけの技量と自覚があるのか、これが問題に
なるだろう。しかし、訓練という意味では、これは新しい手法といえなくもない。であれば、
こうした手法を一方的に否定してよいものなのだろうか。
新機軸を打ち出す。これが現総裁の狙いであるのはたしかだろう。
古いやり方で十分だ。このように考える人たちからは、新機軸はけっして理解されることは
なく、見向きもされないだろう。
思えばわたくしも、青年会時代に、新機軸を打ち出してはそれを否定されてきた。ここの
掲示板でも書いたように、反対する人たちを無視して強行した新機軸は、当初の予想どおり
の成果をあげた。
新しいやり方に反対する人たちは、どんなやり方を提唱しても、その効果を見極めようとも
せずに反対する。たとえ総裁であろうとも、新機軸を打ち出せば疎外されるということだ。
自分のやり方に、さしたる根拠もなく、一から十まで反対する人間をそばに置いておきたくは
ない。これが人情というものだろう。
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