したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

1176役行者:2011/09/20(火) 08:34:23 ID:XDphrwd.

>さくら様

>自分の中で霊感といえるもので信じられるものがあ るとすれば 当たり前の日常を淡々と行ずる中で、ふと浮かんで くる直観、ではないか、と思っています これが自分の信じるもので、これ以外に、他人の霊 感の云々を必要とするのは、ちょっと危険であるよ うな気もしているのですよね<

 
 以前、いつ、どのスレッドかはすぐには思い出せないのですが、初心者様とのコミュニケーションのなか、ふれたことがあるかと存じますが、シニフィアンの暴走には、激情とか、高揚などなど感情の高ぶりが伴うと思われます。

 ところが、シニフィエに繋がってる場合は、情感的安定感がそこに満ち溢れているかと存ずるのです。

 そこで、初心者様は現総裁の絵手紙の勧めを話題にされ、「絵手紙は、激情ならず、情緒的安定がもたらされる」という意味を述べられてました。
 察するに、そこにヒントがあるのではないかと葛藤しておりますσ(^_^;
 
>シニフィアンの暴走を止めるのは、言葉を正しく定 義する、ということでしょうか? <

 まず、個人の暴走なら、神の子と受け止めましょう。それが、宗教組織、また、国家また、帝国となるとどうなんでしょう。
「神は絶対なり」の平面的な捉え方から、魔女狩りが行われることは避けねばなりませぬ。少なくとも私はこの事実を神の子だからと、大風呂敷で眺めている器量はありません。

 だから、宗教組織としては、初心者様が以前いろいろな角度から定義やピン留めについて述べてますが、シニフィアンの暴走は止めるべきと、存じます。

 答えになってないかも知れませんが、以前、初心者様は、「宗教家の役目はシニフィエを説くことである」と述べられていることを想い出しました(*^-^*)

 あっ、仕事、仕事(゚o゚;


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板